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界の古代年表(6)

☆光考天皇、在位(884〜887)



○元慶8年(884)3月9日【『日本三代』】

◆甲斐守…藤原当輿。従五位下。補任。兵部少輔。



○元慶8年(884)11月5日【『日本三代』】

…山梨郡石禾…山梨郡石禾郷清原当仁の宅に嘉禾が生えたと報告。



○仁和1年(885)2月【『日本三代』】

◆甲斐介…橘嘉樹。従五位下。散位。



…この頃… 駒牽。太政大臣藤原基経が『年中行事障子文』を内裏に献上する。 八月 七日、牽、甲斐国勅旨御馬事。

八月十三日、牽、武蔵国秩父御馬事。

八月十五日、牽、信濃国勅旨御馬事。

八月十七日、牽、甲斐国穂坂御馬事。

八月廿 日、牽、武蔵国小野御馬事。

八月廿三日、牽、信濃国望月御馬事。

八月廿五日、牽、武蔵国勅旨牧並立野御馬事。

八月廿八日、牽 上野国勅旨御馬事。





○仁和2年(886)2月3日・5月18日【『日本三代』】

◆甲斐守…藤原当興。在任。

…召問、左右大臣、甲斐守藤原当興ら拝任後任国に赴かない国主十名を召問する。次いで

当興ら四名の告身を取り上げる。



○仁和2年(886)6月13日【『日本三代』】

◆甲斐守…平任世。従五位上。補任。大判事。



☆宇多天皇、在位(887〜897)



○寛平5年(893)3月16日【『類聚三代格』】

…太政官符…應令牧監填償缺失牧馬事。

…右ハ甲斐、武蔵、信濃上野等ノ国ノ御牧使右馬助源悦ノ解状ヲ検スルニ、ク、牧ニシテ

官馬牛ヲ失ヘバ、牧子長帳ニ徴すベキノ文已ニ明ナリ。国司及牧監ニ於テハ、其法未ダ立

タズ、唯諸ヲ牧帳ニ勘シ、国司牧監相共ニ署印ス。然ラバ則チ御馬ノ缺失、何ゾ知ラザル

ベケンヤ。今検実ノ日ニ、若シ無實ノ馬数多ケレバ、令ニ依テ牧子長帳ニ徴センカ、将タ

署帳ニ依勘シテ国司牧監ヲ責メンカ、若シ共ニ責ムベクハ、牧子長帳ニハ已ニ率分アリ、

国司牧監ニハ未ダ其数ヲ見ズ。何ノ法ニ准ジテ将ニ辨行セシメン。中納言兼右近衛大将従

三位藤原朝臣時平宣、勅ヲ奉ルニ、凡ソ缺失ヲ致スニ於テハ、国司牧監共ニ其罪アリ。然

而しテ国司ハ雑務繁多ニシテ、専一ナルニ、凡ソ遑アラズ。須ラク其怠ヲ責メテ物ヲ徴ス

べカラザルベシ。但牧監ハ牧事ヲ専行シ、兼濟スルニ所ナシ。亦須ラク其怠ヲ勘シ、牧子

ニ准ジテ之ヲ徴スベシ



〔解説、抜粋〕【『甲府市史』】

…今後検査のある日に欠失の馬数が多かった場合、令によって牧子・長・帳だけに弁償さ

せるか、国司・牧監に責任を取らせるか、もし両者に責任を取らせるとすれば、国司・牧

監には弁償の比率の規定がないので、どの法律を適用したらよいのか。国司は仕事が煩雑

なので弁償は酷で、牧監は牧の仕事に専念しているので当然弁償責任を認めて弁償を命じ

た。



○寛平6年(894)2月28日【『古今和歌集目録』】

◆甲斐権少目…凡河内躬恒。在任。

…かひのくにへまかりける時道にてよめる

……夜を寒むみおくはつ霜をはたひつゝ草の枕にあまたゝび寝ぬ…

《雑録》

…凡河内躬恒…『南部町誌』には篠井山に因んで凡河内躬恒のことが記載されている。

…躬恒の甲斐赴任してこの地に住んだのでこの土地を大河内と呼び、都を懐かしむ篠井山

に登り、山頂に霊を鎮めたという。篠井山は躬恒の官位、従四位が転化したものという。

山頂には四ノ位明神が祀られていて躬恒の宝が埋められているという。



○昌泰1年(898)10月【『忠峯集』】

…壬生忠峯…この頃、陽成上皇の使者として壬生忠峯が甲斐国へ下向する。

…かひのくににまかる、まかりまうしに

……きみがためいのちかひへぞわれはゆくつるてこほりちよをうるなり……



…たたみねがもとに 紀貫之【『貫之集』】

……甲斐がねの松に年ふる君ゆゑに我はなげきと成りぬべらなり……



☆醍醐天皇、在位(897〜930)



○昌泰2年(899)2月【『古今和歌集』】

◆在原滋春…甲斐守赴任。

…甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、みちなかにてにはかに

病をしていまいまとなりにければ、よみて「京にもてまかりて、母にみせよ」といひて人

につけて侍りける歌

……かりそめのゆき甲斐路とぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり

【『大和物語』】

…この在次君、在中将の東に往きたるにあらむ、この子どもも人の国通ひをなむしける。

心ある者にて、人の国の哀に心細き所々にては、歌よみて書付けなどしける。(中略)

…かくて、人の国ありきくて、甲斐の国に到りて住みける程に、病して死ぬとて詠みたり

ける。



《参考》【『古今和歌集』】所収、甲斐に関する歌

…しほの山さしでの磯に住む千鳥君が代をばやちよとぞ鳴く

…頭注…能因が歌枕を引いて、甲斐国に在りとある。今同国甲府から東北三里許、笛吹川

に沿って、小邸あるあたりを「さし出」といひ、それより二里許北方にある山を「塩山」

といっている。(中略)

…さし出の磯はさし出た磯の義だから、何処でもいはれる語である。

…契沖にいふ、「平家物語に、しほの山打ち越えて能登の国小田中親王の前に陣を取る。

…又能登越中の境なる「志保の山」と見えたるその「志保の山」にて、「さし出の磯」も

そのあたりならん。

【『古今和歌集評釈』金子本臣著】

…真淵いふ、(略)之乎(しほ)を後に「しほ」と誤り、それよりさし出の磯とは設けてよ

めるか。云々

   

…かひうた…【『古今和歌集』】所収

…かひがねをさやにも見しがけゝれなく横ほりふせるさやの中山

…甲斐がねをねこし山こしふく風を人にもがもや言づてやらむ



○昌泰12年(870)7月【『寒川神社社記』】

…富士山…中央火口噴火。



○昌泰13年(871)6月

…太政官符…甲斐武蔵両国に令す。先に郡領駅長等が申状に云、云々



○昌泰18年(876)

…太政官符…応に牧監等をして牧の格を検校しせしむべきの事。云々



○寛平5年(893)3月16日

…太政官符…應令…牧監填償缺失牧馬事。

…右ハ甲斐、武蔵、信濃上野等ノ国ノ御牧使右馬助源悦ノ解状ヲ検スルニ、云々


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