ここから本文です
馬秀のすけのブログ
ひこにゃん市

書庫信濃国の史跡

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

2017年4月30日(日)
信州旅、三日目最終日。

イメージ 1
二の丸を時計回りに周回します。

イメージ 2
内堀の向こうの本丸は石垣で囲ってます。
本丸のみ総石垣。

左へ向かう

二の丸土塁
イメージ 3

土塁の中に埋門がある。
イメージ 4

二の丸の外側から見てます。
イメージ 6


本丸「戌亥隅櫓」
イメージ 5
城内で一番高い櫓台で、かつ一番古い石垣。
算木積みもちょこっと未熟。
この櫓が天守代わりかな?

イメージ 7
土塁が途切れてます

この向こうが『百間堀』『新堀』、
イメージ 8
外堀ですな

イメージ 9

さらにその向こうを千曲川が流れてた。
天然の要害だが、洪水に何度も悩まされたそうです。
まさに諸刃の剣、
大河を背にする城の宿命なり

「北不明門」
イメージ 10
奥の正面が櫓門、右に高麗門。
搦め手の重要な門なので一対の桝形。

イメージ 11
内外堀と内堀はこの石垣が分岐になる


二の丸東側
イメージ 12

『石橋門』
イメージ 13
門の回りは土留め石垣がある

土塁の上から駅舎方向を見てます
イメージ 14


土塁、堀が曲線になってる。
イメージ 15
ここも外堀と三日月堀に囲まれた馬出し。
イメージ 16
植込みで遺構の表示をされてるようだが、
現場に解説表示がないので、普通の見学者は気づかない…。

馬出し側から石馬門を見る
イメージ 17
門の外側は曲線になってます


【本丸】

イメージ 18
内堀の橋を渡って東不明門から、いよいよ本丸へ。
イメージ 19
こちらは桝形じゃなくて普通の平入です

一方、

太鼓門は、桝形
イメージ 20
櫓門↑
高麗門↓
イメージ 21

この狭間、四角ばかりで○と△がない。
イメージ 22

『戌亥隅櫓』
イメージ 23
さっきは外側から見たが、
こちらは内側、
一番高い場所なので皆さん登ってます。
この階段は新しいものです…。

イメージ 24
内側なのに石垣が折れになってる。
イメージ 25
なぜなのか?よくわからない

我が輩も登りました。
イメージ 26
北不明門の桝形を見る

【海津城碑】
前回来た時と、位置が違うように思うが気のせいかな?
というか、前回は復元建物が無かったからそう思えるだけなのかも。

我がブログでは、お城の歴史に関してはいつも解説文、省略してます。
そんなの自分で調べろ! 
他の人のブログを読め!

要するに我が輩は面倒くさがりや…。


だが、今回は旅の最後だし、ちょこっとだけ紹介。

歴史をたどると、
1558年、山本勘助が築城。
馬出しなどは武田時代の遺構ですな。

その後の城主は、信長の家臣森長可→上杉氏
→豊臣時代は、田丸氏

1600年、森忠政が海津を待城に改名。
この時、現在の縄張りがほぼ完成したそうです。
だから、今見てるのは森さん時代の城?

1603年、松平忠輝が、松城と改名。
↑松平家の城と言いたかったのかな?
でも、父の家康にはその思いが伝わらず悲惨な最期になりましたね…。

その後、藩主が色々交代し
1622年、真田信之が入りました。
海津じゃなくて、松平の城に入ることになる信之の気持ちはいかばかりか?
うーん…。
ちなみに1711年、幕命で、松城→松代に改名させられた。


余談ですが、後に外様大名の松代藩真田家から老中になった藩主がいます。
真田幸貫です。
幸貫は、徳川吉宗の血を受け継いでいて松平家から養子に入ったので、
以後、真田家は譜代待遇になってます。
おかけで、真田家の血が薄くなったものの幕府からイジメされることもなく幕末まで存続できたとさ…。

