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馬秀のすけのブログ
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柳生その3終わり

2016年4月2日(土)

柳生陣屋を出で北上、
14時51分、
『八坂神社』
宗冬が造営した。

拝殿は天岩戸神社から移築した
先に訪れた一刀石のあるあの神社かと一瞬思ったが、
よく考えたら天の石立神社だった。
勘違いでした。
天岩戸神社は香久山の近くにあるそうです。

『摩利支天山』
芳徳寺の参道から眺めた山がここです。
十兵衛の弟宗冬は八坂神社を造営した際、この山に武道の守り神である摩利支天を祭った
祠は無くなり今は単なる山です
十兵衛生誕400年記念の石碑

柳生中学校

さらに、北上。

立派な屋敷がある。

その先に
『旧柳生藩家老屋敷』
小山田主鈴の旧邸。
最初は江戸家老だったが、柳生に移り藩の財政立て直しを成し遂げた。
1848年、この屋敷を建てて隠居所とした。
幕末ですな。
主屋は奈良県下で唯一の武家屋敷遺構。

小山田といえば、この前大河ドラマ真田丸にも登場した武田家家臣の小山田信茂を思い浮かべる
勝頼を裏切って信長についたが、不忠ということで結局殺されましたね。
その末裔で、白河藩の郷士となり、主鈴は柳生家に仕官したとか?


長屋門

顔出しパネル

350円払って中に入った

凄い石垣です。


そろそろ帰りの時間が気になりだした

さらに、柳生街道を北上。

15時19分、

一本だけ葉っぱがない枝と幹だけの木がある。

これが
『十兵衛杉』
十兵衛が幕府の内命により西国大名を偵察する旅の途中で柳生に立ち寄り、植えた杉。

樹齢350の大木だが、落雷で枯れてしまったそうな。
枯れたおかげで遠くからでもよく目立つ。

探す手間が省けて有難い…。

15時23分、
『古城山』ふるしろやま
元弘の乱の時、後醍醐天皇方についた柳生永珍がこの山にたてこもり、笠置山の南側を守った

山頂に堀跡が残ってるらしいが、もう登る時間も体力もありません

お城ふうのお屋敷

柳生の最北端まで戻ってきた

15時36分、
『阿対の石仏』
あたや、と読む。
室町時代の作、
阿弥陀仏は流行病よけとして信仰されてる。
左側の地蔵菩薩は子供のできない人が豆腐を供えると子が授かるとか?

石垣を見るとつい…。

15時39分、
柳生ともお別れ。
念願かなって大いに満足しました。

「従是東奈良縣管…」の石柱
東奈良県?
じゃなくて、
この東より、奈良県管轄(管内?)、と読むべきか?

帰りは舗装された道を笠置駅まで戻ることにした
下り坂ばかりなので楽ですが、
道が狭い、
対向できないのに車ビュンビュン飛ばしてる
危ないです。

今思うに、柳生街道の山道を通ったほうが良かったと後悔する。

でも、歩きなら
打滝川の渓谷美を楽しむことができます

16時11分、笠置寺登山口に戻る

駅まであと少し

そして、
16時18分
笠置駅到着。
どのルートを通っても笠置・柳生間は徒歩約一時間です。

歩数計は3万歩(約15km以上)を超えました

なんとか3万歩までなら足や膝の傷みは無い

ちょっと足腰鍛えられたかな?

今回はずっと杖を用いたから大丈夫だったのかも?


笠置と柳生の桜も楽しめた1日でした

ちなみにあの外人カップルさんも
笠置駅から京都駅まで一緒でした

我が輩と同じコース歩いたのかもね

以上おしまい。


β《#^ひ^#》でヒヒーン


柳生その2

2016年4月2日(土)

14時03分、
芳徳寺を出ました。

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 坂を下って分岐を左へ

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 細い山道を歩く

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 14時15分、
『天石立神社』

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 鳥居をくぐると
名前のごとく割れた石が立ってる。

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 これが有名な一刀石か!
凄いです

が、説明板を読むと
「前伏磐と後立磐からなる巨石が御神体」と書いてある

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 2つの自然石が、たまたまこんな形になってるのをみて
天照大神、高天ヶ原、天岩戸伝説とからめて
祀ったということか?

