|
甲斐国司6
○康和2年(1100)1月【『柏尾白山出土経筒』】
…僧、寂円、甲斐国山東郡牧山村米沢寺に於て写経を開始。
○康和2年(1100)3月【『為房卿記』】
◆甲斐守…藤原惟実。伊勢神宮神人を凌轢する。
○康和2年(1100)6月28日【『百錬抄』『甲府市史』】
◆甲斐守…藤原惟実。
…六月廿八日、甲斐守惟信・大膳亮仲範を贖銅(しょくどう/罪を犯した者に実刑の代
償として、相当額の銅を納めさせたことをいう)すべく、左近府生秦武忠を禁獄すべき
の由宣下す。是去る三月伊勢太神宮の神人、途中に於いて前の大相国(だいそうこく/
太政大臣)に遇い、無礼いたすの間、武忠神人を搦め取る。神宮の訴えに依りてなり。
○康和2年(1100)7月1日【『為房卿記』】
◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。
…内覧となって最初の着陣に向かう藤原忠実の前駈をつとめる。
○康和2年(1100)8月28日【『百錬』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。三月の件について惟信は贖銅に処される。
○康和3年(1101)7月1日【『宮寺縁事抄』】
◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。石清水八幡宮臨時祭で陪従をつとめる。
○康和3年(1101)10月13日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。右大臣忠実に馬二頭を贈る。
○康和3年(1101)12月9日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。藤原忠実邸に家司として出仕する。
○康和4年(1102)1月23日【『魚魯愚抄』
甲斐掾 (不詳) 甲斐掾に任じられる。
○康和4年(1102)5月13日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原惟実。甲斐守を重任する。
《解説》【『甲府市史』】
…甲斐守、藤原惟実は4年の任期が終わったが、成功(じょうこう)により、重任を許
された。平安時代中期以後、中央の財政が乏しく行く中で、国司の中には任期中に私財
を肥やし巨富を積む者が多く現れた。そこで国司に内裏の殿舎の修築、宮廷の各種の行
事、あるいは寺社の堂塔・社殿の造営など、本来は公費から支出すべきものを負担させ
その「功」を「成」し遂げる者に特に重任することを認めた。
○康和4年(1102)2月3日 【『殿暦』】
◇源義光 ☆刑部丞源義光、右大臣馬二疋を贈る。
○康和4年(1102)7月15日・21日【『諸寺供養類記』『殿歴』】
◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。楽行事の補佐及び堂童子をつとめる。
○康和4年(1102)3月18日・7月21日【『諸寺供養類記』『中右記』】
◆前甲斐守…藤原行實。在任。
…受領成功(じょうごう)として五寺五大尊像の費用負担。
○康和4年(1102)11月12日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。馬二頭を藤原忠実に献上する。
○康和5年(1103)
…1月22日・4月3日・10月12日・11月14日・11月21日、在任。
…【『御産部類記』『柏尾経筒』『殿歴』『本朝世紀』『中右記』】
◆甲斐守…藤原惟実。宗仁親王の誕生七夜読書儀で、読書博士にう禄をとりつぐ。
○康和5年(1103)2月30日【『本朝世紀』】
◆甲斐権守…源惟兼(これかね)従五位下。在任。
○康和5年(1103)2月30日【『本朝世紀』】
◆前甲斐守…藤原行實。武蔵守に任じられる。離任。
○康和5年(1103)7月25日【『僧網補任』】
◆前甲斐権守…藤原仲宗。在任。
…前権守藤原宗仲が再建された興福寺の落慶供養において南大門行事をつとめ、この賞
で従五位下となる。
○康和5年(1103)10月12日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。舞姫を献ずるよう五節定で決定される。
○康和5年(1103)11月14日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。惟信らの献じた五節舞姫が参入する。
○康和5年(1103)11月22日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。甲斐守藤原惟信が賀茂臨時祭の陪従をつとめる。
○長治2年(1105)1月27日【『大間成文抄』】
◆甲斐少掾…源国次。正六位上。補任。
○嘉承1年(1106)10月28日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。甲斐守惟実、関白忠実に馬七疋を贈る。
《解説》【『甲府市史』】
