全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]

甲斐の古代年表(5)

○貞観6年(864)5月25日【『三代実録』】

…駿河国言…正三位浅間大神大山噴火しその勢い甚だしく、十二、三代実録里四方の山を

焼く。その火災の高さ二十丈(約60m)、雷あり、地震三度、十余日を経ても火勢衰え

ず。岩石を焦がし、嶺を崩し、火山灰雨の如し。煙雲深くして人の近寄るを得ず。富士山

の西北本栖湖に溶岩流入する。溶岩の長さ、三十里、幅三四、四里。高さ二十二丈ばか

り、火災ついに甲斐国の国境に達すと。(『富士吉田史』)



○貞観6年(864)7月17日【『三代実録』】

…甲斐国言…駿河国富士の大山に、忽ち暴火あり、崗欄巒を焼き砕き、八代郡本栖并にセ

の両の水海を埋む。水熱きこと湯の如く、魚鼈皆死し、百姓の居宅、海と共に埋もれ、或

いは宅ありて人無きもの、其の数記し難し。両の海以東に、亦水海有り。名付けて河口湖

という。火焔赴きて、河口湖に向かう。本栖・セの海、未だ焼け埋もれざるの前、地大い

に震動して雷電暴雨あり、雲霧晦冥にして、山野をわかち難く、然るに後のに此の災異有

りと。(『富士吉田史』)



○貞観6年(864)8月 5日【『三代実録』】 …甲斐国下知…甲斐国下知して云う。駿河国富士山に火ありて、彼の国言上す。之を蓍亀

に決するに云わく、浅間神社の禰宜・祝等、斎敬を勤ざるの致す所なりと。仍りて陳謝す

べきの状国に告げ知らせ訖わりぬ。宜しく亦奉幣解謝すべしと。



○貞観7年(865)3月9日【『三代実録』】

…甲斐国に介を置く。



○貞観7年(865)この春、【『三代実録』】

◆甲斐権掾…土師忠道。補任。

…左大臣源信の家人土師忠道が、甲斐権掾に任。  



○貞観7年(865)12月9日【『三代実録』】

◆甲斐擬大領…甲斐国八代郡擬大領伴真定の託宣により、同郡に浅間神社の祠を立てて官

社とする。



○貞観8年(866)1月13日【『三代実録』】

◆甲斐守…藤原弘道。従五位下。補任。散位。



○貞観9年(867)1月8日【『三代実録』】

◆甲斐介…藤原安縄。正六位上。在任。従五位下に。



○貞観10年(868)1月16日【『三代実録』】

◆甲斐介…道島村島。従五位下。宿禰。



○貞観12年(870)1月13日【『三代実録』】

◆甲斐守…清原真人。従五位下。補任。



○貞観12年(870)3月25日【『三代実録』】

◆甲斐守… 清原真人が右京亮に転じる。

◆甲斐守…高階菅根。従五位下。補任。

◆甲斐権守…小野春江。従五位上。陸奥介。

◆甲斐介…御春峯能。従五位下。



○貞観13年(871)6月13日【『類聚三代格』】

…大政官符…甲斐武蔵両国に令す。先に郡領駅長等が申状に云、牧監主當等の人馬を乗用

するは皆其位階に従て法制に恆條あり、而るに御馬長及馬醫、諸生、占部、足工、騎士等

の白丁、官符なくして轍く之を乗用す。而るに郡司駅長其暴威を畏れて之を制せず。

加之天長三年(826)二月の格に、信濃上野両国は各牧監一人、甲斐武蔵両国は各主當

一人、馬醫毎国一人、但騎士は馬六匹を率て以て一人に當つ、自後陪従其格に従ふべし。

…而るに多く雑色を率い公乗を濫用するものあり。国司件の格に據りて其濫行を糺治せん

と欲するも、或は事を貢御に託して強て舊附を秘し、嗷論抗争轍く之を改更せず。請ふ厳

命を下して永く其濫用を絶たん、若尚ほ恣に之を乗用せば使人は名を録して言上し、雑色

人は位蔭を問はず杖六十に决せん、皆應に承和十二(846)の符に依て之行ふべし。路

次の諸国も亦皆之に准ず。甲斐武蔵両国宜しく此新制に准じて之を改行すべし。信濃上野

の牧監等も亦須く武蔵甲斐両国に准じて厳に懲罰を加ふべし。



○貞観14年(872)3月20日【『三代実録』】

…矢作部連を賜る。

◆甲斐大領…矢作部宅雄。正六位上。甲斐国都留郡。

◆甲斐少領…矢作部毎世。従八位上。甲斐国都留郡。



☆陽成天皇、在位(876〜884)



