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○永保1年(1081)10月11日【『水左記』】

◆甲斐守…橘成経。在見。



○永保2年(1082)12月【『東大寺文書』】

◆甲斐守…藤原永親。在任。甲斐守藤原永親が下文に署判を与える。



○永保3年1月(1083)【『拾遺往生伝』】

◆甲斐守…藤原永親。死去。甲斐守藤原永親が死去する。



○永保3年(1083)3月28日【『扶桑略記』】

■富士山噴火



○永保3年(1083)【『世紀』】

○甲斐守…藤原有佐。この頃補任カ(『山梨県史』)



○寛治1年(1087)11月18日【『本朝世紀』】

◆甲斐守…藤原有佐(ありすけ)。従四位下。甲斐守に在住していた時の功績による。



○寛治2年(1088)1月25日【『公卿補任』】





○寛治2年(1088)3月13日・3月23日【『王朝漢詩』・『寛治之記』】

◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。

  

○寛治2年(1088)3月23日【『寛治之記』】

◆甲斐権守…源盛長。在任。



○寛治3年(1089)1月22日【『大饗』】

◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。



○寛治4年(1090)6月5日【『為房』】

◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。



○寛治5年(1091)1月28日【『師通』『江記』】

◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。



○寛治5年(1091)8月6日【『後二条通記』】

◆甲斐守…藤原為隆。遷任。任淡路守。



○寛治5年(1091)8月6日【『師通』『為房』『世紀』』

◆甲斐守…藤原行實。正四位下。補任。



○寛治6年(1092)1月19日・3月19日【『中御室』『血脈』】

◆甲斐権守…藤原朝輔。在任。権守藤原朝輔が堂童子をつとめる。

◆前甲斐守…藤原盛実。在見。【『為房】】

◆前甲斐守…藤原道政。在見。【『中御室』】



○寛治7年(1093)3月20日【『白河』】

◆甲斐守…藤原行実。在任。



○寛治7年(1093)10月17日【『中右記』】

◆前甲斐守…藤原為隆。功過定。



○嘉保1年(1094)2月22日【『除目大間書』『任国』】

◆甲斐守…藤原永実(ながざね)従五位下。補任。



○嘉保1年2月22日(1094)【『除目大間書』】

○甲斐大掾…藤原行貞(ゆきさだ)。正六位上。(この年の除目甲斐介・権介不在)



○嘉保1年(1094)3月19日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。従四位下。補任。



○嘉保1年(1094)8月15日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。従四位下。在任。



○嘉保1年(1094)9月17日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。甲斐守藤原行實の任期が嘉保二年まで。



○嘉保2年(1095)3月26日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。在任。



○嘉保2年(1095)12月29日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。重任。



○永長1年(1096)1月10日【『中右記』】

◆甲斐守…藤原行實。従四位上。在任。

○永長1年2月29日

○永長1年3月1日

○永長1年 4月16日



○承徳1年(1097)1月29日【『中右記』】

◆甲斐掾…日下部武国。従五位上。補任。



○承徳1年(1097)12月28日【『近衛家所領目録』】

《逸見荘園》

…藤原師実の妻源麗子が、内親王の養女として、甲斐国逸見荘園を伝領する。



○承徳1年(1097)3月24日・10月17日【『大納言』・『時範』】

◆甲斐守…藤原永実。在任。



○承徳2年(1098)2月30日・3月6日・8月27日【『小右記』】

◆甲斐守…藤原行実。在任。



○承徳2年(1098)3月9日・11月14日【『宮寺』・『長秋』】

◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。



○康和元年(1099)5月28日【『僧綱』】

◆甲斐守…藤原行実…在任。



○康和2年(1100)3月・8月28日【『百錬』】

◆甲斐守…藤原行実…在任。



○康和2年(1100)7月1日【『為房』】

◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。

甲斐の古代年表(9)