…甲斐守藤原惟信の忠実への貢馬は、康和三年二疋、重任直後の同四年二疋、それに今
度の七疋と満五年間に三度も見える。公的な駒牽に代わる国司の権門への私的駒牽の感
がある。
○嘉承2年(1107)12月28日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原惟実。在任。(10月28日、在任記事)
…藤原忠通の右中将就任の慶申にあたって馬四頭を忠通の父忠実に献上する。
○嘉承2年(1107)4月【『平安遺文』】
※東寺、甲斐など十カ国の封戸の済物進未勘文を注進する。
…勘進未済国
甲斐国…康和二…以後七年未済…千五百五十石
○天仁1年(1108)1月7日【『中右記』】
◆甲斐権守…平知信(とものぶ)。従四位上。兵部大輔。在任。
…平知信が摂政藤原忠実の使者をつめる。
○天仁1年(1108)1月24日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原師季(もろすえ)正四位下。補任。甲斐守に任じられる。
…保安元年(1120)7月19日卒。
○天仁1年(1108)7月27日【『中右記』】
◆甲斐権守…平知信。摂政藤原忠実の使いで藤原宗忠のもとに赴く。
○天仁2年(1109)9月6日【『殿暦』】
◇甲斐甘利馬。
◆甲斐守…藤原師季。摂政藤原忠実の高陽院(かやのいん)で競馬が行なわれ、甲斐守
藤原師季の馬と忠実の甲斐国甘利の馬が出場する。
…六番…右…右番長佐伯国重余随身。鹿毛。阿万利余馬也。
○天仁2年(1109)9月26日【『殿暦』】
◇甲斐甘利馬…甘利の馬が摂政藤原忠実の高陽院の競馬に甘利栗駒出馬する。
○天永1年(1110)6月9日【『武田系図』】
◇甲斐源氏…源清光。源清光が生まれる。
…新羅三郎義光−武田冠者義清−逸見黒源太清光
……義清。久安五年(1149)於、市河荘卒、七十五歳。
……清光。仁安三年(1168)甲州卒、年五十九歳。
○天永2年(1111)10月5日【『殿暦』】
◆甲斐守…藤原師季。馬十頭余りを白河法皇に献上。
《参考》
○天永2年(1111)11月20日
◆甲斐…大江匡房 死去。『江家次第』の著者。
《参考》
…年不詳…
◆甲斐権守…源季明。従五位。在任。
◆甲斐権守…源朝臣季明。在任。【『大間成文抄』春】
◆甲斐権掾…永原貞雅。正六位上。在任。【『大間成文抄』秋】
◆甲斐大掾…大原助道。七位上。在任。【『魚魯愚抄』】
◆甲斐掾……藤原守秀。正六位上。在任。【『魚魯愚抄』】
○天永3年(1112)2月12日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原師季。在任。朝覲行幸に奉仕した賞で、正四位下を授けられる。
○永久1年(1113)3月25日【『長秋記』】
◆甲斐守…藤原師季。在任。醍醐寺釈迦会の費用を出す。
○永久2年(1113)3月9日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原師季。在任。奏上を白河法皇に取り次ぐ。
○永久2年(1113)4月3日【『近衛家文書』】
◇逸見荘…藤原師実の妻麗子が死去する。
…この頃、藤原忠実が、祖母麗子より甲斐国逸見荘を伝領する。
○永久2年(1113)10月1日【『近衛家文書目録』】
…堀川天皇中宮篤子内親王が死去する。
◇小笠原牧…この頃、藤原忠通が篤子親王より、甲斐国小笠原牧を伝領する。
……庄々間事。相伝所々
……甲斐国。小笠原。篤子内宮領内。
……同国。 逸見荘。
○永久2年(1114)12月29日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原師季。在任。白河法皇の院司として藤原宗忠の奏上を取り次ぐ。
○永久3年(1115)1月29日【『中右記』】
◆甲斐守…藤原師季。離任。
○永久3年(1115)1月29日【『公卿補任』】
◆甲斐守…藤原長輔。正四位下。在任。
○元永1年(1118)3月27日【『中右記』】
◆前甲斐守…藤原師季。在任。前甲斐守藤原師季が出家する。
○元永2年(1119)1月24日【『任国例』】
◆甲斐少掾…紀(不詳)。在任。校書殿執事。
○元永2年(1119)1月24日【『任国例』】
◆甲斐大掾…秦(不詳)。在任。
○元永2年(1119)2月23日【『中右記』】
◇大井荘…前遠江守源基俊が、甲斐国大井荘を娘に譲る意志を藤原宗忠に語る。
○元永2年(1119)5月29日【『長秋記』】
◆女房甲斐…女房甲斐が、この日誕生した皇子(嵩徳天皇)の乳母となる。
○元永2年(1119)5月30日【『長秋記』】
◇甲斐国鶴郡…鳥羽天皇皇子(嵩徳天皇)の三夜産養の廻粥において、甲斐国鶴郡のか
かわる問答が行なわれる。
○元永2年(1119)7月20日【『長秋記』】
◇乳母甲斐君…乳母甲斐君が、顕仁親王(嵩徳天皇)の御行始儀で白河殿に赴く。
○元永2年(1119)12月8日【『長秋記』】
◆甲斐守…藤原長輔。在任。三河守源有賢の娘と結婚する。
○元永2年(1119)12月8日【『任国例』】
◆甲斐大掾…秦(名欠)。補任。
◆甲斐小掾…紀(名欠)。補任。
|