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丹波柏原陣屋

 2018年08月11日(土)
黒井駅からの帰り、
柏原駅に降りた。
 
柏原は、かしはらでもかしわばらでもない。
『かいばら』と読む。
この駅舎を見て安土城天主を思い浮かべるのは我が輩だけでしょうや?
 
江戸時代、柏原藩がありました。
最初に織田信長の弟の信包が入ったが3代目で断絶、
その後、織田信長の次男信雄の子孫の信休が大和松山藩から国替で2万石として入り、幕末維新まで存続しました。
 
国史跡の陣屋跡が残されてるので立ち寄りました。
 
ちなみに、表高二万石ですが、
天領や他藩の領地と入り組んでいて
実質的には、半分の一万石だったそうです。
 
織田家の名前は残ったが、台所事情は苦しかったようですな。
 
汗びっしょりで、足も体力も疲れモードだったが、この城下町を見ずして帰るわけにはいかぬ。
 
なので頑張って歩きます
 
「城下町かいばら」
と書かれた通りを進む
城下町という言葉に弱い我が輩です
この通りは柏原町石田地区で江戸時代、大店が多いため夜も明るく、提灯無しで歩けたとか?
例によって人の姿が見えない
でもこの街並み好きです
 
ちなみに柏原城下町は、
全国一高い標高にあるそうです。
 
『太鼓やぐら』江戸時代の建造物
3階建て。
本来は大手通りにあったが、明治にこちらに移された。
最上部につつじ太鼓があり、銘に寛文8年(1668)と記載されてるので
大和松山藩から移された時の太鼓と判明した。
太鼓の革の張り替えは、
大和松山藩の時に五回、
柏原藩の時に12回、
明治以降に4回。
最後の張り替えは、平成19年だったそうです。
 
太鼓は火事の時に3回、
山火事や出水時に2回、
打たれた。
参勤交代で藩主が帰ってきた時にも打たれたが何回打たれたのか?
わかりません。
明治以後小学校の登校合図としても打たれたそうな。
 
ここで右折
左手の山に
『柏原八幡宮』
平安時代1024年、京都の石清水八幡宮の別宮として建てられた。
安土桃山時代の本殿と拝殿は国の重要文化財に指定されてます。
191の石段を登らねばならないのでパスしました。
登る気力が無かったです
 
「観光案内所」
顔出しパネルがありますな。
大河ドラマの時に設置されたのかな?
あの時、浅井三姉妹が保護された城ということで、我が輩わざわざ伊勢上野城へ行きましたよ!
 
ところが、おみゃ〜さん!
信包が保護したというのは誤りで、
実際には尾張名古屋の守山城に三姉妹がいたりゃーすとか?
 
びっくりポンだがや。
 
ボランティアガイドさんが常駐していて二人以上なら案内してくれるそうです。
 
我が輩は1人なので、
観光マップをくれただけ…。
 
『木の根橋』
樹齢千年と推定される大ケヤキの根が奥村川の橋になってる。
 
警備員さんが待機してるのは
この後、土曜夜市があり歩行者天国になるから。
 
『織田神社』
祭られてるのは織田信勝。
柏原藩三代目藩主、28歳で亡くなり跡継ぎがないためお家断絶となりました。
信勝の時は三万六千石もあったのですが…。
 
『石柱』
篠山街道の路標です。
「左たんごたじま
右八幡山」
たんご→丹後
たじま→但馬
八幡山は、先ほどの柏原八幡宮。
 
山陰街道沿いの大名はこの道を通って参勤交代したのだろうね。
 
若ければ篠山街道も歩いてみたいが、今となってはかなわぬ夢のまた夢ですわ。
 
 
『丹波市役所柏原支所』
昭和10年に建てられた。
綺麗ですね。
 
最近の無粋な市役所の建物よりずっといい。
 
これより大手通り
『建勲神社』
建勲といえば、信長公ですな。
明治時代になると信長信忠父子は建勲として名誉回復された。
現在、全国に京都市と天童市とこの柏原のみ存在する
 