甲斐国司5



寛徳元年(1044)この頃?【『中御室』】

◆甲斐守…藤原道政。補任。



寛徳元年(1044)11月6日この頃?【『伊勢勅使』】

◆甲斐介…藤原惟盛。在任。



永承元年(1046)10月28日【『法隆寺文書』】

◆甲斐介…三統(名欠)。在任。

◆甲斐掾…平(名欠)。この年補任。【『任国例』】



○天喜2年(1054)【『大弐資通卿家歌合』】

◆甲斐権守…在任。源師俊が、冬以前に和歌を詠む。

…永承五年(1050)以降補任。(『山梨県史』)



○天喜4年(1056)7月22日・11月14日

◆甲斐介…紀(名欠)。在任。



○天喜4年(1056)春。【『大間成文抄』】

◆甲斐小目…紀光安。従七位上。補任。



○康平1年(1058)春。【『大間成文抄』】

◆甲斐掾…三枝成義(しげよし)正六位上。補任。



○康平3年(1060)【『洞院家記』】

◆甲斐守… 藤原章経(あきつね)。従五位下。



○康平4年(1061)【『康平四年春叙目大間尻付抄』】

◆甲斐大目…(名不詳)在任。   



○康平7年(1064)3月3日【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原実政。前甲斐守。四位下。補任。 …『公卿補任』承暦四年(1080)頃。

【『本朝世紀』】

…藤原実政本朝世紀治暦四年七月十九日条に見える。

【『新古今集』】

…みこの実やと申しける時太宰大弐実政学士にて侍ける。

…甲斐守にてくたりけるに餞給はすてと

……思ひ出はおなし空とは月を見よ程は雲井にめぐりてあふまで……



○治暦2年(1067)1月22日【『道院】】

◆前甲斐守…藤原章経。



○治暦3年(1068)1月【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原実政。従四位上。在任。



○治暦3年(1068)3月3日【『王朝無名漢詩集』】

◆甲斐守… 藤原実政。在任。藤原実政が詩宴を催す。

  

○治暦4年(1068)7月19日【『本朝世紀』】

◆前甲斐守…藤原実政。正四位下を授けられる。

【『後拾遺和歌集』】紀伊式部の歌。

…隆経朝臣甲斐守に侍ける時たよりつけてつかはしける ……いつかたと甲斐の白根はしらねとも雪降るごとにおもひこそやれ……



○治暦4年(1068)【『水左記』】

◆甲斐守…橘成経。この頃補任か。(『山梨県史』)



○延久1年(1069)【『大間成文抄』】

◆甲斐権守…(不詳)この年、甲斐権守(姓名不詳)が任じられる。



○承保3年(1076)3月15日【『宮寺縁事抄』】

◆甲斐守…源仲宗。甲斐守源仲宗が陪従をつとめる。



○承保3年(1076)3月15日【『興福寺別当次第』】

◆前甲斐守…藤原頼経。入滅。年六十七。    



○承暦1年10月30日(1077)【『水左記』】

◆甲斐守…源仲宗。甲斐守源仲宗が春日神馬使をつとめる。



○承暦3年(1079)3月13日【『宮寺縁事抄』】

◆甲斐権守…藤原惟信。在任。



○承暦3年(1079)7月10日【『御産』】

◆甲斐権守…藤原惟信。在任。甲斐権守藤原惟信が陪従をつとめる。



○承暦4年(1079)4月7日【『水左記』】

◆甲斐権守…藤原惟信。在任。



○承暦4年(1079)8月24日【『大納言』】

◆甲斐権守…藤原惟信。在任。



○承暦4年(1080)9月20日【『師記』】

◆甲斐進士…(姓欠)為季(ためすえ)甲斐進士為季が尋問を受ける。



○永保1年(1081)1月5日【『師記』】

◆甲斐守…源仲宗。在任。甲斐守源仲宗の受領功過定が行なわれる。

界の古代年表(8)

○長徳2年1月25日(996)【『長徳二年大間書』】

◆甲斐権掾…大春日遠明。正六位上。

◆甲斐掾…坂本広茂。正六位上。

◆甲斐掾…三国重信。名替停。



○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…賀陽文時(かやのふみとき)