○貞観18年(876)1月26日【『類聚三代格』】

…太政官符…応に牧監等をして牧の格を検校しせしむべきの事。

…右、信濃国の解を得るに爾(いわ)く、案内を検するに、太政官の去る貞観七年六月廿八

日、符を被るに爾く、諸牧の格の料の稲を請ふを停め、牧の内の浪人の徭を以て、破損に

随ひて修造せしめよといへり。しかるに牧長等謹守を加へず、或は火の為めに焼け損じ、

或は競ひて以て盗取す。茲に因り常に造格の幣あり。曽て園牧の益なし。今、在る所の勅

旨牧の御馬、二千二百七十四疋、格の外に放れ散りて湟中に留まらず、唯に民業を践み害

ふのみに非ず、兼ねてまた頻りに亡失を致す。国司はすべからく格に依りて検校し、損失

せしめざるべし。しかも国務繁多にして巡糺にいとまあらず。牧監の職とする所は専ら撫

飼を事とす、摂するところの長・帳・牧子・飼丁等は、牧毎に数多く、守禦に堪ふるに有

らん。望み請ふ、栫(かこい)を造るの後、件の人を預け、一向に謹めさせ、検校を加へ

しめん。若し朽損の外焼亡失盗失せば、拘ふるに解由を以てし、尽く造り備へしめん。

…謹んで官栽を請ふてへり。右大臣宜す、請ひに依り、立てて恒例と為よ。上野・甲斐・

武蔵等の国も亦た宜しく此れに准ずべし。



○貞観18年(876)10月22日【『日本三代』】

…甲斐都留郡…甲斐国都留郡の人、当麻部秋継が、同郡の百姓丈部鷹長を闘殺し、遠流に

処される。



○元慶2年(878)1月11日【『日本三代』】

◆甲斐守…従五位上。田口統範。補任。散位。



○元慶6年(882)11月【『日本三代』】

…壬生直益成…甲斐巨麻郡の人左近衛将曹壬生直益成男女七人を山城国愛宕国に、男三

人。女四人、を貫隷す。



○元慶7年(883)1月11日【『外記補任』】

◆甲斐介…山田時宗。従五位下。   

界の古代年表(4)

甲斐国司年表2



○大同4年(809)この頃【『類聚国史』】

◆甲斐守…安部真勝。従五位下。



☆嵯峨天皇、在位(809〜823)



○弘仁3年(812)1月12日【『日本後記』】

◆甲斐守…藤原真川。従五位下。補任。



○弘仁6年(815)【『平安遺文』】

◆甲斐守…藤原真川。在任。   

…この年、甲斐国などに空海が書状を送り、真言宗布教を協力を要請する。甲斐国には安

行を遣わし甲斐守真川に要請する。



○弘仁8年(817)5月【『続日本後記』】

◆甲斐守…文室秋津。従五位下。補任。



○弘仁9年(818)【『文華秀麗集』】

◆甲斐掾…藤原(名欠)

…この年、勅撰漢詩集『文華秀麗集』が完成し、甲斐掾藤原らのために巨勢識人が作った

餞別の詩が収められる。   



〓弘仁11年(820)【『弘仁式』】

…主税式…広仁式が撰上、甲斐国の貢馬・駅馬などに関する規定がなされる。

…この年、甲斐・武蔵・信濃・上野四カ国の貢馬が上京する路地で支給される飼秣の量が

『弘仁式』に定められる。



○弘仁13年(822)12月19日【『公卿』】

…甲斐守…文室秋津。補任。



☆淳和天皇、在位(823〜833)



〓弘仁14年(823)9月24日【『日本記略』】

…信濃国の御馬が、武徳殿に牽進される。



〓天長3年(826)2月11日

…甲斐・武蔵・信濃・上野四カ国の貢馬使の構成・定数が定められる。



○天長4年(827)10月15日【『類聚三代格』】

…甲斐国…牧監を置く。(太政官符)

