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○貞観6年(864)5月25日【『三代実録』】 |
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甲斐国司年表2 |
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○天平13年(741)12月10日【『続日本記』】 |
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甲斐国司 〜延暦21年(802) 《御牧関係は別述》 ☆文武天皇、在位(697〜707) 【『山梨県考古学論集』】村石眞澄氏著 …所載記事 「甲斐の馬生産の起源」…塩部遺跡SY3・SY4方形周溝墓出土のウマ歯から‥(略 )8世紀前半の資料としては長屋王邸跡から出土した木簡群の中に、甲斐と馬の関係を物 語るきわめて重要な木簡6点が存在し(原2002山梨県2001)その中の1点には次 のように記されている。 裏…四米四升五月二日「受板部…黒万呂」 厩舎で馬の飼育を任務としたとされる。馬司には甲斐・信濃・上野などの出身の専門職員 が複数人おり、木簡はいずれも一人あたり一升の米を請求し、支給を受けた際の帳簿とし て使用されたものらしい。長屋王邸跡出土の紀年木簡の年代幅は、711〜716年に限 定されるという知見から、この時期に甲斐など三国にはすでに御牧の前身にあたるような 牧が存在し、良馬の生産として知られていたため、朝廷や有力貴族のもとで、その専門技 術を生かして馬の飼育に従事していた専門職員が存在していたと推定している。 物を挙げている。 …□「甲斐国」山梨郡 …「甲斐国」山梨郡雑役胡桃子− 天平寶宇六年十月(762) …「甲斐」山梨郡雑役胡桃子− 天平寶宇六年十月(762) …大井里人 …依私改度不破関往本土甲斐国戸人麻呂= …泉伊勢参河近江甲斐下総常陸 【「」小野朝臣人公】 …甲斐国山梨郡加美郷丈部宇万呂六百 天平寶宇八年十月(764) 表 御馬司信濃 口甲斐 口上野二口右 裏 四米四升五月二日「受板部黒万呂 」 表 馬司帳内甲斐常石 廣末呂 右四人米 裏 〈〉受赤人十一月九日 稲虫書吏 表 馬司甲斐二人*上*野四人六人 裏 米一斗二升十月十二日「大島」 表 馬司帳内甲斐四口米四升 裏 受勝麻呂十月廿四日石嶋書吏 表…馬司上野二口甲斐四口 ……右六口米六升受 裏…「馬馬郡馬馬馬分…右京馬…」(全体に重書) 甲斐国山梨郡 国都 国都 大乃年料米五斗 大乃 大野郷小田村里舎人部石足 加美里物部色布知簀一枚 大乃 茂郷五斗 甲斐 甲斐 大乃白米 大井里委文部鳥〈〉米五升 …………………………甲斐国………………… 依私故度不破関往本土…………人□万呂□□ …………………………戸□□………………… 騎兵…新羅使節を迎える為に、機内七道から騎兵九百八十騎を徴収。 ○霊亀1年(716)5月16日【『続日本記』】 高麗人…甲斐国など七カ国の高麗人を武蔵国に移して高麗国を置く。(1799人) 甲斐舎人…甲斐国出身の舎人が、平城京の長屋王邸の馬司に出仕し、食米を受け取る。 富士山噴火…高橋連虫麿の歌…もゆる火を雪もて消ち(以下省略) 按察使…按察使を設置。駿河・伊豆・甲斐は大伴宿禰に管掌させた。 甲斐献上…甲斐国が白狐を献上する。 騎兵、坂東の九カ国の兵士三万人に乗馬、射術をさせ、布陣の仕方を訓練させた。 甲斐…甲斐国が神馬を献上した。体は黒でたてがみと尾が白かった。 甲斐国主…田辺広足 ★詔★ …朕は君主として全国に臨み、すべての人々をはぐくみ、日が傾くまで食事をとることも 忘れ、夜は寝るのに床をのべるのを忘れるほどである。ここに治部卿で従四位上の門部王 らが奏上していうのに「甲斐国守で外従五位下の田辺史広足らが進上した陣馬は、体は黒 色で白いたてがみと尾があります。謹んで符瑞図を調べてみると『神馬は河の精である』 とあり、また援神契(孝経)には『徳が山や岡の高きに達する時、神馬が現れる』とあり ます。これはまことに大瑞というべきです」と。しかしこれは朕の徳によるものではな い。祖先や国の守り神の賜ったものである。不徳の朕がどうして一人でこれを受けるべき であろうか。天下の人々と共に悦べば、天意にかなうであろう。そこで天下に大赦して、 孝子・順孫・高齢者・男女のやもめ・みなし子・独居の老人で自活のできない者に恵みを 与えよう。馬を獲た人には位を三階昇進させ、甲斐国の今年の庸と調を免ずる。甲斐国の 国司および史生以上の者と、瑞を獲た者に、地位に応じて物を賜った。 《筆註》 …甲斐から献上された神馬(じんめ)は当時の吉祥の一つとして進上された。甲斐国以外 にも進上した国があり、それは年譜の中に掲載してある。また新羅国からの献上された貢 ぎ物の中に馬も見える。 ○天平10年(738)4月22日【『正倉院文書』】 『正倉院文書』「天平十年駿河国正税帳」 従甲斐国進上御馬部領使山梨郡参事小長谷部麻佐 六郡別一日 ………………………………………………………従一口…………… …………………上六口 食為単壱拾弐日 …………………従六口 ……………………………上一口……………………上六口 山梨郡散事小長谷部練麻呂 六郡別一日食為單壹貳日 ……………………………下一口……………………下六口 《筆註》 …甲斐国より進上の御馬の部領使である山梨郡散事小長谷部麻佐とその従者は、一日一郡 の行程で、その路次にあたる駿河六郡から糧秣の官給を受けて、平城京を目指して御馬を 牽き挙がっていった。この時の御馬の様子や頭数は明らかではないが、甲斐の貢馬の実態 を知る資料となる。小長谷部は御馬部領使で山梨郡散事であり、三御牧を想定する巨摩郡 ではない。巨摩の地名の最初の登場は天平勝宝四年(752)の巨麻郡青沼郷で、天平宝 宇五年(762)の記事中の巨麻郡栗原郷の人と続く。
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新山梨県歴史講座資料 甲斐古代が見える年表 |