○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】

◆甲斐権掾…山背師光もろみつ 正六位上 補任。

◆甲斐権大目…伊豆友近(ともちか)甲斐権大目。補任。

◆甲斐権小目…大和(名不詳) 甲斐権小目 補任。



○長徳3年5月19日(997)【『権記』】

◆甲斐守…源忠規。甲斐守源忠規の従者、勅旨に狼籍をして逮捕される。



○長徳4年1月25日(998)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…賀陽文時。名替停。

◆甲斐介…私氏民(きさいのうじたみ)正六位上。補任。

◆甲斐権掾…山背師光(もろみつ)正六位上。名替停。

◆甲斐権掾…子部吉景(こべのよしかげ)正六位上。補任。



○長徳4年10月27日(998)【『大間成文抄』】

◆甲斐権小目…六人部茂興。正六位上。補任。



○長保1年1月30日ころ(998)【『任国例』】

◆甲斐権大目…秦(名不詳)。前春宮籍。秦忌寸。



○長保1年3月7日(998)【『本朝世紀』】

■富士山卜占…富士山噴火について卜占が行なわれる。



○長保3年10月10日(1001)【『母后代々御覧記』】

◆甲斐守…源高雅。甲斐守源高雅。従四位下。在任。



○長保4年7月9日(1002)【『権記』】

◆前甲斐守…源高雅。前甲斐守源高雅、権記長保四年七月十六日条に見える。



○寛弘3年1月28日(1006)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原惟憲(これのり)従五位上。為甲斐守。



○寛弘3年1月28日(1006)【『公卿補任』】

◆甲斐大目…伊豆友近。正六位上。為甲斐大目。補任。



○寛弘5年10月17日(1008)【『御産部類記』】

◆甲斐守…藤原惟憲。敦平(あつひら)親王家の別当になる。



○寛弘7年2月16日(1010)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原惟憲。離任。公卿補任治安三年の項。



○寛弘8年3月8日(1011)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原能通。甲斐国に帰国。在任。



○寛弘8年8月23日(1011)【『権記』】

◆甲斐権守…源保任(やすとう)在任。

…甲斐守保任が、元服の儀式に参列。定数通りに貢馬するように命令がでる。



○長和2年1月15日(1013)【『小右記』】

◆甲斐権守…源保任。従五位下甲斐権守源保任。五位蔵人になる。

○長和3年1月26日(1014)【『小右記』】

◆甲斐権守…源保任。在任。

○長和4年4月18日(1015)【『小右記』】

◆甲斐権守…源保任。在任。



○寛仁1年8月30日(1017)【『小右記』】

◆前甲斐守…藤原能通。記事中見える。



○寛仁1年9月17日(1017)【『御堂関白記』】

◆甲斐守…源保任。…甲斐守保任、馬十疋を藤原道長に贈る。



○寛仁1年9月26日(1017)【『御堂関白記』】

◆甲斐守…源保任。

…甲斐守保任、前年分の穂坂牧駒牽を遅延させために、怠状の提出を命じられる。



○寛仁1年9月(1017)【『富士史』】

■富士山噴火。

 

○寛仁3年8月28日(1019)【『東宮』】

◆甲斐権守…源章任。在任。



○寛仁4年3月28日(1020)【『範永朝臣記』】

◆甲斐権守…藤原範永(のりなが)従五位下。補任。



○治安2年6月18日(1022)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原公業(きんなり)。在任。新任甲斐守藤原公業が申請した雑事の審議。

○治安2年7月14日(1022)【『小右記』】

◆甲斐権守…藤原範永。



○治安3年10月14日(1023)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原公業。甲斐守藤原公業が任国へ下るにあたり藤原実資を訪問する。



○万寿1年3月1日(1024)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原公業。藤原公業の邸宅が火事のより焼失。



○万寿1年11月3日(1024)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原公業。甲斐守藤原公業が上京する。



○万寿2年3月24日(1025)【『小右記』】

◆甲斐守…藤原公業。甲斐守藤原公業が任国へ下る。



  