…太政官符…定諸国貢上御馬騎士数事。

…右得美濃国解稱。件騎士等其数不同。或騎士已衆。牧長又従。或馬醫両人。居飼相添。

望請折中彼此。以定限数。謹請處分者。左大臣宣。依請者。 信濃、上野、両国各牧牧監

一人。甲斐武蔵両国各主當一人。馬醫毎国一人。但、騎士者率馬六疋充一人。



○不詳

◆暦甲斐守…安部真勝,卒。



○天長4年(827)10月19日【『日本紀略』】

…節婦表彰…甲斐国の人上村上万女(かみのよろずめ)が節婦表彰。



○天長8年(831)2月9日【『類聚国史』】

…甲斐国…居住する蝦夷吉弥侯部三気麻呂ら二世帯が駿河国に移住させられる。



☆仁明天皇、在位(833〜850)



○天長10年(833)3月24日【『続日本後紀』】

…甲斐守…藤原貞雄。従五位下。補任。



○天長10年(833)5月11日【『続日本後紀』】

…相撲人…甲斐等十二国に相撲人の貢進が命じられる。



○承和2年(835)1月6日【『続日本後紀』】 …空海…空海奏上、東寺施入官家功徳料千戸のうち、甲斐五十戸を割って僧侶の用充が認

められる。



○承和2年(835)3月14日【『続日本後紀』】

…甲斐不動倉…甲斐国の不動倉二宇、器仗屋一宇の全焼を報告。



承和2年(835)4月【『続日本後紀』】

…葛原親王…賜地、甲斐国巨摩郡郡馬相野空閑地五百町賜一品式部卿葛原親王。

《筆註》…葛原親王…延暦5年(786)〜仁寿3年(853)。葛原親王への賜地につ

いては『続日本記』に記してあり、この年次周辺では「賜地」の記事が多く見られる。

(後述)葛原親王に関わる記事は二件である。



☆嵯峨天皇の御代、

○弘仁1年(810)10月【『続日本後紀』】

…長野牧…上野国利根郡長野牧賜三品葛原親王。

☆仁明天皇の御代

○承和2年(835)4月 

…馬相野…甲斐国巨摩郡郡馬相野空閑地五百町賜一品式部卿葛原親王。

《筆註》…馬相野空閑地の五百町については諸論があるなかで、「有野」〔現在の南アル

プス市有野(旧白根町有野)〕に比定を急ぐ向きもあるが、有効な史料を持たない地名比

定の議論は推説や私説の範疇であり、定説とは成り得ない。



○承和5年(838)7月【『続日本後紀』】

…噴火…甲斐など十六か国に灰のような物が降ったとが相次いで報告される。



○承和6年(839)1月11日【『続日本後紀』】

◆甲斐守…藤原伊勢雄 従五位下。補任。



○承和9年(842)6月3日【『続日本後紀』】

◆甲斐目…飯高浜水。従五位下。

…甲斐目飯高浜水など、伊勢国の飯高公の一族二十七人が、飯高朝臣の姓を与えられ、左

京三条に本籍を移す。



○承和10年(843)1月12日【『続日本後紀』】

◆甲斐守… 橘時枝。補任。



○承和10年(843)5月14日【『続日本後紀』】

…節婦表彰…甲斐国山梨郡の人、伴富成の娘節婦表彰を受ける。



☆文徳天皇、在位(850〜858)   



○仁寿1年(851)1月11日【『文実』・『古今』】

◆甲斐守…小野貞樹。補任。



○仁寿2年(852)2月22日【『三格』】

◆甲斐目…小野貞樹。在任。小野貞樹の解により、目一員が増員。

…太政官符…応(まさ)に甲斐国に目一員を加え置くべきの事。

…右彼の国守従五位下小野朝臣貞樹の解を得るにいわく、周防・阿波等の上国皆大小の目

あり。しかるに此の国に至りては唯一人を置く。衆務斯れ多く、事に従うの人少なし。望

み請らくは、彼の両国に準え件の官員を加えむことを。慎みて官裁を請うてへれば、右大

臣宜す。勅を奉るに、請によれ。



○仁寿3年(853)10月16日【『古今和歌集』】

◆甲斐守…小野貞樹。従五位下。補任。

…かひのかみに侍ける時京へまかりのぼりける人につかはしけりを をのゝさだき

……都人いかにととはゝ山たかみはれぬ雲井にわぶろこたえよ

《参考》小野貞樹、貞観二年(860)に肥後守になる。

○斉衡2年(855)1月7日【『文徳実録』】

◆甲斐守…小野貞樹。従五位下。在任。



○天安1年(857)1月14日【『文徳実録』】

◆甲斐守…紀貞守。従五位下。補任。



☆清和天皇、在位(858〜876)



○天安2年(この頃)【『走湯山縁起』】

◆不詳…麻績(不詳)