これにて松代城探訪終わり。


バスの時間がせまってきたので、
バス停へ戻ります

イメージ 27
前回来た時、確かここに踏切があって
すぐそばの小屋みたいな店でおやきを買って昼ごはんとして食べた。

月日が流れる…。

イメージ 28
駅舎のバス停に戻りました

『またのおこしを』
イメージ 29


次に来るとしたら北国街道歩きで立ち寄るかも?
可能性は薄いが…。

イメージ 30
15時00分、再び長野駅。

長野駅で16時00分発名古屋行きの特急券を買いました。
イメージ 31

みどりの窓口のお姉さん、
『座席指定はどこがいいですか?』
我が輩、「座れたらどこでもいいですよ」

結局、5号車3番D席でした
Dは窓側です。
連休の日曜日なので、指定席券を買ったが車内はガラガラ!

長野始発なので自由席でも楽に座れたのに、失敗した。

列車が走り出してしばらくすると
車内アナウンスがあり、
『16時20分頃、左手前方に姨捨の景色が見えます。
お楽しみください』

我が輩の席はまさしく左の窓側!
みどりの窓口の美人お姉さんの気遣いに感謝感激飴おやきですわ。
イメージ 32

というか、後で知ったのだが、
姨捨は車窓人気で有名らしい。
なんにも知らない我が輩、困ったもんやわ。
イメージ 33

信州はまだ田植えには少し早いようで、普通の乾田ばかりだったが、
中津川を過ぎて美濃に入ると、
田んぼに水が張られていて
水田になってる田んぼもありました。


信州では桜も見頃だったし、
新緑のモミジも鮮やかだし、
春と初夏を堪能できてホントに良かった!

いつか、秋の信州も堪能してみたいものですな。



なお、後でわかったのだが、
上田城でお会いしたあの女性、
な、な、なんと!
なんと!
松本駅で同じ特急に乗ったそうです。
なので、
名古屋駅からも同じ普通電車で帰ったとか?
びっくりポンや!

この女性にはその後も講座などで時々見かけますが、
恥ずかしいので声かけずに避けてますわ

ありゃま…。

中津川付近で駅弁食べる
イメージ 34
信州のヒレカツ

20時34分、米原駅到着。

無事帰れました。
この日は、27277歩

3日間の合計は、86659歩(約50km)

まだ膝が完治してなかったのによく歩いたものですわ

以上、長々と引っ張りましたが、

信州真田の旅報告

おしまい。


Φ(*^ひ^*)Φ
今週末のブラタモリ、

彦根城です。

10月4日にロケしたそうです。

2日後に来てくれたら会えたのに…。
実は我が輩、その2日後に彦根城博物館に行き、
ちょっとした記念日になった。

あのイケメン学芸員さんがタモリさんを案内したとか?

お見逃しなく!

というか、前回の岐阜城
寝落ちして後半の部分を見てない…。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
続百名城スタンプ帳、
年末に発売されます。

早速アマゾンで予約しました。

来年からまた忙しくなるので
ブログUPは反比例してますます間延び…。

β《#^ひ^#》でヒヒーン





2017年4月30日(日)
信州旅、三日目最終日。

坂城駅、11時40分発の電車に乗りました。

12時12分長野駅到着。
イメージ 1
ロッカーに重い荷物を預けて、
駅の窓口で帰りの切符を買う。

バスの待ち時間に昼のパン食べて
イメージ 2
12時45分発のバスに乗りました


「千石入口」バス停
イメージ 3

江戸時代、徳川家康は善光寺に長野村近辺に千石の領地を与えた。
これが地名の由来で、今や信州の中心都市にまで発展した。
全国の県庁所在地、城下町が多いが、
門前町から県庁所在地になったのは長野市だけなのでは?