大手通りの突き当たりを右へ
『柏原陣屋跡』です
暑いので身体を冷やすために
まず先に
反対側の「歴史民俗資料館」で休憩した。
陣屋跡との共通券で200円也。
 
陣屋跡の模型や資料が展示されてます。
付属として、
「田ステ女記念館」が併設されてます。
ステ女は、元禄時代の俳人で松尾芭蕉とほぼ同時代の人。
6歳の時に詠んだ句が
『雪の朝二のじ二のじの下駄あと』
 
この句は有名ですな。
 
体が回復したので陣屋へ
 
『織田家旧邸長屋門』
1714年創建当時のまま残されてる唯一の建物。
向かって左側が番所、右側が馬見所と砲庫
 
中に入りました
 
『表御殿』
1820年再建された時の建物。
玄関は、檜皮葺・唐破風・千鳥破風が格式を見せてる
 
玄関から長屋門を見る
 
内部の部屋を見て回ったが、
なぜか何も撮影してない。
 
なんで撮影しなかったのか、自分でもわからない…。
 
 
隣の『たんば黎明館』
旧氷上高等小学校校舎
 
先ほどの柏原支所の建物と雰囲気が似てますね。
ここも陣屋の敷地内だった
 
帰りの時間が迫ってきたので駅へ向かう
 
マンホール
木の根橋のデザインです
商店街は、土曜夜市の準備が始まってました。
 
『時の太鼓櫓』
柏原駅に戻りました。
 
 
駅横の観光案内所で
丹波関連の土産を買って帰りました
 
 
Φ(*^ひ^*)Φ
青春18切符、この一週間後
三河吉田城に行きました。
探訪の詳細は旧東海道歩き報告の時にいつかアップする予定です。

三河吉田城は豊橋市にあります。
豊橋といえば、豊橋カレーうどんが有名ですよね。
イメージ 1

食べたかったが、結局時間が許さず
城跡の横の喫茶店で普通のカレーライスを食べるはめになってしまった

いつかリベンジしなきゃ…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

丹波黒井城 後編

2018年08月11日(土)
 
『本丸』
今は何もない広場ですが
本丸と二の丸から瓦が発見されてるので瓦葺の建物があったようです。
「保月城趾」の石碑があります。
山は猪ノ口山、城の名前は保月城(保築城)。
なのに、黒井城とは?
由来を調べると
久留井(くるい)という湧水があり、→黒井、
地名として黒井村となり黒井城と呼ばれるようになったようです
 
 
下の段は「西曲輪」
その先の尾根は西の丸かな?
 
西曲輪に降りた
本丸を見上げる
 
北側の帯曲輪
本丸の西側と北側は石垣が見当たらない
元々無かったのか?
全部崩落したのか?
 
↑ちょっと恐いが西曲輪のさらに下の崖へ
こちらにも金網あり。
ここから西の丸へ行けるのかな?
恐いのでやめた
パンフレットにはこんな縄張り図が。
堀切、竪堀などあるようで、
これは見に行きたかったな…
 
引き返して
西曲輪から南の帯曲輪へ向かう
シダが無かったら、恐くてこの崖道を歩けなかった、と思う
 
三の丸まで戻りました↓
北の帯曲輪を歩く
草深い中に一筋の道を見つけた
この先は北の丸、さらに西の丸へ行けるかも?
と思ってしばらく進んだが、薮が深くなり、
引き返しました。
やっぱり、本丸以外は真冬に訪れるべきですな。
 
本丸から赤門まで下り、
登るときに見逃した『太鼓の段』へ向かう
すぐに
『太鼓の段』到着
何もない広場です
東の端に道があり、東出丸へ向かう
椿群生林、と書いてある。
 
ここで道が見当たらない
崖道のようで、恐くなりまたまた引き返しました。
 
何べん引き返すねん!
パンフレットの縄張り図
すぐそばまで来てたようです
 
というわけで、
 
消化不良の探訪となりました。
悔しいっす!
 