…竹生賢安…甲斐国八代郡の人、竹生賢安(たけいのけんあん)が、甲斐国に赴任していた

麻績(不詳)と共に走湯権現の霊験を得て、本地仏千手観音像や仏堂の造営に尽力し出家し

て竹生賢安と称する。



○貞観2年(860)1月16日【『三代実録』】

◆甲斐守…佐伯真利。従五位下。補任。散位。  



○貞観2年(860)5月5日【『三代実録』】

…富士山…駿河国より富士山に五色の雲が現れたと報告。



○貞観4年(862)6月5日【『三代実録』】

◆甲斐守…橘末茂。従五位下。中務少輔

…以中務少輔従五位下橘朝臣末茂為甲斐守。 

甲斐の古代年表(3)

○天平13年(741)12月10日【『続日本記』】

◆甲斐守、馬史比奈麻呂 従五位下。補任。

  

☆考謙天皇、在位(749〜758)  



○天平勝宝四年(752)4月9日【『正倉院文書』】

高嶋…巨摩郡青沼郷の人物高嶋が出した調が、東大寺大仏開眼供養の際、舞楽の伎楽面を

収納する袋の裏裂として使用される。



○天平勝宝四年(760)6月25日【『正倉院文書』】

◆甲斐国目…桑原足床、云々。  



☆淳仁天皇、在位(758〜764)



○天平宝宇5年(761)10月1日【『続日本記』】

◆甲斐守…山口沙弥麻呂。従五位下。補任。



天平宝宇5年(761)12月23日【『正倉院文書』】

◆甲斐守…山口沙弥麻呂。従五位下。在任。

◆目………小治田(名欠)。在任。

◆員外目…桑原足床。在任。



☆称徳天皇、在位(764〜770)考謙天皇重祚。



○天平宝宇8年(764)10月20日【『続日本記』】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂。従四位下。補任。   

…甲斐守山口左美麻呂解任、恵美押勝の乱で功績のあった坂上刈田麻呂が中衛少将のまま

甲斐守を兼任する。



○天平宝宇8年(764)10月【『続日本記』】

…用銭…甲斐国山梨郡加美郷の丈部(はせつかべ)宇万呂の用銭六百文が都に送られる。



○天平神護1年(765)1月7日【『続日本記』】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂、勳二等を授けられる。   



 天平神護1年(765)6月1日【『続日本記』】

…甲斐国飢饉…これを賑給する。   

   

○天平神護1年(765)7月14日【『続日本記』】

◆員外目…丸部宗人。    



○天平神護2年(766)2月21日【『続日本記』】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂が恵美押勝の乱を鎮圧し功績として功田二十町を与えられる。



○神護景雲2年(768)5月28日【『続日本記』】

…八代郡の人…小谷直五百依、孝を以て終身田税を免除される。



○神護景雲2年(768)10月15日【『続日本記』】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂、従四位に昇任。  



☆光仁天皇、在位(770〜781)



○神護景雲2年(768)9月16日【『続日本記』】

◆甲斐守…豊国秋篠真人。従五位下。補任。  

◇坂上刈田麻呂−陸奥鎮守将軍になる。



○神護景雲2年(768)10月23日【『続日本記』】

◆甲斐守…豊国秋篠…甲斐守のまま治部大夫に。   



○宝亀元年(770)5月9日【『続日本記』】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂。



○宝亀3年(772)【『続日本記』】

◆甲斐守…栗田鷹守。正四位下。衛門佐。補任。

◆甲斐掾…山上船主。五位下。陰陽助。



○宝亀9年(778)3月10日【『続日本記』】

◆甲斐守…葛井連道依。従五位下。在任。中衛少将



○宝亀11年(780)3月17日【『続日本記』】

◆甲斐守…山上船主。従五位上。補任。兼、陰陽頭天文博士。



☆桓武天皇、在位(781〜806)



○天応1年(781)7月6日【『続日本記』】

…富士山噴火…駿河国言す。富士山の下に灰をふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。

《註》…噴火地点、静岡側。噴火様式、火山灰小川考徳氏調査発表



○天応1年(781)10月16日

…甲斐など五カ国の十二人が私力で軍粮を陸奥国に運んだ功績で位階を授けられる。



○延暦1年(782)閏1月17日【『続日本記』】 

◆甲斐守…藤原内麻呂。従五位下。補任。大納言真楯三男



○延暦2年(783)閏1月【『大鏡裏書』】

◆甲斐守(〜延歴4年)   



