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馬秀のすけのブログ
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16時06分
大門地区
こちらも集落内が本来の旧道だと思うのだが、なぜかこのまま国道を進んだ。
この時、旧道を進んでいれば、この先で迷わずに済んだのだが…
というか、疲労がたまり考える気力が失せはじめてました。
 
気温11度と表示されてるが、
暑い寒いの感覚も無かった
 
夜叉が池、右14キロ。
以前、長浜市高月地区で夜叉が池伝説を述べたが、あの夜叉が池です。
いつか行ってみたいものです。
農協大門出張所
マンホールのデザインが変わりました
シャクナゲを4分割してる。
今庄町は地区ごとにマンホールが違うのかな?
 
日野川の大門大橋を渡る。
いつのまにやら孫谷川が日野川に合流したようです。
実は方向感覚が麻痺していて
今どこを歩いてるのかわからなくなってました。
 
地図をみるがますますわからない
この付近で行きつ戻りつしてたら、
前方に例のそば道場発見!
そば道場で道を尋ねることにした。
すると、右手の公民館に車が入り、夫婦らしき人が降りた。
 
『南今庄駅に行きたいのですが』
と、聞いたら
「南今庄駅は山の向こうですよ。
夕方から山を越えるなんて無理。
この先の農協を右へ行くと今庄駅に行けます。今庄駅のほうが近いし安全ですよ。」
と、教えてくれた。
 
いつのまにやら南今庄駅を過ぎてたようです。
「南」だから、今庄駅よりは近いという先入観を持ってたが、実際は今庄駅よりも遠いのです。
いやそれよりも国道から山越えする道があるかどうか?
 
ありがとうございます、とお礼を言ったら
旦那さんが、
『もしよければ今庄駅まで車で送りましょうか?』
と、言ってくれた。
 
疲労度マックスだったので渡りに船とはまさにこのこと。
せっかくのお言葉、無下にしては悪いと思ったが、
ここで理性がよみがえった。
 
車に乗せてもらったら今まで苦労して必死に歩いてきた意味が無くなる。
目的は全行程、街道歩きなのだ!
 
悔しいが丁重にお断りしました。
 
でも、このありがたいお言葉に感動。
車から降りたのにまたエンジンかけて見知らぬ人を送迎するなんて面倒なこと、
普通ありえない。
近江の人間なんか、そんなお人好し絶対に無い!
それだけに嬉しくて歩く元気が出ました
 
再び先ほどの農協前に戻り北上する
16時33分
『合波バス停』
あいば、と読む
画像は明るくみえるが、実際はかなり薄暗くなってました。
 
しばらく歩いてると国道が渋滞し始めた。
すると一台の車が横に停まり、
『どちらへ行かれるのですか?』
と、聞いてきた。
「今庄駅です」
と、答えると
『送りましょうか?』
と、言う。
 
また、ですか!
越前の人はどんだけ親切なの?
お言葉に甘えたいけど、
「歩くのが仕事なので…」
と、丁重にお断りしました。
 
疲れきって足を引きずるようにヨタヨタと歩いてたので可哀想だと思ったのかもしれないが、
それにしても
峠を越えたら別世界の国に来た気分になりましたよ。
 
途中で集落に入りました
こちらが旧道だと思います
 
16時42分
輪光寺
 
踏切に来ました
目の前の山は燧ヶ城跡だと思います。
 
最後の力を振り絞って進むと
 
16時49分
『文政年間の追分碑』
敦賀からの峠越えは本来山中峠だったが、後に木ノ芽峠越えに変わった。
両方の峠越えと栃ノ木峠越えからの北国街道と3つの道がここで交わる。
いよいよ今庄宿です。
 
すぐ横に
『追分道標』文政16年(1830)
頭部に火袋が付いてるので常夜灯の役割を兼ねてます。
これは間違いなく笏谷石製です。
「右 京 つるが(敦賀)わかさ(若狭)道」
 
反対側は
「左 京いせ江戸道」
 
今庄宿から追分道標に来たら
右へ行けば敦賀経由の西近江路(湖西)、あるいは若狭経由鯖街道で京都へ。
左へ行けば、北国街道経由で京都江戸へ向かう、
というわけですな。
 
文政の道しるべ。
こちらは現代の道標です。
 
ブログの容量制限があるため
宿場内の紹介は後日アップします。
 
そして、
17時04分、
今庄駅到着。
すでに日没になってました
駅舎が修築中で、入口がわからず迷いましたよ。
仮設通路を通り
改札口からホームへ。
当然ながらあたりは真っ暗。
夏ならまだまだ明るい。
歩く時期の選択を間違えた、と後悔する。
 
切符
福井県の名誉のために申し上げますが、
福井県も文明開化して、
現在は北陸本線すべての駅でICカードが使えますよ。
 
以上、途中であきらめかけたが、
最終的には無事に今庄宿に到着できました。
 
まずはめでたしめでたし。
帰宅すると、歩数は
 
44996歩、26.9キロ。
 
前代未聞の数字を叩き出しました!
 