○万寿3年(1026)【『江談抄』】

◆甲斐守…平範国。従五位。蔵人。補任。



○長元 1年 4月15日  1028【『小記目録』】

◆前甲斐守…藤原公業。前甲斐守藤原公業が死去。



○長元2年1月24日(1029)【『大間成文抄』】

◆甲斐掾…秦成信



○長元2年10月22日(1029)【『公卿保任』】

…藤原公季…長元二年十月十七日逝去、時年七十三。贈正一位、封甲斐国、謚曰仁義公。



○長元この年(1030)【『本朝文集』】

◆甲斐守…源頼信。補任。  

○長元3年9月2日(1030)【『日本紀略』】

◆甲斐守…源頼信。在任。

…仰甲斐守源頼信並坂東諸国司等可追討平忠常之条依右衛門尉平直方旡勲功召還。



○長元4年1月6日(1031)【『樗嚢抄』】

◆甲斐守…源頼信。国司功績により、在任中に従四位下を授かる。

 長元4年2月23日。…源頼信、在任。【『小右記』】

 長元4年4月28日。…源頼信、在任。【『左経記』】【『記略』】

 長元4年6月7日。……源頼信、在任。【『左経記』】

 長元4年6月11日。…源頼信、在任。【『左経記』】

 長元4年6月12日。…源頼信、在任。【『左経記』】

 長元4年6月16日。…源頼信、在任。【『扶桑略記』『応徳』『百錬』『山槐』】

 長元4年6月27日。…源頼信、在任。【『左経記』】

 長元4年7月3日。……源頼信、在任。【『左経記』】

 長元4年7月13日。…源頼信、在任。【『小右記』】

 長元4年9月18日。…源頼信、在任。【『小右記』】





○長元4年4月28日(1031)【『日本紀略』】

…平忠常…申平忠常進来仍随身可参上之状。



○長元4年5月16日(1031)【『日本紀略』】

…平忠常…梟忠常首入京件忠常受病死去但有議定給彼忠常従類依為降人也。

…扶桑略記にも此事有



○長元5年2月8日(1032)【『類聚符宣抄』】

◆甲斐守…源頼信。遷任。任美濃守。



?《参考》年不詳【『甲斐国志』】

◆甲斐守…源義光。称新羅三郎(頼義三男)任甲斐守即甲斐源氏所祖



○長元6年2月19日(1033)【『日本記略』】

■富士山噴火。



○長元7年8月22日・8月25日【『左経記』】

◆甲斐守…藤原頼経。在任。



○長元9年10月10日(1036)【『僧綱補任』】

◆甲斐守…藤原頼経。在任。興福寺維摩会の賢者(りゅうじゃ)となる。



○長暦1年11月18日(1037)【『行親記』】

◆甲斐守…藤原永職(ながもと)在任。甲斐守藤原永職の母が焼死する。



○長久1年1月25日(1040)【『九条家本春記』】

◆甲斐守…藤原隆経。正四位下。補任。受領甲斐。

『後拾遺和歌集』】…紀伊式部‥

…隆経朝臣甲斐守にて侍ける時、たよりにつけてつかはしける

……いづかたのかひのしらねはしらねどもゆきふるごとにおもひこそやれ……



○長久3年10月28日(1042)【『法隆寺文書』】

◆甲斐介…三統(名欠)みむね。刀禰として署判を与える。



○長久3年(1042)この年【『任国例』】

甲斐掾…平(名欠) 。甲斐掾に任じられる。

界の古代年表(7)

甲斐国司年表4



○寛平6年2月(894)【『古今和歌集目録』】

◆甲斐少目…凡河内躬恆。甲斐権少目。(おおしこうちのみつね)