○延暦3年(784)4月30日【『続日本記』

◆甲斐守…紀豊庭。従五位下。補任。



○延暦3年(784)11月11日【『続日本記』】

☆遷都…桓武天皇、長岡京に遷都。



○延暦8年(789)3月16日【『続日本記』】

◆甲斐守…大伴王。従五位下。補任。桓武天皇第三子。



○延暦8年(789)6月9日【『続日本記』】

…改姓…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を

田井・玉井・大井・中井に改姓する。



○延暦10年(791)7月4日【『続日本記』】

◆甲斐守…橘安麻呂。従五位下。補任。



○延暦13年(794)5月24日【『続日本記』】

…甲斐国…白鳥二羽を献上する。



○延暦16年(797)3月2日【『日本後記』】

…甲相国境…使を遣わし甲斐・相模の国境争いを裁定、都留郡都(鹿)留村東辺、砥沢を

もって領国の境とする。



○延暦18年(799)12月5日【『日本後記』】

…改姓

…甲斐国、百済系渡来人止彌若虫・久信耳鷹長ら百九十人石川・広石野姓を与える。



○延暦19年(800)3月14日【『日本後記』】

…富士山噴火

…駿河国言、去りぬる三月十四日より四月十八日まで、富士山の巓自ら焼く。昼は即ち烟

気暗瞑にして、夜は即ち火光天を照らす。其の声雷のごとく、灰ふること雨の如し。山下

の川水皆紅色なりと。

《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰・溶岩流。小川考徳氏調査発表



○延暦19年(800)5月22日【『日本記略』】

…甲斐蝦夷…甲斐国に住居する蝦夷が乱暴を働き、朝廷は国司に対して教喩と法的処分を

命じる。



○延暦21年(802)1月8日【『日本記略』】

…富士山噴火…(実際の噴火は20年)是の日、勅すらく、駿河・相模国言す。駿河国富

士山、昼夜、砂礫霰の如してへり。之を卜筮の求むるに、占いて曰わく、ここに疫あり

と。宜しく両国をして鎮謝を加え、及び経を読み以て災殃を攘わしむべしと。

《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰。小川考徳氏調査発表。



○延暦21年(802)1月11日【『日本記略』】

…甲斐浪人… 甲斐など十か国の浪人四千人を陸奥国沢城に移す。



○延暦21年(802)5月19日【『日本記略』】

…足柄路廃…延暦廿一年五月十九日、相模国足柄の路を廃して、箱根の途を開く。富士の

焼け砕きたる石、道を塞ぐを以てなり。



○延暦21年(802)8月14日【『日本記略』】

…諸牧課欠駒…牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐

など諸国に命じる。



○延暦22年(803)3月9日【『日本記略』】

…諸牧課欠駒…諸牧の課欠の駒については、馬の徴収をやめ、かわりに駒一頭ごとに代価

の稲四百束を徴収する事が、甲斐などの諸国に命じられる。



○延暦22年(803)5月8日【『日本記略』】

…足柄旧路…延暦廿二年五月八日、相模国箱根の路を廃して、足柄の旧路を復す。



《参考》「奈良〜江戸期に起きた富士山噴火」

…………山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。

…古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時代から江戸時代にか

けて計九回。このうち八六四(貞観六年)一七0七(宝永四年)の二つは既に噴火地点が

判明していたが、平安期に起きた残りの噴火七回についてはよく分かっていなかった。

…調査方法は津屋氏(元東大地震研究所長)が手掛けた富士山の地質図を基に、各地点在

する噴火口近くの溶岩流や溶岩樹型から木炭を採取し。炭の中に含まれる放射性炭素の減

り具合を調べることで噴火の時期を絞り込んだ、その上で古文書の内容と照合して噴火地

点を特定した。(略)



《参考》

山梨県側の噴火

937(承平七年)火山灰と溶岩流を伴った噴火

1032(長元五年)火山灰と溶岩流を伴った噴火

1083(永保三年)火山灰と溶岩流を伴った噴火

静岡県側の噴火

781(天応元年) 火山灰だけの噴火

800(延暦十九年)火山灰だけの噴火

801(延暦二十年)火山灰と溶岩流を伴った噴火

864(貞観六年) 青木ヶ原樹海を形成したこの噴火は当初、南都留郡鳴沢村・長尾山

火口から噴火したとされてきたが、その他に十カ所の噴火口があることを突き止めた。

999(長保 元年) 火山灰と溶岩流を伴った噴火

甲斐の古代年表(2)