バスの車窓から長野市内を眺める

「信州裾花彩鳥太鼓」しんしゅうすそばなあやとりたいこ
イメージ 4

長野オリンピックの時に太鼓好きさんが結成したそうです。
連休なので市内は祭り一色のようです。

バス停の表示も楽しみの一つ。

「丹波島橋南」バス停
イメージ 5

丹波島は松代と善光寺の間に位置して、北国街道善光寺道の宿場があった。
犀川の渡場として栄えた。

「下氷鉋」バス停
イメージ 6
難読ですよね。
しもひがの、と読みます。
長野市のHPには
「氷鉋(ひがな)」の「ひ」は「泥」などを意味し、「か」は川の約語(やくご)、「な」は土地をいう古語になります。従って、「氷鉋」(ひがな)は「川沿いの湿地」という意味になります。
と、書いてあります。
長野盆地(善光寺平)は、川や島にちなむ地名が多い。

川と島といえば、

「川中島古戦場」
イメージ 7
20年ほど前にマイカーで来ました。
なので、今回は車窓から眺めるのみ。
というか、あの時は石碑と博物館しかなくてちょこっと休憩しただけでした。
今は観光地になってるようですね。

電車やバス内でスマホばっかり触ってるそこのあなた!
車窓の景色を楽しみましょうや!
日差しが眩しいからといって窓のシャッター降ろさないでね。


そして、
13時13分
「ようこそ松代へ」
イメージ 8
今回の旅、最後の目的地です

バス停は、『旧長野電鉄松代駅舎』
イメージ 9
前回車で来た時はまだ電車走ってました。
次回、来る時は電車で来ようと思ってたのに…。
イメージ 10
駅舎は残ったが線路はもう無い。

真田邸の塀
イメージ 11
ピンぼけばかりでこれしか画像が無い。

イメージ 12
ここで百名城スタンプ押して信州3個目get!

イメージ 13
旧白井家表門と奥に鯉のぼり

中には入らず。

前回は象山地下壕まで行ったが今回は城下町探訪はスルー。
次のバスまで一時間しかないのです
『清須町』
イメージ 14
近くには有楽町という町もある。
織田家と関係ないと思うが…。

ちなみに松代の町名、「…まち」と呼ぶ場合は真田信之ゆかりの町。
「…ちょう」と呼ぶ場合は、上州沼田藩が取り潰しになった時に移ってきた家臣の町あるいは新規の商業町を指すそうです。
一応区別してるんですね。

城下町を抜けて
イメージ 15
いよいよお城へ。

イメージ 16
この付近は三日月堀の跡かな?
と思って撮影したが、
二の丸と三の丸の間の外堀跡のように思います
イメージ 17
外堀跡を公園にしたのかな?
我が輩の背中側が三日月堀跡になるようです

二の丸南門から外堀公園を見る
イメージ 18

『二の丸南門』
イメージ 19

南門の目の前に丸馬出、三日月堀、三の丸が広がってたと思うのだが
イメージ 20

現地解説図に丸馬出の表示が無い。
イメージ 21
バカタレめ!

イメージ 22
この石垣は防御ではなくて土塁が崩れないようにするための土留めの機能。

『二の丸二重土塁』
イメージ 23
ここに兵を潜ませるための武者隠しかな?
イメージ 24
堀底が三日月形に見える

前回来た時、この土塁が復元されてたかどうか記憶にない。
というか、全く関心が無かった。
年月が経ち、お城の見方も少しは上達した(自画自賛…)

土塁の上から外堀&三の丸を見る
イメージ 25
土塁や石垣があるとどうしても登ってしまう。

本丸太鼓門が見えます。
イメージ 26

イメージ 27

我が輩はひねくれてるので本丸にはまだ入りません

二の丸を周回します。



つ〜、づ〜、くぅ〜〜〜信康は人知れず生き延びたかも?


Φ(*^ひ^*)Φ
先日、ガン検診を受けた後
市立図書館に立ち寄った。
イメージ 28
紅葉見頃です

実は社会人になってからこの図書館の中に一度も入ったことない。
だから、今回初めて!

市内の小学生が大勢授業の一貫として図書館見学に来てました。
図書館員の若い女性が館内を案内し、本の利用方法を説明してる。
意外にも若い女性多いんですね。

小学生がガヤガヤと動き回り気が散る。
遊園地と違うっつうのに!

とりあえず、昼まで閲覧して帰りました。
ホントは本何冊か借りたかったがシステムがわからない。

我が輩も小学生の後ろについて図書館の利用の仕方を学ぶべきだったかな?