【『古今和歌集』】

…かひのくににまかりける時道にてよめる

……夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ草の枕にあまたたびねぬ

【『甲斐国志』】

…拾芥歌人三十六人を載す。云、躬恆古伝云、不見甲斐権少目、淡路守、或本云、大井川

行幸和歌書に書する所、散位。

【『『甲斐国志』】

…壬生忠岑…古今集序右衛門府生とあり、本州の役に補せられ在国せし由諸書に見える。

【『夫木和歌集』】

…かひの国へくたりまかりけるに

……君かため命けひにそ我はゆく鶴のこほりに千世はうるなり……

【『古今和歌集』】

…甲斐の国にあひ知りて侍ける人とぶらはむとて、まかりける道なかにて、にはかに病ひ

して、いまいまとなりにければ、よみて京にもてまかりて母に見せよといひてつけ侍りけ

る歌…在原滋春…

……仮初にゆきかひぢとぞ思ひこし今は限りの門出なりけり……



○年不詳【『甲斐国志』】

◆甲斐守…藤原元眞…拾芥抄載歌人三十六人。元眞甲斐守清邦の男丹波介五位とあり。

…大系図に武智丸五世有貞雄清邦也。元眞亦甲斐守也。



○寛平9年1月25日(897)【『類聚符宣抄』】

…甲斐采女…甲斐国の采女の定員が一名と定められる。



○昌泰1年閏10月(898)

…壬生忠岑(ただみね)

【『忠岑集』】

… 生忠岑が陽成上皇の使者として甲斐国下向。  

…かひにくににまかる、まかりまうしに

……きみがためいのちかへぞわれはゆくつるてこほりとよをうるなり

【『貫之集』】

…忠岑がもとに   

……かひがねの松にとしふるきみゆえにわれはなけきとなりぬへらなり……



●国司、不明…仁和3年(887)〜延喜7年(907)



○延喜8年(908)【『政事要略』】

◆前甲斐守…藤原滋根、国務について勘解由使勘判が下される。



○延喜9年1月11日(909)【『西宮記』】

◆甲斐守…(姓欠)正基 前上総守、為甲斐守。



○延喜14年5月7日(914)【『類聚符宣抄』】

◆甲斐守…藤原貞淵。従五位下。前上総介。



○延喜21年9月7日(921)【『類聚符宣抄』】

◆秦繁覧(しげみ)…検甲斐国交替使主典退任。



○延喜21年9月7日(921)【『類聚符宣抄』】

◆奈癸良貞(なきのよしさだ)…甲斐国交替使主典(さかん) に任じられる。



○延長2年(924)【『貫之集』】

…紀貫之…

…延長二年ひだりのおとどの北のかたの御屏風のうた十二首

……甲斐がねの山里みればあしたづの命をもたる人ぞすみける……



●国司不明…延喜15年(915)〜延長5年(927)



○延長6年1月29日(928)【『古今和歌集目録』】

◆甲斐守…高向利春(たかむこの)。従五位下。  



■承平2年10月13日(932)【『富士史』】

…富士山噴火。



■承平7年11月某日(937)【『日本記略』】

…富士山噴火。

……十一月某日、甲斐国言、駿河富士山神火埋水海。



●国司不明…延長7年(929)〜承平7年(937)



○天慶1年(938)【『勘解由使勘判状』】

◆前甲斐守…藤原望江(もちえ)在任中の国務について、勘解由使勘判が下される。



○天慶4年6月2日(941)【『本朝世紀』】

◆櫟井直幹(いちいのなおもと)右馬少属櫟井直幹が甲斐・武蔵国の択馬使として派遣さ

れる。



○天慶中(938)〜(946)【『前太平記』】

◆前甲斐守…(姓欠)保盛。前太平記天慶中、貞盛の次将に甲斐前司保盛を載す。



○天暦2年2月5日(948)【『貞信公記』】

◆前甲斐守…小野維幹(これもと)これより以前、前甲斐守小野維幹の子が、平将門の乱

の際、常陸国府・国分寺に異変があったと話す。



○天暦6年2月(952)【『富士史』】

■富士山噴火。富士山峰より北東に噴火。



○天禄3年2月19日(972)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原時光。従五位下。為甲斐守。補任。



○天延1年2月29日(973)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原時光。従五位下。為甲斐守。在任。



○天延2年8月10日(974)【『本朝文粋』】

◆前甲斐掾…刑部良秀。前甲斐掾刑部良秀、云々

【『甲斐国志』】

…慶保胤の文中に前の国司司馬刑部良秀とあり。按に司馬は国介を斥すなるへし。



○天元2年1月28日(979)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…源宗利。正六位上。補任。

 