一刀石と早合点してしまった

足元には矢穴が残る石がいくつものある…。

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 そして、
『一刀石』

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 今度こそ本物の一刀石です

説明によると、
花崗石で、柳生新陰流始祖の柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に剣の修業をしていて天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝わる

ふーん…。

大河ドラマ「武蔵」では石舟斎が修業中の武蔵をこてんぱんにやっつけた。
誰が演じてたか、思い出せないので調べたら藤田まことさんでした。

あのドラマ面白かったな

向こうに石像がある。

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 ピンボケで確認できない。
石舟斎?単なる石仏?

引き返しました

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 柳生家墓地で出会ったあの外人カップルさんがここにもいる。
茶畑を指さして女性が
「アイ シンク ティー」と言ってる

横文字ダメな我が輩だが、これは理解できた。

そうです、お茶の葉っぱですわ

坂道を下ると、

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 蛇?
マムシ?

道を横断してる

杖で身構えながら必死で恐る恐る横をすり抜ける我が輩、

一方、外人さんは大喜び!

スマホで撮影してる。

余裕綽々やな。

我が輩は、時間がないので先を急ぐ

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 お堂を刻んだ石、
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 ナイスですね。

国道に出ました

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 さっきの外人さんは
この国道をまっすぐ北上して行った

我が輩は柳生街道を北上。

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 右の土手を登った

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 14時40分、
『旧柳生陣屋跡』

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 解説によると、
石舟斎の子柳生宗矩が三年かけて寛永19年、陣屋を建設した。
表は竹の枝門だったそうな。
その後、宗冬が増築するが、1747年火災で全焼。
仮建築のまま明治をむかえた。
現在は公園になってる。

井戸跡

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 陣屋の区画が再現されてます。

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 一週間後、ここで桜祭りが開催される。
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 桜、早く咲きすぎや!
来週は散ってるかも?
と、関係者の方がつぶやいてました。

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 先に訪れた芳徳寺が見えます。

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 押し寄せた敵はこの崖下の低地で攻撃にあう

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 特別な防御機能は見当たらない
でも、陣屋が小高い丘の上にあるのは珍しいのでは?

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 その3に続く

β《#^ひ^#》でヒヒーン


柳生その1

2016年4月2日(土)

13時23分、
柳生小学校前バス停。

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 柳生地区の北の入口に位置する
奈良駅へはバスで行けます。

南下します。

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郵便局を右手に見て


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信号交差点を渡る

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橋の向こうに公衆トイレがあります。

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 JA農協を右手に見る

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左は桜が満開!

13時34分、

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桜の木を過ぎたら左に曲がります
脇見してると見逃しそうな細い道です

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もみじ橋を渡る。

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 石段を登る

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 柳生盆地が見えます
中央にこんもりした山が見える

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木に隠れて見えないが小山の左手後方の丘に陣屋跡がある。

そして、
13時41分、

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『芳徳禅寺』
柳生但馬守宗矩が、亡父石舟斎宗厳の供養のために創建した。
開山は沢庵和尚、
代々、柳生家の菩提所となった

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 誰もいないけど、ちゃんと拝観料納めて
本堂を見学しました。

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柳生宗矩公像

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 左が沢庵和尚像

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 新陰流兵法目録

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 本堂左横の山道を奥へしばらく向かうと

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 『柳生家墓所』がある。

外人カップル(夫婦?)がいました。
こんな所まで来るとはびっくりです。

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 柳生三代の墓が中央にある。

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 合掌!

本堂前に戻る

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 「石舟斎塁城址」の石碑がある。
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 芳徳禅寺は柳生家の当初の城があった場所に建てられたのですな

沢庵和尚といえば、佐和山城内の寺に1年ほど過ごした


紫衣事件の後、出羽の上山に流された
上山城には行きました
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沢庵桜。3年前のGWに行ったがまだ何とか桜が咲いてた

赦免後、宗矩の勧めもあり柳生に滞在、芳徳寺を開山した

大河ドラマ武蔵では、渡瀬恒彦さんが沢庵和尚を、
宗矩は中井貴一、石舟斎は藤田まことさんでした

あのドラマ、また見たいな!



その2に続く

β《#^ひ^#》でヒヒーン


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