意気消沈して下山します
帰り道は緩やかコースを下山
またしても金網
丹波は猪が多いのだろうな。
 
と思ったが、
案内図には鹿柵と書いてある。
 
14時24分
緩やかコースの登山口駐車場に戻りました
ともかく、
熱中症で倒れなかった、
途中で滑落することもなかった、
まずは良し!
と、自分に納得させた…
 
『興禅寺』
城主となった斎藤利三は、坂本城から妻子を呼び寄せ、
ここに陣屋を設けて住まわせた。
天正7年の年末にお福(春日局)が生れた。
東西約80mの堀は、
「七間堀」と呼ばれる。
高さ4.5mの高石垣は切込みハギの積み方なので後の時代の石垣だとか?
ただし、楼門前の橋付近は野面積みが残されていて本丸石垣と同じ時代のものと、される。
「楼門(山門)」
宮津市の智源寺から移築された。
二階には観音像が安置されてるそうです
余談ですが、
宮津のお土産といえば、天橋立の知恵餅が有名ですよね。
昔、某サイトで知恵餅と書いたら、
厳しい指摘を受けました。
知恵餅、じゃなくて「智恵餅」だと。
不用意に書いて色々と突っ込まれて度々落ち込んでしまう我が輩です…。
 
 
境内に入りました
「鐘楼」
落城後、伊賀上野藤堂家に仕えた赤井直義(直正の子)は江戸時代に先祖供養のために建てて、梵鐘を寄進した。
ただし、現在の鐘楼は、大正時代に改築されたものです。
 
「本堂」
瓦の紋は「下がり藤」、
荻野家の紋で、赤井直正が荻野氏の養子になった頃の紋。
その時に寺が創建されたのでは?
という証拠だとか?
 
『庭』
「お福の腰掛け石」
お福は3歳までここで過ごした。
 
指月殿の裏に
「お福産湯の井戸」
今も水があります。
 
実は我輩、大河ドラマ『春日局』を見てない。
橋田壽賀子さん脚本で高い視聴率だったらしい。
再放送してくれないかな?
 
 
楼門を出るとその先に
『惣門』
1600年代に建てられたが、
黒井城の門の材料を使ってるので、黒井城ゆかりの唯一の建物。
 
 
興禅寺を出て西へ向かった
『兵主神社』ひょうずじんじゃ
名前の通り武の神様、
と同時にほうそう(天然痘)の守り神でもあり、宮家や公家なども参詣に訪れたそうです。
足が疲れてたのでこの参道は長かった。
本殿は、御所の寝殿造りのような建物で格式がある
 
いつもなら山登りの前に参拝するのだが、
今回は下山後の参拝となってしまった。
 
無事怪我も無くて登山できました、
と、感謝お礼の意味で参拝しました。
 
城跡を見上げる
天空の城ですな
 
15時11分
黒井駅に戻りました
 
よく考えたら山城登りは5月以降初めて。
体力的にも苦しかった…
 
 
 
Φ《#^ひ^♯》Φ
我が輩、長いこと生きてますが、
今回の台風の強風は恐怖に感じました
 
我が家に関してはトタン板が飛んだり、柿の木の枝が折れたり、雨漏りがしたり、
ちょこちょこ被害あったが
ともかく家も人間も無事でした
 
もう今年の台風はこれでおしまいにしてほしいものです
 
というか、あまり報道されてないが収穫前の稲や農産物の被害はいかばかりか?
 
今年は台風による我が国の経済的損失が半端ない、
と思う
 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

丹波黒井城 前編

2018年08月11日(土)
 
夏の青春18切符、3回目は、
兵庫県丹波市へ。
東海道線尼崎駅から丹波路快速で福知山線、篠山口で各停に乗り換え
降り立った駅は
『黒井駅』
11時15分、
ここまで三時間半かかりました。
目の前に黒井城が見えます
 
「局ちゃんと家光くん」
局は、春日局のことです。
 
駅から約10分で
「春日住民センター」
続百名城スタンプget!
これで8個目。
城の模型あり。
パンフレット兼縄張り図もいただく。
先にスタンプ押した若い人は、
暑いので山には登らない、という。
 