○永観1年1月27日(983)【『大間成文抄』】

◆甲斐権掾…安部信義。正六位上。甲斐権介。補任。



○永観1年1月27日(983)【『大間成文抄』】

◆甲斐権介…菅野倫随(ともゆき)正六位上。甲斐権掾。補任。



○永観2年2月1日(984)【『大間成文抄』】

◆甲斐権介…源興堪(おきとう)正六位上。甲斐権介。



○永観2年2月1日(984)【『中古歌仙三十六人殿』】

◆甲斐権守…大江匡衡(まさひら)従五位下。甲斐権守。



○永延年間(987〜988)【『続詞花和歌集』】

◆甲斐守…源師綱(もろつな)任国甲斐から京都へ和歌を送る。

…甲斐守にて国を侍りけるころ、朝光大将のもとに侍りける人のもとへいひつかはしける

…源師綱朝臣

……さすらふる身をいづくにと人とはばはるけき山のかひにとをいへ……



○永祚1年2月26日(989)【『小右記』】

◆甲斐守…菅原忠貞。甲斐守辞任。其甲斐守忠貞が就任を辞退。



○永祚1年2月26日(989)【『小右記』】

◆甲斐守…橘道時。補任。



○正暦4年(993)

■富士山噴火。

界の古代年表(6)

☆光考天皇、在位(884〜887)



○元慶8年(884)3月9日【『日本三代』】

◆甲斐守…藤原当輿。従五位下。補任。兵部少輔。



○元慶8年(884)11月5日【『日本三代』】

…山梨郡石禾…山梨郡石禾郷清原当仁の宅に嘉禾が生えたと報告。



○仁和1年(885)2月【『日本三代』】

◆甲斐介…橘嘉樹。従五位下。散位。



…この頃… 駒牽。太政大臣藤原基経が『年中行事障子文』を内裏に献上する。 八月 七日、牽、甲斐国勅旨御馬事。

八月十三日、牽、武蔵国秩父御馬事。

八月十五日、牽、信濃国勅旨御馬事。

八月十七日、牽、甲斐国穂坂御馬事。

八月廿 日、牽、武蔵国小野御馬事。

八月廿三日、牽、信濃国望月御馬事。

八月廿五日、牽、武蔵国勅旨牧並立野御馬事。

八月廿八日、牽 上野国勅旨御馬事。





○仁和2年(886)2月3日・5月18日【『日本三代』】

◆甲斐守…藤原当興。在任。

…召問、左右大臣、甲斐守藤原当興ら拝任後任国に赴かない国主十名を召問する。次いで

当興ら四名の告身を取り上げる。



○仁和2年(886)6月13日【『日本三代』】

◆甲斐守…平任世。従五位上。補任。大判事。



☆宇多天皇、在位(887〜897)