寒く厳しい冬到来!
図書館の中は暖かいぞ!
我が輩、貯金も底をついてきたし
この冬はお出掛けせずに図書館に引きこもろうかな…。

イメージ 29
市立図書館は、彦根城佐和口多聞櫓の北側にあります。
イメージ 30
彦根城の紅葉、只今
絶賛見頃だにゃん!

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

イメージ 31

敦賀駅に変なやつが座ってたぞ!

β《#^ひ^#》でヒヒーン



2017年4月30日(日)
信州旅、三日目最終日。

10時37分
ふるさと歴史館を出て宿場巡り開始!
イメージ 1
郵便局の通りが北国街道で、立町。

日名沢川を渡る
イメージ 2
城下町があったとすればここが外堀かな?

こちらの格子戸は普通の出格子
イメージ 3
街道はこの先で左に折れ曲がります。

イメージ 4
葛尾城の尾根の先端部が見えます

しばらく行くとまた折れ曲がる
イメージ 5

さらにまたまた折れ曲がる場所に
イメージ 6

『善光寺常夜灯』
イメージ 7
善光寺から来るとここが坂木宿の入口になるわけです。

イメージ 8
ここから松代、善光寺へ街道を歩いて行きたいが、今回はこれにて打ち止め。

引き返します

新町公民館
イメージ 9

名前でもわかるように江戸時代に街道が整備されて追加された町です。
ということは2回折れ曲がった桝形のようなこの道は、宿場や陣屋の防備上
新たに追加された道だとわかる。

民家の庭に『長谷川井戸』
イメージ 10
長谷川代官が新町・立町・横町に設けた井戸。

この説明書き、「慶安四年2311」
2311年?なんか変ですよ。
それとも2311は、何かの番号?

最初の折れ曲がりに戻って坂城神社の参道をゆく。
イメージ 12


『村上氏城館跡』
イメージ 11
この奥に満泉寺があるのですが、
我が輩、なぜかこの門跡だけ見て立ち去ってる…。

イメージ 13
一の鳥居。

そして、
『坂城神社』
イメージ 14

坂城郷の郷社。
イメージ 15
村上義清と武田信玄との戦いの時に社殿が焼失、古記録も消滅した。
義清逃亡後、信玄が復興させた。

イメージ 16
この狛犬、吹きさらしにせず覆いがある。
1682年、坂木陣屋の板倉氏の家臣の石川さんが奉納した。
造形的に中世の面影がある、と説明書きがある。
なるほど!

神社の裏手に
『村上氏城館跡』の石碑。
イメージ 17

ここが登山口。
看板には「所要時間6時間10分」と書いてあるが、これはハイキングコース全体の時間だ。
城跡だけなら一時間もかかるまい。

目の前に城跡があるのに見過ごして帰るのか?
いや、時間がないし…。
それでも、お前は城マニアの端くれか?
いや、3日目で体力も限界だし…。
つべこべ言うな、この意気地無しめ!
もう2度と機会はないぞ

と、山を見上げながら自問自答、逡巡する我が輩…。


すると、若い男性が山を下ってきた。
イメージ 18

城跡の様子を聞いたら
『一時間カカリマシタ、大変デシタ…。』
どうやらアジア系の外人のようです。

となると、最低往復二時間、
じっくり見て回ったら三時間必要。

登ったら松代城には行けない

というわけで、腹が決まった。
今回はパスすることにしました

さて、この選択は正しかったのか?
もう2度と来れないような気もするが…。

登山口の反対方向へ行きます
イメージ 19

大英寺の黒門

寺は本来、山の上にあり村上氏の祈願所だった。


江戸時代に長谷川代官が整備した。
イメージ 20
門の屋根瓦が六紋銭になってる
真田氏が関わってるようですな。

花が綺麗です
イメージ 21

 実はこの時、法事でマイクロバスの送迎もあり
イメージ 22
境内を見て回れなかった

イメージ 23
こちらにも藤


初夏の葛尾城の光景を眺めつつ
イメージ 24

坂城駅に戻りました。
イメージ 25

またいつか、来なくてはなるまい。
イメージ 31


11時40分発の電車に乗りました。

次は最後の目的地、松代城です。


つ〜、づ〜、く、

ぅ〜ぅ〜う〜ぅ〜う〜再来年の大河ドラマはオリンピック関連物語だとか?



