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2017年2月26日
09時57分、JR高槻駅到着 転落事故防止のために慌てて設置したようですな。 なんか、珍しかったので撮影した。 バスは51番。 塚脇or下の口行き。 30分おきにバスが出てます 10時05分発に乗る。 220円均一、ICカード可。 10時20分、『塚脇バス停』到着。 バス停には摂津峡案内図&芥川山城縄張図があります。 しばらく行くと黄金の里ホーム、 左手の坂道を進む。 10時30分、登山口分岐到着。 左側は獣対策のフェンス 元気300倍! 負けじと追いかける 丹波亀岡方面への道だったとか?
1520年、管領細川高国が築城。 1533年、高国が滅ぼされ細川晴元が入城 晴元は家臣の三好長慶に滅ぼされ、 長慶が入城。 この後、河内の飯盛山城に移るまでの約30年を『芥川政権』と呼んだりします。 芥川山城は、信長時代になると甲賀和田の和田惟政が城主。 惟政は、高槻城に移り 家臣の高山友照が城代になる。 しかし、惟政は友照・右近父子に滅ぼされ、父子は高槻城に。 この時、芥川山城が廃城になった模様です 芥川山城は北・西・南が芥川で囲まれた要害。 唯一東側が陸続き。 三好長慶は、この東側から攻略した。 東側の帯仕山の方が標高が高いのです。 池があります。 曲輪群が広がってます。 複雑な曲輪は我が輩には無理…。 そして、 主郭へ向かうと 竪石垣は、彦根城で毎月見てますが 竪土塁は初めて。 フェンスが無ければ土塁の上に登ったのですが…。 ともかく、土塁を見られて本日の目的達成。 ただし、この竪土塁短い, 役に立ったのかな? そして、そして、 『土橋と堀切』 土橋を渡ってしばらく進むと 時間が無ければ主郭へ行かずに、ここで大手道へ下るのがいいと思いますよ。 我が輩は前進あるのみ。 一段高い所が主郭
大したことないです 11時11分、本郭到着。 前年、広大な河内の飯盛山城を縦走しました。 両方行けて大いに満足。 石垣もたくさん残ってました。 三好長慶は、淀川を挟んで芥川山城と飯盛山城で、畿内近辺を統治。 信長の侵攻に備えたのかもね。 どちらも続百名城に指定されました。 またいつかスタンプ押しのために再訪せねばなるまい。 秀吉の山崎城、三好氏の河内飯盛山城と摂津芥川山城、 いずれも丹波、山城、摂津、河内の境目にあり淀川と街道を睨む城です 主郭は発掘調査されて礎石建物跡と 建物の火災の痕跡が見つかってます。 和田維政は祀ってないの? 土塁、堀切があり 細長い西郭 主郭に戻り、 南側の曲輪群へ 二重堀切 再び、大手道の分岐。 いよいよ下山します 険しい登山道ですが、 そして、『大手門石垣』 これで一応満足。 だが、大手道をそれて左へアタック 右へアタック 実は大手道両側の南郭及び出郭へ行きたくて探したのです 結局、フェンスあり迷いそうになったので断念。 次回の宿題となりました 登山口との分岐に戻った せっかくなので摂津峡へ向かう 大相撲大阪場所だったのかな? 稀勢の里はもう引退やな… 13時。 白滝 摂津峡、観光地なのでたくさんのハイカーがいました 南から北へ縦走 見つけたのは、 ならば、もう一度南下して南郭や出郭へトライ! 再び三好山へ 木橋を渡り奥へ この後、道に迷い山の中を迷走、 探訪どころではなくなり ほっとしました。 もうこの時点で三好山再アタックの気力失せた 下山することに。 そしてまた登山口分岐に 塚脇バス停から帰りました 22467歩 以上おしまい お城編4に続く〜〜〜 調所様ぁ...竜雷太さんはチョイ役かい? Φ《#^ひ^♯》Φ 芥川山城の続百名城スタンプは 高槻市立しろあと歴史館に設置されるそうです 高槻城跡の近くです て、駅の南側。 方角が逆。 芥川山城跡に行かずに高槻城を見て スタンプだけ押して帰る人いそうですな。 高槻城跡の高山右近像。 和田維政の像はないのかい!… Φ《#^ひ^♯》Φ ブログはいつもスマホで書いてたが、
光通信になったので、
今回はパソコンでアップした。
実は6時間以上費やした
城巡りもブログアップも、時間かかりすぎ!
要領が悪いというか段取りが悪いというか、
ブログ書くの、嫌になってきた
毎日アップしてる人は天才か?
とても真似できない
トホホや…
β《#^ひ^#》でヒヒーン |

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