|
昔読んだ伝記によると、
関ヶ原の戦い後、豊臣恩顧の外様大名のほとんどが
西へ西へと領地替えされていくなか、
唯一、四国から伊勢という重要な地に呼び戻されて石高倍増したのが
藤堂高虎でした。
小さいけど伊賀の国持大名となりました。
本城は伊勢の安濃津城。
続百名城に選ばれましたね。
松坂城の後、立ち寄りましたよ。
30分ほどでしたが…。
2017年4月8日
【伊賀上野城】
いよいよ城内へ
外堀の内部は二の丸で、
現在は忍者市役所、小学校、中学校、高校の敷地になってます。
高校横の表門道
白鳳門が復元されてます
奥に天守が見えます
本丸の西側に来ました
高石垣の上から内堀をこわごわ見る
校舎より高い
ここから、学校の教室の中が見えるのです
天守の北側
パン食べた。
満開の桜と天守
単独の天守よりも、
小天守が付いてると見栄えがしますね。
百名城スタンプget!
2009年、初めてスタンプを押したのが松阪城でした
あれから7年、
今回で38個目。
ホントにスローペースですわ
湿気のせいか、天守内の手すりがベトベトでした
すぐに外に出ました
「ぼたん」という名前の桜
天守と桜撮影ポイント!
我が輩はやりにくいのでスマホで撮影しないです
天守の反対側に整然とした石垣がある
先ほどの高石垣より新しい時代の石垣だとわかりますね
折れ曲がった虎口がいいです。
『城代役所跡』
現在は、なにもない広場なので、こちらに来る人は少ない
実はここは、
『筒井古城』
天正時代、寺の跡地に織田信雄の家臣が砦を築いた
1585年、筒井定次が城を築いた。
筒井順慶ゆかりの武将です
関ヶ原の戦いで東軍に属したので所領安堵されたが、
なぜか突然、没収されて筒井家廃絶。
藤堂高虎の領地になりました
伝記によると、
いざというときは井伊直政と藤堂高虎が一番槍の家柄として働くように家康から申し渡された。
それと、伊賀忍者を取り込む、
というか抑え込む役割もあったとか?
高虎の能力が高く評価されてたのですね。 筒井時代は、本丸の隅に三重の天守があった
御殿は壊さずにそのまま藤堂家に引き継がれ役所となったが、
寛永10年(1633)、天守が大風雨で倒壊した。
ということは、
高虎が築いた五重天守が1611年に倒壊したので
筒井古城はさらに20年ほど長持ちした?
土産物屋さん、
ちょこっと休憩
忍者アイスサンド
堅〜い!
天気悪いけど、暑かったので食べた
俳聖殿(国重文)
忍者博物館
大勢の外人さんが並んでました。
20年前に来たので、今回はパス
その時は、こちらの無料駐車場にマイカーを停めて坂を登った
ぐるっと回って下に降りました
日本一の高さを誇る高石垣群!
屏風折れになってますね
しかし、
激しい雨が降りだして
じっくり見られず、そそくさと退散!
先にこちらに来るべきだった…。
「旧崇広堂」
津藩の藩校
時間がないので、外から見ただけ
「旧小田小学校」
現在のコンクリートの画一的な学校と違って昔の校舎は趣がありますな。
単なる懐古趣味?
「伊賀越鍵屋の辻」
有名な仇討ちのあった場所です
数馬茶屋
我が輩が来たら、店じまいされたところでした
雨降ってるからね。
「伊賀越資料館」
敷地内に
河合又五郎首洗池
実は家康の伊賀越えの資料もあるかな?
と期待してたのですが、何もなかった。
全く関係ないからね…。
道標
「ひだりなら道」
「みぎいせみち」
ここで、時間切れ
急ぎ、駅へ向かう
「西大手門跡」
忍者鉄道「西大手駅」
我が輩は1つの城跡・城下町を見るのに四時間もかかってしまう
効率よく回れないのです
以上おわり。 Φ(*^ひ^*)Φ
この前、整形外科での診察後、受付で支払いをした。
領収書をもらってもなかなか立ち去らない我が輩、
湿布をくれるのを待ってたのです。
受付の人は怪訝な顔をしてる。
『このおじさん、診療費に不満なのか?』
と思っただろうな。
よく見ると処方せんがある。
そうか、薬は薬局でもらうんや。
外に出たら、駐車場の隅のほうに薬局がありましたよ。
なんで、薬局が同じ建物の中にないんでしょうかねえ?
パチンコ屋の景品交換所でもあるまいし…。
というか、普段医者にかからないので
医療システムに慣れてない…。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
湿布を貼って1週間たちました。
まだ痛いけど、だいぶよくなりました。
歩いたり階段の登り降りが苦にならなくなった。
膝を曲げて座るのがつらいけど、
全回復まで後もう少しかな?
しかし、母の左膝が悪化してきた。
歩けなくなったら大変、
こっちも心配。
左膝の劣化は遺伝やな…。
β《#^ひ^#》でヒヒーン |

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- ブログバトン