Φ(*^ひ^*)Φ
三河の西尾城へ行きました。
イメージ 26
本丸の復元丑寅櫓
天守のように見えるが、

実は
天守は、平地の、しかも二の丸に
イメージ 27
築かれた。

びっくりポンですな。

こちらは丸馬出し
イメージ 28
徳川系は、丸馬出し好きですね。

ゴスプレ集団!
イメージ 29

最近、お城に行くとよく見かける
何がいいのか、さっぱりわからんわ…。
一見変な連中だが、
みんな礼儀正しい、
というか穏やかなんですよね

『贅沢ベルギーチョコソフト』
イメージ 30
チョコレートは血圧下げるのにいいそうです。

毎日、ちょこちょこ食べるようにしたぞ!


β《#^ひ^#》でヒヒーン

2017年4月30日(日)
信州旅、三日目最終日。

『坂木宿ふるさと歴史館』
イメージ 1
中に入りました。入館料100円です。

イメージ 2
床の間に五月人形と村上義清の幟、
信州希代の名将と書いてある。
信玄の強敵でしたね。

上田平から坂城にかけての模型。
イメージ 3
これは上田原の戦いの図。
葛尾城から天白山の南にでてきた村上軍と佐久方面から北上した武田軍が産川・浦野川で激闘が繰り広げられた。
上田原行く前にここに立ち寄るべきでしたわ。

村上氏の来歴についての解説
イメージ 4

イメージ 5

葛尾城に関しては義清が登場するまでは全く不明。
誰が築いたか、わからない。

村上氏が村上郷から坂城郷に移った時に居城となったようです。

なお、関ヶ原の合戦では、秀忠が葛尾城に兵を置いたので真田親子が攻撃した。
が、さすがに落城させるのは無理でした。

イメージ 6
越後に逃れた義清終焉の地として新潟県の直江津、糸魚川、津南町、阿賀野市、
さらに千葉県の市原市宮原などに供養塔や墓地が残されてる。
いつか訪ねてみたいものですな。

村上氏といえば、水軍!
イメージ 7

瀬戸内海の村上氏は信州の村上氏は確実に繋がってます。
同族なのは間違いない。

小説『村上海賊の娘』
ようやく読み終えました。
面白かったです。
主人公の『景』は架空の名前。
資料では、『娘』としか記載されてない。
だから、内容は完璧に和田氏の創作物だが、『景』以外の脇役陣及び史実に関してはすべて資料に基づいて忠実に描いたそうです。

石山本願寺との戦いでの砦の配置と攻防、当時の地形の様子など、
勉強になりました。
イメージ 8
今の大阪市の大半は海の底だったんですね。

イメージ 9
能島城に行かねばなるまいぞ!

『坂木宿の展示』
イメージ 10

北国街道は江戸時代に整備されたが、坂木宿は村上氏の本拠地として早くから栄えてたようです。
横町40軒と立町35軒で構成されていて、
本陣・脇本陣は立町の宮原家、中沢家がつとめた。
参勤交代が制度化されるとさらに60軒増えたという。

イメージ 11

館内ぐるっと一周しました。
イメージ 12

いろいろと資料が手に入り100円以上の値打ちがあり、大満足。

入口に喫茶コーナーがあったので
ちょこっと一服。
イメージ 13

次の電車までのわずかな時間にどれだけ宿場を回れるか?
イメージ 14
地図とにらめっこした。

約10分ほど休憩して、外に出ようとしたら
職員の女性が寄ってきて手を出してきた。

ん?何事?