○寛平5年(893)3月16日【『類聚三代格』】

…太政官符…應令牧監填償缺失牧馬事。

…右ハ甲斐、武蔵、信濃上野等ノ国ノ御牧使右馬助源悦ノ解状ヲ検スルニ、ク、牧ニシテ

官馬牛ヲ失ヘバ、牧子長帳ニ徴すベキノ文已ニ明ナリ。国司及牧監ニ於テハ、其法未ダ立

タズ、唯諸ヲ牧帳ニ勘シ、国司牧監相共ニ署印ス。然ラバ則チ御馬ノ缺失、何ゾ知ラザル

ベケンヤ。今検実ノ日ニ、若シ無實ノ馬数多ケレバ、令ニ依テ牧子長帳ニ徴センカ、将タ

署帳ニ依勘シテ国司牧監ヲ責メンカ、若シ共ニ責ムベクハ、牧子長帳ニハ已ニ率分アリ、

国司牧監ニハ未ダ其数ヲ見ズ。何ノ法ニ准ジテ将ニ辨行セシメン。中納言兼右近衛大将従

三位藤原朝臣時平宣、勅ヲ奉ルニ、凡ソ缺失ヲ致スニ於テハ、国司牧監共ニ其罪アリ。然

而しテ国司ハ雑務繁多ニシテ、専一ナルニ、凡ソ遑アラズ。須ラク其怠ヲ責メテ物ヲ徴ス

べカラザルベシ。但牧監ハ牧事ヲ専行シ、兼濟スルニ所ナシ。亦須ラク其怠ヲ勘シ、牧子

ニ准ジテ之ヲ徴スベシ



〔解説、抜粋〕【『甲府市史』】

…今後検査のある日に欠失の馬数が多かった場合、令によって牧子・長・帳だけに弁償さ

せるか、国司・牧監に責任を取らせるか、もし両者に責任を取らせるとすれば、国司・牧

監には弁償の比率の規定がないので、どの法律を適用したらよいのか。国司は仕事が煩雑

なので弁償は酷で、牧監は牧の仕事に専念しているので当然弁償責任を認めて弁償を命じ

た。



○寛平6年(894)2月28日【『古今和歌集目録』】

◆甲斐権少目…凡河内躬恒。在任。

…かひのくにへまかりける時道にてよめる

……夜を寒むみおくはつ霜をはたひつゝ草の枕にあまたゝび寝ぬ…

《雑録》

…凡河内躬恒…『南部町誌』には篠井山に因んで凡河内躬恒のことが記載されている。

…躬恒の甲斐赴任してこの地に住んだのでこの土地を大河内と呼び、都を懐かしむ篠井山

に登り、山頂に霊を鎮めたという。篠井山は躬恒の官位、従四位が転化したものという。

山頂には四ノ位明神が祀られていて躬恒の宝が埋められているという。



○昌泰1年(898)10月【『忠峯集』】

…壬生忠峯…この頃、陽成上皇の使者として壬生忠峯が甲斐国へ下向する。

…かひのくににまかる、まかりまうしに

……きみがためいのちかひへぞわれはゆくつるてこほりちよをうるなり……



…たたみねがもとに 紀貫之【『貫之集』】

……甲斐がねの松に年ふる君ゆゑに我はなげきと成りぬべらなり……



☆醍醐天皇、在位(897〜930)



○昌泰2年(899)2月【『古今和歌集』】

◆在原滋春…甲斐守赴任。

…甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、みちなかにてにはかに

病をしていまいまとなりにければ、よみて「京にもてまかりて、母にみせよ」といひて人

につけて侍りける歌

……かりそめのゆき甲斐路とぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり

【『大和物語』】

…この在次君、在中将の東に往きたるにあらむ、この子どもも人の国通ひをなむしける。

心ある者にて、人の国の哀に心細き所々にては、歌よみて書付けなどしける。(中略)

…かくて、人の国ありきくて、甲斐の国に到りて住みける程に、病して死ぬとて詠みたり

ける。



《参考》【『古今和歌集』】所収、甲斐に関する歌

…しほの山さしでの磯に住む千鳥君が代をばやちよとぞ鳴く

…頭注…能因が歌枕を引いて、甲斐国に在りとある。今同国甲府から東北三里許、笛吹川

に沿って、小邸あるあたりを「さし出」といひ、それより二里許北方にある山を「塩山」

といっている。(中略)

…さし出の磯はさし出た磯の義だから、何処でもいはれる語である。

…契沖にいふ、「平家物語に、しほの山打ち越えて能登の国小田中親王の前に陣を取る。

…又能登越中の境なる「志保の山」と見えたるその「志保の山」にて、「さし出の磯」も

そのあたりならん。

【『古今和歌集評釈』金子本臣著】

…真淵いふ、(略)之乎(しほ)を後に「しほ」と誤り、それよりさし出の磯とは設けてよ

めるか。云々

   

…かひうた…【『古今和歌集』】所収

…かひがねをさやにも見しがけゝれなく横ほりふせるさやの中山

…甲斐がねをねこし山こしふく風を人にもがもや言づてやらむ



○昌泰12年(870)7月【『寒川神社社記』】

…富士山…中央火口噴火。



○昌泰13年(871)6月

…太政官符…甲斐武蔵両国に令す。先に郡領駅長等が申状に云、云々



○昌泰18年(876)

…太政官符…応に牧監等をして牧の格を検校しせしむべきの事。云々



○寛平5年(893)3月16日

…太政官符…應令…牧監填償缺失牧馬事。

…右ハ甲斐、武蔵、信濃上野等ノ国ノ御牧使右馬助源悦ノ解状ヲ検スルニ、云々

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