  甲斐国司 〜延暦21年(802) 《御牧関係は別述》



☆持統天皇、在位(690〜697)

☆文武天皇、在位(697〜707)



○和銅4年(711)〜霊亀(716)

 【『山梨県考古学論集』】村石眞澄氏著

…所載記事

 「甲斐の馬生産の起源」…塩部遺跡SY3・SY4方形周溝墓出土のウマ歯から‥(略

)8世紀前半の資料としては長屋王邸跡から出土した木簡群の中に、甲斐と馬の関係を物

語るきわめて重要な木簡6点が存在し(原2002山梨県2001)その中の1点には次

のように記されている。



表…御馬使信濃−□甲斐−上野二口右

裏…四米四升五月二日「受板部…黒万呂」



 原正人(1995)によれば、「馬司」は長屋王邸に属する家政機関の一つで、邸内の

厩舎で馬の飼育を任務としたとされる。馬司には甲斐・信濃・上野などの出身の専門職員

が複数人おり、木簡はいずれも一人あたり一升の米を請求し、支給を受けた際の帳簿とし

て使用されたものらしい。長屋王邸跡出土の紀年木簡の年代幅は、711〜716年に限

定されるという知見から、この時期に甲斐など三国にはすでに御牧の前身にあたるような

牧が存在し、良馬の生産として知られていたため、朝廷や有力貴族のもとで、その専門技

術を生かして馬の飼育に従事していた専門職員が存在していたと推定している。



《参考》奈良文化財研究所の「木簡デ−タベ−ス」によれば、甲斐関係の木簡として次の

物を挙げている。



形式番号…039(平城宮1−14)

…□「甲斐国」山梨郡



形式番号…031(木研1−56頁)

…「甲斐国」山梨郡雑役胡桃子−

天平寶宇六年十月(762)



形式番号…031(平城宮1−20)

…「甲斐」山梨郡雑役胡桃子−

天平寶宇六年十月(762)



形式番号…6039(飛5)

…大井里人



形式番号…081(木研10−91頁)

…依私改度不破関往本土甲斐国戸人麻呂=



形式番号…081(平城宮4−4199)

…泉伊勢参河近江甲斐下総常陸

【「」小野朝臣人公】 



形式番号…019(木研9−118頁)

…甲斐国山梨郡加美郷丈部宇万呂六百

天平寶宇八年十月(764)



形式番号…011(城21−21上)

表 御馬司信濃 口甲斐 口上野二口右

裏 四米四升五月二日「受板部黒万呂 」



形式番号…081(平城宮2−1916)

表 馬司帳内甲斐常石 廣末呂 右四人米

裏 〈〉受赤人十一月九日 稲虫書吏



形式番号…081(平城宮1−295)

表 馬司甲斐二人*上*野四人六人

裏 米一斗二升十月十二日「大島」



形式番号…019(平城宮2−1917)

表 馬司帳内甲斐四口米四升

裏 受勝麻呂十月廿四日石嶋書吏



形式番号…6011(平城宮1−297)

表…馬司上野二口甲斐四口

……右六口米六升受

裏…「馬馬郡馬馬馬分…右京馬…」(全体に重書)



形式番号…081(城31−27上)

甲斐国山梨郡



形式番号…091(城33−22上)

国都



形式番号…091(城33−22上)

国都



形式番号…011(長岡京2−783)

大乃年料米五斗



形式番号…019(長岡京2−784)

大乃



形式番号…033(城24−31上

大野郷小田村里舎人部石足



形式番号…031(城31−32上)

加美里物部色布知簀一枚



形式番号…091(長岡京2−785)

大乃



形式番号…030(城34−10下)

茂郷五斗



形式番号…6091(平城宮5−6703)

甲斐



形式番号…6091(平城宮5−6704)

甲斐



形式番号…011(木研22−35頁−2)

大乃白米



形式番号…032(白37−26下)

大井里委文部鳥〈〉米五升



◎ 平城京出土木簡

…………………………甲斐国…………………

依私故度不破関往本土…………人□万呂□□

…………………………戸□□…………………



○和銅7年(714)11月11日【『続日本記』】

騎兵…新羅使節を迎える為に、機内七道から騎兵九百八十騎を徴収。



☆元正天皇、在位(715〜724)

   

○霊亀1年(716)5月16日【『続日本記』】

高麗人…甲斐国など七カ国の高麗人を武蔵国に移して高麗国を置く。(1799人)

