ここから本文です
熊野古道に興味津々の方々 御案内致します(古道 ガイド)

書庫日記

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

多富気王子の傍に 大きな楠が立っている 此の木も樹齢八百年 中は空洞 
内部はグラスファイバーで補強されている 倒れないよう 上方にワイヤーを結わえ
杉の根っこ回している この辺りは 孟宗竹の竹藪 今年は竹の子が良く生えた
古道の石も何か所か 竹の子の成長で 持ち上げられ痛んでしまった
成長が早く 気が付けば石が 押し上げられている 今年も所どころ 浮石が出来てしまった
イメージ 2イメージ 1
















イメージ 4

イメージ 3

          続きは 明日?

胸高 幹回り約8.5mの夫婦杉 右と左ほゞ同じ太さだ 
お客さんの質問で多いのは どちらが男で どちらが女 此れには困る

関東 関西 左右反対の事が多い お雑煮の御餅  関西は丸 関東は四角
江戸時代 関西はイカ揚げ 江戸に行って タコ揚げになる
お雛様 関東と関西 立つ位置が逆 事ほど左様に 関東 関西は逆
此れは多分 信長 秀吉 家康 皆さん中部地方出身 
最後の仕上げをした 家康さんは 京都の公家さんが苦手で 遠く離れた関東に
幕府を置き 関西と反対の事を 奨励したのでは?

そこで私は 夫婦杉を振り向き お客さんに観て頂く
振り向いて観る夫婦杉 
 右の杉は左に枝が無く 総て右方向に伸びている
 左の杉は 枝が左右に枝が伸びている
右の杉は 両手を前に 逃げている様  左の杉は 両手を広げて追っかけている様
皆さん 家庭の事情で 決めて下さい 口には出さない方が よろしいようですと
お茶をにごす
イメージ 1

夫婦杉を背に少し歩くと この時期(6月の梅雨どき)緑 青 紺 表現の仕様が
無い 蛍光色に輝く 不気味で異様な羊歯が 群生している
この羊歯の名は 紺照り鞍馬苔 鞍馬山に多く生えているらしい 中国産
昔 お坊さんが 中国から持ち帰ったのか? とにかく異様だ
イメージ 2イメージ 3












夫婦杉から30m余り歩くと 右手に多富気王子跡が有る  九十九王子最後の王子
と書かれている 九十九とは 沢山有る事を言う 九州九十九島 九十九里浜
京都からの王子の数は 八十三 四 時代によって変わっている
多富気王子は 潮崎 多富気さんが 寄進した王子と言われています
建てられたのは 江戸時代
王子とは 何ですか この質問も多い 
一般に 言われているのは 仏教では 童子 神道では 王子 
近くの大きな神社の 御子神 無難な答えだ
 実際は 昭和の王子 平成の王子 出来ては消え 消えては出来る
道の駅 ドライブインが 今様 王子神社

昔の旅は旅費が掛り 個人での旅はよほどのお金持ちでないと出来ない
そこで講と言う 団体をつくる この中から2〜3人が旅に出る 残りの人達は
2〜3人の旅費を出す帰って来ると次の2〜3人 この様な講を幾つも管理していたのが先達(山伏) 今様旅行会社兼添乗員 旅人は途中 お団子 御餅 御汁粉等
食べるが 先達には高い旅費を払っているので 先達への お裾分けは無い
其処で 先達は通過する集落の 氏神様を 王子と称して社を作らせ
旅人に 旅の無事を祈ろうとお参りさせる 手を合わせれば 賽銭箱に 幾らか
入る 入った金額の2〜3割を先達が頂く 
古道には 水呑み王子 等もある 此の水を飲むと 元気に峠を越す事が出来る
疲れが取れる 有り難いご宣託 昨日まで無料で飲む事が出来た水が今日から有料
此れが王子です 
多富気王子が 何故跡に成って居るのか 此処では賽銭が入らないから
沢山の参詣者が歩く 神社近くに移動して居ます
イメージ 4
イメージ 5












            続きは 明日?