そのかわり
靴下が血に染まっていて
足の指が擦りきれてました。
 
鳥居本宿から今庄宿まで約70キロ、全部歩いて制覇しました
余は満足じゃ!
 
以上おしまい
 
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
身体はボロボロになったが、五体満足で峠越えの難所を無事制覇できて、
これが大きな自信になった。
 
実は北国街道歩きはここで終了する予定でした。
でもこの自信が
その後の中山道、東海道など諸街道歩きへと間口を広げるきっかけとなったのであった。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今回でヤフーブログのアップ終了です。
長らくご覧いただいた方々、コメントいただいた皆様、
ほんとにありがとうございました

では、さようなら

馬秀の助
2016年10月30日(日)
14時43分、
孫谷川の橋を渡り旧道へ。
「白山神社」
近江では天台宗系の日吉神社が多いが、越前から加賀にかけては白山神社が増えると思う。
そういや、我がひこにゃん市の以前住んでた地区にも白山神社があった。
狛犬、笏谷石かな?
越前の石はなんでもかんでも笏谷石と思い込んでる…
 
蕎麦屋さん。
ずっと歩いてきて久しぶりに店を見た。
時間が無いのでスルーしました。
家がまばらだが、往時は下板取宿として栄えたのだろうな。
 
由来書
所々、消えかかっていて読みにくい。
やはり、虎杖(いたどり)が多く茂っていたので地名になったようだ。
足利義昭、朝倉太郎左衛門が通過、
織田信長は二度目の越前侵略の帰りに通過した、と書いてある。
 
再び橋を渡り
旧道から国道に合流
今庄そば道場まで、あと4.3km
一里ちょっとなので4時頃には着けそうだが、実はかなり体力と脚力が消耗してきた。
長い下り坂は意外に足に負担がかかる。
何を撮影したかというと、
沢蟹です…
 
お地蔵さん。
斜面に鎮座してます
集落が見えてきました。
国道歩いていても面白くないし危険なので、集落内に入ります
旧今庄町のマンホール。
平成の合併で南越前町と改名されたが、マンホールは旧町名が反映されていて、嬉しい。
そば道場しか無いんかい?
と、突っ込みを入れたくなる。
孫谷集落
「山神神社」
バス停があるが、住民しか利用できないようです。
 
二宮尊徳像。
歩きスマホはダメだが、本を読みながら仕事するのはいいのです!
 
数十年前まで、家のお風呂は薪を入れて沸かしてました。
藤堂高虎の伝記を読みながらお風呂がわくまでひたすら薪を放りこんでました…
 
この付近の民家、
玄関に透明の囲いがありテラス状になってる
これは、雪対策なのだと思う。
以前、越後高田城に行った時に、城下町では雁木という雪対策の庇を張り出した構造物があった。
似てますな。
 
 
孫谷生活改善センター
15時30分
国道に合流
 
橋を越えて右手に休憩施設発見!
足がパンパンだったので
しばし足休めした。
 
この時点で今庄宿へ行くのはあきらめた。
南今庄駅を目指します
こちらの玄関のテラスは広い!
集落が消えて山あいを進む
カーブの先に集落が見えてきた

後編へ続く
 


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2016年10月30日(日)

13時11分、
栃ノ木峠を後にして国道365号線を下る
これより越前国です。

今庄宿まで約14キロあります。
午前中10キロ歩いたので合計24キロ歩くことになる。
ただし、幸いなことにこれから先は下り坂のみ!
体力の負担が少なく、時間もかなり節約できるはず…

真っ直ぐ下るだけならもっといいが、さすがにそうはいかない。
つづら折れですわ。

歩道はない

南越前町上板取の標識

13時40分、ヘアピンカーブ。

若い頃、3台の車で越前廚海岸へ向かったことがある。
他の2台はスピード出しながら曲がっていくが、運転下手な我が輩はずっとブレーキかけながら低速で慎重に下る。
引き離されまいと焦ってスピードをあげると、谷底に落ちそうになる。
いやぁ、恐かったです。

余談ですが、
昔、岐阜県の恵那峡に行った時、ブレーキ踏みながら山を下っていて、レストランの駐車場にバックで入ろうとしたら、ブレーキが効かなかった。
建物にぶつかる直前で、とっさにサイドブレーキを引いたらなんとか停まりました。
山道ではエンジンブレーキを使うべきですね。


かなり下りました

石仏、南無阿弥陀仏と彫ってある


14時05分、

国道の分岐に来ました。

険しい峠を無事越えられてホッとしました。

敦賀から木ノ芽峠を越えてきた国道476号線と合流する。
敦賀市街地まで15キロだなんて…

当然ながら右へ進む

板取地区に入りました

「小屋谷川」

栃ノ木峠からずっと孫谷川沿いを歩いてるはずなのですが…

それよりも「こやんたんばし」という読み方にびっくりポン!