『あのぅ、お代を…。』

そうでした、すっかり忘れてました
コーヒー代200円払ってなかったわ。
無銭飲食するところだった…。

実は最近、本屋で本を買ったが本を受け取らず釣り銭だけもらって帰る、
などなど、困った行動が増えてきてる

我が輩、ヤバいです…。

イメージ 15
この後、宿場をちょこっと探訪します

つ、づ、く〜〜〜大河直政物語、『恩賞の彼方に』タイトルも面白いぞ!


Φ(*^ひ^*)Φ
ずっと先延ばしにしてたが、
ついに今年も集団健診受けました

体重60kg(4kg減)、
腹囲86cm(2cm減)、

『昨年と比較して急にスリムになりましたね。
どうして?』

最近、めっちゃ歩いてるから、と答えたが、
痩せたらガンを疑え、とも言うよね…。  

血圧、167--99
昨年の144からかなり上昇!

『塩分とりすぎてませんか?』

「普通だと思いますが…。」

『よい医者に見てもらってください』

「はい、わかりました」

と、言ったものの
遺伝だから治らないし、
どうせ長生きできないし、放置。 
医者なんかに行くもんか…。


というか、やっぱり
健康診断嫌いや!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

明日、
イメージ 16

毎年恒例の『彦根お城まつりパレード』があります。
子供の大名行列が城下町を練り歩きます
今回のゲストは、大河ドラマ直虎にちなんで
龍潭寺の禅僧『昊天』役の小松 和重さんと直虎の少女時代『おとわ』役の新井 美羽さんです。
ドラマと同じ格好での参列するとか?
新井 美羽ちゃんは、朝ドラ「わろてんか」の主人公の子役も演じられてますよ。
 
我が輩も久しぶりに見に行来たいが…。

β《#^ひ^#》でヒヒーン


雨2017年4月30日(日)
信州旅、三日目最終日。
イメージ 1
二の丸北東に来ました。
鬼門の方角で、堀が谷折になってる。
イメージ 2
これが『隅欠(すみおとし)』
本丸の隅に櫓を2つ設けるという懲りよう、堅固の極み。
イメージ 3
真田昌幸時代からのものと言われ、貴重な遺構です。
 
ここで、ふと前を見るとどこかで見たような女性がいる。
もしかして?
いやいや、まさかここで会うはずない?
 
その女性は市立博物館に入っていかれたので
気のせいかも?
と思い、時間もせまってるので櫓門へ向かった。
 
イメージ 4
来る時に下から見上げた鐘楼
 
で、振り返ると先ほどの女性が博物館から出てきた。
早いやんか!
展示品見てないのかな?
 
というか、間違いなくあの人や!
確信を得た。
 
人見知り馬秀、
顔が火照ってきて心臓バクバク。
もうこうなりゃやけのやんぱち
ここであったが百年目、
いや、3月に彦根城探訪で一緒だったので2か月目?

思いきって、声かけました
 
『こんにちはー!』
 
その女性はキョトンとしてる。
当然ですよね。
旅先で知らない人に声かけられたのだから。
 
なので、すぐさま
滋賀県の城郭探訪で時々ご一緒させてもらってます。
ブログでは、馬秀の助と名のってます、と説明。
 
ようやく思い出してくれて不審者扱いから解放されました。
 
県の城郭探訪の参加者のほとんどが年寄りの男性。
若い女性は滅多に見かけない。
だから、いやでも目につく。
逆にこちらはその他大勢の一人だから目につかないですよね。
 