 

○霊亀1年(716)この頃か。【『長屋王邸木簡』】

甲斐舎人…甲斐国出身の舎人が、平城京の長屋王邸の馬司に出仕し、食米を受け取る。

  

○養老2年(718)【『万葉集』】

富士山噴火…高橋連虫麿の歌…もゆる火を雪もて消ち(以下省略)



○養老3年(719)7月13日【『続日本記』】

按察使…按察使を設置。駿河・伊豆・甲斐は大伴宿禰に管掌させた。



○養老5年(721)1月1日【『続日本記』】

甲斐献上…甲斐国が白狐を献上する。  



☆聖武天皇  在位(724〜749)



神亀1年(724)4月14日【『続日本記』】

騎兵、坂東の九カ国の兵士三万人に乗馬、射術をさせ、布陣の仕方を訓練させた。

  

○天平3年(731)12月2日【『続日本記』】

甲斐…甲斐国が神馬を献上した。体は黒でたてがみと尾が白かった。



○天平3年(731)12月21日【『続日本記』】

甲斐国主…田辺広足

★詔★   

…朕は君主として全国に臨み、すべての人々をはぐくみ、日が傾くまで食事をとることも

忘れ、夜は寝るのに床をのべるのを忘れるほどである。ここに治部卿で従四位上の門部王

らが奏上していうのに「甲斐国守で外従五位下の田辺史広足らが進上した陣馬は、体は黒

色で白いたてがみと尾があります。謹んで符瑞図を調べてみると『神馬は河の精である』

とあり、また援神契(孝経)には『徳が山や岡の高きに達する時、神馬が現れる』とあり

ます。これはまことに大瑞というべきです」と。しかしこれは朕の徳によるものではな

い。祖先や国の守り神の賜ったものである。不徳の朕がどうして一人でこれを受けるべき

であろうか。天下の人々と共に悦べば、天意にかなうであろう。そこで天下に大赦して、

孝子・順孫・高齢者・男女のやもめ・みなし子・独居の老人で自活のできない者に恵みを

与えよう。馬を獲た人には位を三階昇進させ、甲斐国の今年の庸と調を免ずる。甲斐国の

国司および史生以上の者と、瑞を獲た者に、地位に応じて物を賜った。 

《筆註》

…甲斐から献上された神馬(じんめ)は当時の吉祥の一つとして進上された。甲斐国以外

にも進上した国があり、それは年譜の中に掲載してある。また新羅国からの献上された貢

ぎ物の中に馬も見える。



◎甲斐国司の確認

○天平10年(738)4月22日【『正倉院文書』】

『正倉院文書』「天平十年駿河国正税帳」



◆甲斐国司 丹比乙万呂。補任。



………………………………………………………上一口……………

従甲斐国進上御馬部領使山梨郡参事小長谷部麻佐 六郡別一日

………………………………………………………従一口……………

…………………上六口

食為単壱拾弐日

…………………従六口

……………………………上一口……………………上六口

山梨郡散事小長谷部練麻呂 六郡別一日食為單壹貳日

……………………………下一口……………………下六口

《筆註》

…甲斐国より進上の御馬の部領使である山梨郡散事小長谷部麻佐とその従者は、一日一郡

の行程で、その路次にあたる駿河六郡から糧秣の官給を受けて、平城京を目指して御馬を

牽き挙がっていった。この時の御馬の様子や頭数は明らかではないが、甲斐の貢馬の実態

を知る資料となる。小長谷部は御馬部領使で山梨郡散事であり、三御牧を想定する巨摩郡

ではない。巨摩の地名の最初の登場は天平勝宝四年(752)の巨麻郡青沼郷で、天平宝

宇五年(762)の記事中の巨麻郡栗原郷の人と続く。

  新山梨県歴史講座資料 甲斐古代が見える年表

  甲斐を治めた官人と甲斐源氏&甲斐勅使牧



《註》参考資料、山梨県史他

…詳細は『国書』・『山梨県史』・『各市町村誌』の各編を参照…

○雄略13年(469)9月【『日本書記』】

…木工猪名部眞根の死罪を赦す勅使が甲斐の黒駒に騎り馳せて刑場に至り眞根の命を助け
る。……ぬばたまの甲斐の黒駒鞍着せば命死なまし甲斐の黒駒……


○推古6年(598)4月【『扶桑略記』】

…聖徳太子が良馬を求めて、甲斐烏駒を得る。
…太子命左右、求善馬竝符諸国令貢、甲斐国貢、烏駒数百匹太子指此馬曰是神馬也、令舎
人調使麿飼養。云々

 
○推古6年(598)9月【『一代要記』】

…太子試験馭甲斐烏駒浮雲東去。云々  

【『見聞集』】

…烏駒は足は四本白であった。此馬は甲斐の穂坂産。    

【『節用集』】(零写本)