この付近は谷を「たん」と呼ぶのかな?


14時15分、今庄スキー場入口。

栃ノ木峠から1時間かかりました。
我ながらかなり早いペースだと思う。
入口の向こうに
「今庄365温泉」

ここで休憩。
と言っても温泉が湧いてない。
足湯にしてほしいな。
仕方ないので、休憩中止、
再び国道を下る

少し歩いて、ふと崖の上を見たら古い民家のようなものがある。

もしや?

と思い、慌てて引き返した

スキー場の看板

板取宿の表示見つけた。
いやそれより、木ノ芽峠城塞群へはここから行けるようだ。
まだ2時なので登るのは可能だと思うが、今は晩秋。
ぐるっとまわって戻ってきたら日没になりかねない。
ここで野宿するのは嫌だ!
というわけで、今回は断念しました。

スキー場へは行かずに右手へ向かうと門柱あり。

14時24分、
ここが『板取宿』の上木戸跡。
木ノ芽峠越えと栃ノ木峠越えの分岐の場所。
1601年、福井初代藩主結城秀康がここに関所を設けた。
井伊家の柳ヶ瀬番所と同じく福井藩も出女と入鉄砲を取り締まるのが主目的だったようです。
板取宿、幕末には53戸の家があり、旅籠が7軒、問屋が3軒もあり栄えたが、昭和50年頃に廃村となった。

門を越えると石畳道となる。
鳥居本宿から歩いてきて、初めての石畳です。
ようやく街道らしい場所に来ましたよ。

石畳を振り返ってみる


関所跡の表示


茅葺き屋根の家が並ぶ。

入り口の家、よく見たら洗濯物が干してある。
廃村になったハズだが、この一軒だけ居住者がいるようです。

下ると車があります。


福井認定証ふくいの伝統的民家

この看板、若狭熊川宿でも見ましたよ。

【兜造り民家】

兜をかぶったような屋根が特徴。

茅葺き屋根、土壁と柱、板張り

いいですね。
養蚕が盛んだったのでこのような造りになったそうです。


越の国へようこそ。

板取宿のかやぶき民家保存活動をされてる人の記事。
町内の家から毎日通って民家の手入れをされてるようです。

手入れしないと、このように朽ちてしまうのだろうね。

中をのぞいた

残念な有り様です。

下木戸、です。

振り返ってみる

数百メートルの短い区間なので数分で通りすぎてしまう。
あまりにももったいないのでもう一度、上木戸まで戻り、再び下木戸まで下りましたよ。

中山道では、馬籠など石畳の道や古い雰囲気を残した宿場がいくつも残されてるが、北国街道ではここまで全く残ってなかった。
これから先もゴールの直江津までこのような風情のある宿場、あるだろうか?

そういう意味で板取宿、ホントに貴重!
変に観光地化されずにこのままの姿をこれからも維持してほしいものです。

14時32分、国道に合流しました。

こちらには駐車場、トイレがあります。
ここに駐車して木の芽峠城塞群へ行くのがよさそうだ。
でも冬は国道365号線通行止めのはず。
攻めるなら時期的には春先かな?

木ノ芽峠4.2km
下板取宿0.4km

国道から孫谷川の橋を渡って

下板取へ向かいます

それにしても、
木ノ芽峠→木の芽
栃ノ木峠→栃の実
板取宿→虎杖(イタドリ)

山菜を連想させる地名ばかり…

その30に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
日曜日の朝、
我がひこにゃん駅のホームでベンチに座ろうとしたら、
財布がある。
どうやら置き忘れのようです。
すぐに改札口に行き駅員に渡した。
駅員は、名前を教えてくれと言ったが、落とし物の報酬、謝礼はいらないと、断った。
手続きのために電車に乗り遅れるほうが困るからだ。

そして、小松駅から北国街道歩きした。
寄り道多いので一向に先へ進まない。
小松市にはあと何回か行かねばならないようで、
金沢城に到着するのは来年になりそうだ…

帰りに、武生駅で電車が10分以上停車。
特急2本を先に通すためです。
青春18きっぷなので、特急に乗るわけにはいかない。
悔しいけど、我慢、我慢ですわ。

しかし、突然、花火が上がった!

たまたま偶然だが、この日は越前市の花火大会があり、武生駅のすぐ近くが打上場所。
大きな音、迫力が半端無い!
 
 
いやぁ、思いがけない余興を見られて感激!
これなら30分くらい停車してくれても良かったな。

思いがけないサプライズ、ご褒美!

これは朝の我が輩のおこないが良かったから、
と思うことにしました、

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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