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今、日本人に足りないもの。
それは何か?
“恥”
なるほど。
恥じることの美徳。
ヤクザの交渉術とか流行ったけれど、交渉術よりも見習うべきものがあるんじゃないかと本気で思った。
本物のヤクザを知らないだけに思うしか出来ないけれど、『何が無くとも礼節を軽んじるべからず』『恥ずかしいことをしっかり恥ずかしいと思うこと』『心底本気で事に当たる』と言うことを学んだ気になれた!
しかし、読んで思うのは…今野さんにハマり過ぎと言うか、感化されてないか?
べつにそれが悪いことではないのだけれど、『自分』と言う物が未だに形成されてないことに驚く。
嫁に話してビックリされたのだが、僕は中学まで本を読むのは嫌いだった。
読書感想文も極力薄い本でテキトーに書いていたし、読むなら国語の教科書程度の分量が丁度良かった。
そう言う意味では、『あかほりさとる』と言う大先生の存在は大きい。
本人も認めているが、あれは小説・ノベルではなく、脚本である。
そして、周りの大人もアレで読書をした気になるなと言う。
きっと、あかほりさん本人もそれは認めるところだろう(笑)
しかし、なにをするにしても『きっかけ』と『入り口』は大事である。
ゆとり直前の世代、すでに家庭用ゲーム機が生活に浸透していて、外で遊ぶ必要性が解らなくなっていた子供時代、インドアとしての『読書』の価値はゲームの存在によって完全に失っていた。
教養の必要性として見失っていたし、時間を潰すときの存在感では立場を失っていた。
(あ、ちなみにアウトドアでは野球に自転車にとそれなりに経験してましたよ♪)
そんな読書の下地の無い僕にとってはあかほり作品というのは非常に丁度良かった。
正直、今思うのはラノベとマンガの中間程度のボリュームしか無かった。
けれど、それがステップとして丁度いい高さだったのである。
これは生まれ持っての才能なんだろうけど、僕は読むのが非常に早いらしい。
今回紹介した『任侠学園』は二時間程度である。
あかほりさんの小説は30分〜45分。
なんとも高校の通学時間に読むには最適だった。(電車で30分乗ってたから)
読むことに抵抗が無くなれば、あとは活字にハマった。
だたし、すでにアニオタ化していたので文学的なのよりはライトノベルなものが殆どだったが。
そして、活字が生活に浸透すると気付くのである。
『読書で得られる想像力の大切さ』
きっと、子供の頃に僕と同じような環境で活字に縁の無い生活をしていた人で、30になっても活字が苦手な人が居ると思う。
そしてその一部は、想像する力すら無くしているかも知れない。
それは『ゆとり世代』と言われる僕のすぐ下の世代ならより増えるだろうし、ゆとりど真ん中の人達は顕著だろう。
そんなことも、この本を読んで思った。
僕もまだまだ諸先輩たちに比べて色々なものが欠如しているのだろう。
きっと40代〜50代の人達からしたら僕らすらゆとり世代に入れられるかもしれない。
…まぁ、ゲーム世代と言う言われ方をされれば、むしろど真ん中なわけですが。
この仕事するようになって9年、なんだかようやく中学校を卒業する気分です!
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