我が輩は、遠いところをはるばるやって来たので暑かろうが雨だろうが登りますよ!
旧春日町のマンホール
サツキと松の絵柄です。
 
登山口は、春日局生誕の地「興禅寺」の奥にあります。
 
11時47分到着。
駅からまっすぐ来れば徒歩約10分ほどの距離です。
登山コースは2つあり、
ここを真っ直ぐ登るのが緩やかコース。
我が輩は、駐車場の右手奥の急坂コースを登ることにした。
こちらには杖も置いてあります。
まずは、急な石段
100mごとに表示があるのが助かります
獣よけ柵を越える。
いつも思うのですが、
野生の王国に投げ出された気分、
これより食うか食われるかの世界に突入ですわ。
シダがいっぱいですが、道は刈ってくれてます
急な斜面なのでちょこちょこベンチが設置されていてこれまた助かります
 
『三段曲輪跡』
シダでわかりにくいが確かに何段かになってます
あと400m
登山口から約20分
猛暑で汗だく、全身びしょ濡れ。
上天気すぎて汗が止まらない。
 
この時点ですでにバテバテ。
 
緩やかコースを登るべきだったかな?
と後悔する。
 
12時14分
太鼓の段への分岐
 
本丸で昼休憩したかったので、
体力的に寄り道は御法度、
 
12時18分
『石踏の段跡』に到着。
本丸まではすぐなのですが、
あともう少し歩くだけの余裕が無くなってた。
というか、この場所は日陰でしかも
涼しい風が吹いてる。
なので、
ここで昼休憩、
パンを食べながら、
汗で濡れた服を乾かすことにしました。
 
 
1335年、赤松貞範が足利尊氏から春日部荘を与えられた
後に黒井城は地元の豪族荻野氏に奪われ、
さらに
1554年、赤井直正(悪右衛門)が城を奪った
赤井氏は信長に従うが、
但馬竹田城の山名氏を攻めたため、
山名氏は信長に救援を要請、
そこで、明智光秀が黒井城を攻撃することになった。
 
難攻不落な城なので、光秀苦戦。
1578年、城主の直正が死去、
光秀は背後の八上城を攻略した後、ようやく黒井城を落城させました。
 
そして、光秀は重臣の斎藤利三を城主にしました。
利三の娘が後の春日局です。
 
なお、赤井直正の弟時直は小牧長久手の戦いで家康に味方し籠城しました。
戦後、黒井城は廃城となりました。
ただし、赤井氏の子孫は旗本として取り立てられ、直正の子孫は藤堂家に召し抱えられたそうです。
この赤門はなんでここに建てられたのか、由来は不明。
赤松氏、赤井氏にちなんで赤門にしたのかな?
黒井城だから黒門でよさそうなものですが、麓から見上げると赤門はいい目印になります。
 
百名城巡りをしてるというオジサンと話をした。
大阪市から18切符で来たそうで、
この後福知山城でスタンプを押し豊岡で宿泊。
翌日は出石城と竹田城を巡ると言ってました。
 
出石と竹田攻めは同じ近畿地方だがあまりにも遠くて日帰りは難しい。
さて、いつ行けるやら?
 
約40分休憩して体力回復。
汗もひいたので、
本丸を目指しました。
 
13時00分、
東曲輪の虎口に来ました
ようやくです。
またしても金網。
本丸まで100mの表示がありますが、
ここまで来たらもう城内なので、
「東曲輪虎口」という表示のほうがいいと思うのですが…。
三の丸の石垣が見えてきましたよ!
石垣を見ると登山の疲れも忘れます
この上に隅櫓が建ってたらしい。
野面積みで、隅は算木積みっぽいですね。
恐る恐る東曲輪の石垣を見てます
下から見上げようと思ってもう一度虎口まで戻ったが、
石垣の下へ行けなかった
そこで、東曲輪に戻り下へ降りられそうな場所を探して
なんとか下からの撮影に成功しました。
一歩踏み外したら転落します。
そんな場所です。
 
↑三の丸虎口
 
三の丸櫓台の上から東曲輪を見る。
その先の尾根は東出丸→多田砦方面かな?
 