熊野古道 大門坂 4

振ヶ瀬橋を渡ると 左手に鏡石が有る 私が子供の頃 此の石は道の真ん中に置かれていた
此の石を飛び越える事が出来ると 悪餓鬼の仲間に入る事が出来る 此の石も何時の間にか
路の端に追いやられて居る 石が道の真ん中で参詣者を迂回させる役目をしていた
石の左側を迂回する時 屈んで手を合わせる 其れで鏡石(屈石 かがみいし)
手を合わせた遥か向こうの谷に陰陽の滝が有る 滝は見えないが滝の方向を示す石だ
立て看板には 祈り石と書いて有るが 此の石に祈ってもご利益は無い 字がまちっがている
祈りでは無く 祀り石だ 石を動かした為に 本来手を合せる陰陽の滝にお尻を向けて
有らぬ方向に手を合せている 地元では此の石を 陰陽滝の治め石と言っていた
暴れないで(洪水を起こさないで)静かにして居て下さいと言う事でしょう
  
イメージ 1
イメージ 2

其の先には 夫婦杉がそびえる パンフレットには 55mと書かれている
5年前に 測って見たが 約34〜35mだった 私が子供の頃に 枯れた梢を1〜2回
切った記憶がある それで20m近く低くなったのでしょう
樹齢は800年(子供の頃から変わらず) イメージ 3イメージ 4イメージ 5

続きは 明日?

熊野古道 大門坂 3

イメージ 1東屋さんの石垣からベゴニアが顔を出している 白い花は源平小菊 どちらも園芸種
種が飛んで自生している

石垣に根を下ろすと 山野草

畑に根を下ろすと 雑草

生まれ育ちで 扱いが違う

 石段を5〜6段上がると 右手に下馬と書かれた石柱が有る 馬に乗るのは此処まで
 其れじゃ駕篭(かご)に乗り換え 其れはダメ 馬とは 乗り物の総称を指す
 昭和30年代の 出張旅費清算では 宿泊費及び車馬賃(交通費)と伝票を切った  
  此処からは自前の足で歩きなさい 乗り物禁止
イメージ 2イメージ 3










        其の先に赤い橋が有る 橋は振ヶ瀬橋 川は振ヵ瀬川 此の川 橋で俗界と仏神の世界を
分けている ある人は此処で俗界と振り分けていると言う 其れなら振り分け橋
振り分け川で良いはず 振ヶ瀬は 枷{カセ(手枷 足枷)}を振り払う 世間の柵(しがらみ)を振り払い俗界を忘れて橋を渡りなさいとの事
イメージ 4  
イメージ 5イメージ 6











 
       
  続きは 明日?                           

熊野古道 大門坂 2

大門坂駐車場から車道を約200m歩くと 車道左手に 大門坂入り口が有る
熊野道 熊野古道と2本の石柱が立っている 熊野道は文化庁が整備 
その後  国交省が世界遺産として熊野古道を整備 此処にも各省庁の縄張りが垣間見える
イメージ 1
 左に入ると綺麗な石垣が築かれ1反に満たない2〜3枚の田んぼ有る 
此の綺麗な石垣の丸い石は 火山溶岩 約1400万年前紀伊半島は4000m級の山脈でした 火山爆発で山脈が消滅しその時の火山溶岩です その後隆起して現在の
紀伊山脈が出現したのです 其れが熊野3600峰です
イメージ 4

大門坂と書かれた石柱を右手に5〜60m緩い坂道を上ると 旅籠だった家が何軒か
有ります 1軒大正時代の宿が 残っています 気の毒な事に 1年中雨戸が閉まってます
世界遺産登録前後から雨戸を開ける事が出来なくなりました 
開けておくと 観光客が無断で入って来るそうです 資料館と勘違いするようです
       大正時代の旅籠  東屋さん ご夫婦が 住んでいらっしゃいます
イメージ 2
 
イメージ 3

続きは 明日?

開くトラックバック(0)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事