ちょこっと立ち話。
この女性、上田祭りを見るために来たそうで、
この後、小諸城の石垣を見に行くと言ってました。
 
実は美濃国にお住まいで、週末はたいがい関ヶ原古戦場におられます。
関ヶ原に行ったことある人は知らずに出会ってるかもしれませんよ。
 
なお、今年は関ヶ原のイベントが多くてブログほとんど更新されてません…。
 
それにしても旅先で知った人に出会うとビックリポンですな。

お互い電車の時間がせまってるので、これにてお別れ。
イメージ 5
急いでホテルに戻りました。

チェックアウトして
再び上田駅
イメージ 6

のれんの家紋、
イメージ 7
右から六紋銭、州浜、?、雁金

一つだけわからないのがでてきたので調べました。
『割州浜(わりすはま)』でした。
真田家、いろいろ使ってるんですね。
 
09時35分発の電車に乗りました。
ホームに停まってるのは
『ろくもん号』
イメージ 8
1度乗ってみたいものですな。
 
ついに上田市とお別れ。

 
そして
09時44分、『坂城(さかき)駅』到着。
イメージ 9
この駅、ロッカー無くて重いバッグ預けられなくて弱りましたよ。
 
駅付近は、江戸時代「坂木陣屋」があった。
イメージ 10

幕府直轄領、途中で板倉氏坂木藩になったこともあるが結局また天領に。
説明板によると1681年には松代藩主真田幸道が建物を新築したと書いてある。
藩領でも無いのに無理やりやらされたのかな?
 
坂城の由来は、古代蝦夷征伐の時にここに峠(坂)があり柵(城)を築いた、とか? 
地名は、
古代は坂城→中世は坂木あるいは榊→江戸時代は坂木、
明治以降はまた坂城に戻りました。
 
北国街道坂木宿を歩きます。
イメージ 11
葛尾城跡上り口の標識があります。
登りたいが時間的に無理。
坂城町に立ち寄ったのは葛尾城跡への行き方の下見を兼ねてます。
 
マンホール
イメージ 12
バラ・リンゴ・ブドウが描かれてます。
 
イメージ 13
向こうの山の上に葛尾城があります。
天気いいし絶好の登山日和なんですが…。
 
藤棚と鯉のぼり発見!
イメージ 14
これが楽しみで毎年GWに旅してると言っても過言ではない
 
10時00分『坂木宿ふるさと歴史館』
イメージ 15
本陣宮原家の遺構が歴史館になってます。
イメージ 16
坂木宿本陣表門
坂木陣屋の門を移築したと、言われてる(真偽不明)。
大壁造りの土壁、入母屋造り、桟瓦葺きの屋根

土壁、なかなか見られなくなったので嬉しいです。

 三階建ての母屋
イメージ 17
門の大壁に対してこちらは柱を見せる真壁造り、色と形の対比が面白い
天守と館の折衷のような外観ですな。
 
坂木宿&葛尾城に関する展示を見るために歴史館の中に入りました

イメージ 18


つ、づ、く、ぅ〜
 
 
Φ(*^ひ^*)Φ
今度の日曜日、
東京日本橋に滋賀県の情報発信施設『ここ滋賀』がオープンします。
知名度の低い滋賀県を関東の人にも知ってもらうための施設。
お気軽にお越し野洲!

場所は東京メトロ日本橋駅前。
東京駅から徒歩5分と書いてあるが、
東京の地理さっぱりわからない我が輩、
田舎ならあの方向のビル目指して行けば簡単だけど
ビルばっかりの東京、我が輩は徒歩一時間ぐらいかかるかもよ?

実は以前、大阪駅近くの深夜高速バス乗り場がわからなくて
梅田界隈をさ迷い歩いたことがある。

お江戸と大阪は嫌いや!

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先日の台風21号、
被害甚だしく
高島市のメタセコイヤ並木、6本倒れた。
余呉湖の羽衣伝説の柳も倒れた。
そして、
彦根城多聞櫓の漆喰が剥がれ落ちました。

外堀の外堀ともいうべき芹川が危険水位に達したため
我が町を含めて市内中心部の城下町に
避難勧告→避難指示が出ました。

深夜暴風雨のなか移動するのは無理。
家の2階で寝ずに朝まで待機してなんとかやり過ごしました。

避難指示は滋賀県のメールに登録してるからわかったけど、
登録してなければわからない。
市も自治会からもなんの連絡も無し。

我が市の危機システムは大丈夫なのか?

空襲警報、学校のサイレン、お城や寺の鐘一斉に
鳴らすべきなのでは?

とはいえ、耳の遠い母は聞こえない。
メール見ない

ミサイルや台風が来たら
年寄りは座して●を待つのみか?…。


β《#^ひ^#》でヒヒーン

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

馬秀のすけ
馬秀のすけ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • aoh*ppi*
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事