…烏駒(クロゴマ)聖徳太子の御馬也。甲斐国より出。

【『塵袋』】    

…黒駒と云ふは聖徳太子の御馬甲斐の黒駒の外はなき歟、黒き馬をは黒駒と云はむか、な
き歟如何。名物に混乱すれは、くろきこまなれと、くろこまとは云はす。但しかひのくろ
こまと云ふ事は太子の御馬ならねとも、昔もありけり。

…雄略天皇の御宇十三年秋九月猪名部、云々(参考−日本書紀、雄略十三年の項)

【『今昔物語集』】

…亦、太子、甲斐の国より奉れるき小馬の四の足白き有り、其れに乗て、空に昇て雲に入
て東を指て去給ぬ。〔調〕使丸と云ふ者、御馬の右に副て同く昇ぬ。諸の人、是を見て、
空を仰て見て (ののし)る事尤限し 太子、信濃の国に至給て、神輿の境を廻て三日を経
て還給へり。

【『三宝絵詞』】

…聖徳太子とその妃は、同日死去した。その日、太子の黒駒は草水を口にせず、太子の墓
まで行って一度いななき、倒れ死んだ。また、太子がかって衡山より持って来た経も、そ
の日消え失せた。

【『源氏物語』】「黒駒」

…さるべき都の苞など、由あるさまにてあり。主人の君、かくかたじけなき御送りにとて、黒駒たてまつりたまふ。

《筆註》 

…奈良県生駒郡斑鳩町東福寺には聖徳太子の愛馬「甲斐の黒駒」の駒塚古墳があり、飛鳥
の橘寺には黒駒の像がある。



○考徳1年(645)8月5日【『日本書記』】

…東国国司の発遣

…国造と郡領とだけは従わせてよい。公用でゆききするときに限り、管内の飯を食べるこ
とができる。



○天武1年(672)6月24日【『日本書記』】「駒関連記事」

…この日、天皇は出発して、東国にお入りになった。急なことで乗物もなく、徒歩でお出
かけにになっが、程なく犬養連大伴の乗馬の出会ったので、これにお乗りなった。皇后は輿に乗せてお従わせになった。津振川に着く頃、やっと天皇の乗馬が追いついたので、これにお乗りなった。(略)大伴連馬来田(略)追いついた。(略)屯田司の舎人、土師連馬手が天皇の従者の食事を奉った。湯沐の米を運ぶ伊勢国の馬五十匹と莵田郡家の前で
出会ったので、米を捨てさせ、徒歩の者をそれに乗らせた。云々



○天武1年(672)6月24日【『日本書記』】

…大海人皇子 東国に入る。



○天武1年(672)7月2日【『日本書記』】「甲斐の勇者関連」

…紀臣阿閑麻呂らに数万の兵を率いさせ、伊勢の大山より倭に向かわせる。



○天武1年(672)7月4日【『日本書記』】

…甲斐の勇者

…近江方に破れた吹負は、僅か一人二人の騎馬兵を連れて遁走す。吹負は散り散りになっ
た兵士を召集した。(略)来目という名の勇士があり、刀を抜いて馬を駆り、まっしぐら
に、敵陣に突入した。騎兵がすぎこれに続き、遁走する近江の軍を追って、多くの兵士を
斬った。一方この日、三輪君高市麻呂と置始連菟とは三本の道路のうち上道の守りにあた
り、箸陵のほとりで戦って近江軍を大破し、勝ちに乗じて鯨の軍の背後を切断した。この
ため鯨の軍は散り散りとなって逃走しし、多くの部下が殺された。鯨は白馬(あをうま)に
乗って逃げたが、馬が泥田に落ち込み動けなくなった。

…これを見た将軍吹負は甲斐の勇者に、「あの白馬に乗っているのは廬井鯨だ。急いで追
って射よ」と命じた。甲斐の勇者は、馬を馳せて鯨を追ったが、今にも鯨に追いつこうと
したとき、鯨が激しく馬に鞭をあてたので、馬は泥から抜け出し、駆けて免れることがで
きた。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事