 
三の丸全体像
 
三の丸の看板の背後にあるのが二の丸櫓台の石垣
櫓台の左側が、二の丸虎口
 
二の丸下の南帯曲輪を見る
その先に二の丸と本丸を分ける虎口の石垣
この石垣の下も狭くて、注意しないと足を踏み外して滑落します。
戻って『二の丸』に入りました
二の丸虎口を見る
ベンチのある所が櫓台跡
 
二の丸南側の下を見る
先ほどの石垣がある
 
本丸へ向かう
その手前に空堀。
二の丸側にも石垣があり深い空堀だったと思われるが今は草が生えていて浅い。
 
南側の石垣に囲まれた虎口から
本丸に入りました
 
本丸から二の丸を見る
空堀に土橋があり渡ることができるが
これは後世のもの。
本来は土橋はなかったはず!
長くなるので
後編に続く
 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

福知山城&猪坂城

2018年4月7日

18切符最後の一枚は、丹波へ。
イメージ 1

なんとか赤字にならずに済みました
 山陰線高津駅、
イメージ 2
我が名前「馬秀の助」の由来となった故人が訪れた駅
一周忌の時、マイカーをここに停めて感傷にひたってたら、パトカーが来た…。

12時07分
福知山駅到着
イメージ 3

18切符安いのはいいけど、
時間かかりすぎ。
18切符、時間を金額に直したらホントに得なのだろうか?

園部から福知山までは、特急や対向列車待ちで何度も駅で停車。
走ってるより停まってるほうが長い!
一方、福知山線は尼崎から直通電車が少ない。
篠山線と名前変えたほうがいいのでは?
いやそれより篠山は京都府にすべきや!


まずは駅でパン食べる
『七城メロンパン』
イメージ 4

 七城は、熊本の菊池18城にちなんでます。
熊本城もいいけど八代城、宇土城、人吉城など訪れたい城がある。
いつになるやら?

そして、
福知山城天守
復興天守なので明智時代のものではない
イメージ 5

 墓石などの転用石がいっぱいの石垣
イメージ 6
これは、明智時代のものだとか?
転用石がこの付近に集中してるので
丹波支配のために明智光秀があえて周辺土豪に見せつけるために配置したと説明されてるが…。

続百名城初スタンプget!
イメージ 7
前の人も後ろの人もスタンプ目当ての人ばかりでした
住所は内記だが、実は内記丸は伯耆丸の南西(福知山駅付近)にあった

市役所裏の伯耆丸
イメージ 12

イメージ 9


イメージ 8
二の丸を隔てて本丸天守と番所(唯一現存)が見えます

 由良川の明智藪
イメージ 10


音無瀬橋を渡る
イメージ 11

 そして、

『猪崎城跡』
イメージ 13
看板から本丸まで数秒で登れる
イメージ 14

 この数ヶ月、登山口から山頂の本丸まで一時間も二時間もかかる山城跡ばかりだったので
この手軽さが嬉しかった。

イメージ 15
櫓台跡

本丸を取り巻く空堀と土塁
イメージ 16

 虎口付近は堀の中に仕切りがある
塹壕だとか?

凄いですね。

桜祭りということで、
綺麗に草刈ってくれて見やすかったです。
桜は散ってました
というか、花吹雪か雪吹雪かわからないような寒さでした

イメージ 17

 中世の遺構がそのまま残ってる城跡、
イメージ 18
池と由良川が水堀、
東西に段々曲輪が並ぶ
イメージ 19

 福知山城とセットで続百名城だ!


この後、駆け足で城下町を一周


イメージ 20
ガードマンが立ってるこの場所は
イメージ 21
京口門と番所がありました

町のあちこちにこのような解説板があるのが助かる

我が青い山脈城下町も少しは見習え!
彦根商工会議所前に「油懸口御門跡」の石碑があるが絵図も地図もないので外堀との位置関係がみえてこない
イメージ 23


これではドンツキなど城下町の縄張りが伝わらない
なんとかならないものか…

イメージ 22
ここが城下町の境

帰りの列車乗り遅れて帰宅したのは深夜になりました…

城跡と町歩きの詳細はまたいつかUPします


Φ《#^ひ^♯》Φ

月末の遠征に備えて準備と体力温存のため
今週、来週末のお出かけは自粛。

久しぶりに日曜日が寝て曜日ですわ

果報は寝て待て

GW上天気になりますように!


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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