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渋谷のつづきです。
原宿駅近くにある橋、
「五輪橋(ごりんばし)」です 1964年(昭和39年)3月竣工
そう、東京オリンピック開催に伴い
水泳会場の代々木競技場に行くために架けられた橋です
欄干もマラソン、体操、柔道と、
五輪競技のデザインです
地球儀が乗っているところもいいですね☆
五輪橋の下は、というと川ではなく線路
JRの電車が走ってます
橋の全景はこんな感じ
2020年は「新・五輪橋」がどこかに架かるのかな?
東京オリンピック・パラリンピックに向けて
楽しみがまたひとつ増えました♪
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ぶらり*ステキな橋
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詳細
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くまさん、ただいま。
日本橋から木場まで歩いてきたよ〜
歩いた距離は約4㎞、約45分のお散歩です♪
永代通りをまっすぐ歩いたので特に面白いものはなし(笑)
そこで、途中にある「永代橋」をパチリしてきました。
永代橋(えいたいばし)は、隅田川にかかる橋で、
東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)を通す。
西岸は中央区新川1丁目、東岸は江東区佐賀1丁目及び江東区永代1丁目。
地下に東京メトロ東西線が通る。
(Wikipediaより)
橋の中央からパチリ☆
佃のビル群が美しいです♪
反対側の眺めはこんな感じ
正面に東京スカイツリーが見えます。
永代橋はアーチ橋ですが、
渡っていると橋のカタチがわかりませんね(笑)
橋の長さは184.7mで、幅は25.0mです。
お正月だと道路はこんなにガラガラ
通常平日は朝晩など時間によっては渋滞する橋です。
渋滞緩和のため、センターラインが変わるのも特徴です。
初めて車で走った時、怖かった〜(汗)
とろとろ渋滞中なら前の車についていけばいいのですが
このようにガラガラだと、慣れてないとちょっとキケンです。
ゆるやかな坂道で、道もカーブしているため
中央線がわかりにくいんですよ・・・
橋の全景を見るため
隅田川の遊歩道へ降りてみることにました。
こうやって見ると、
なかなかきれいな橋ですね〜
夜はライトアップもするので
またいつか撮りに来たいと思います♪
以上、永代橋でした〜
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くまさん、ただいま。
今日、2月12日午前10時に開通した恐竜さんの橋、
じゃなかった(笑)
改め、
「 東京ゲートブリッジ 」 に行ってきたよ〜
若洲は東京ゲートブリッジに向かう車で、
ちょっと渋滞してました(汗)
あら?
看板の表示が消えてる?
左に行く道はまだ出来てないのかな?
橋の上を歩いている人もいっぱい、
日の丸の旗を持ってお祝いしている人もいました☆
恐竜さんが見えてきました。
いよいよ恐竜さんの中をくぐります。
ワクワク♪
ひとつめの恐竜さんをくぐり、
そして、もうひとつの恐竜さんへと向かいます(笑)
正面より少し右には真っ白な富士山、
正面には横浜のランドマークなど、高い建物がよーく見えました♪
橋を渡り終えたところで振り返り、
パチリ☆
この後、城南島まで走り、
戻ってきました(笑)
新木場方面へと向かいます♪
左側には、東京タワーやスカイツリーがよく見えます。
東京の景色が一望でき、とてもいい眺めでした☆
こちらの正面には、
葛西や浦安などがよく見えました。
東京ゲートブリッジを往復し終了〜☆
と言いたいところですが、
橋の全体を見ることができなかったので、
撮影の穴場スポット、新木場にも行ってきました♪
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都電の面影橋駅の様子を
ひとつ前の記事で紹介しましたが、
面影橋という名前にものすごーく興味を持ってしまった私、、、
どんな橋なのか見に行ってみることにしました。
こちらがその 「 面影橋 」
面影橋 は、新宿区西早稲田と新宿区高田にかかるコンクリートの橋、
橋自体、特に主だった特徴はありませんが、
やっぱり橋の名前がいいですよね〜
そこで面影橋の由来をパチリ☆
↑ クリックすると大きくなります。
【面影橋の由来】
目白台から続く鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり,姿見の橋ともいわれていました。 橋名の由来には諸説あり,高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説。 鷹狩りの鷹をこのあたりで見つけた将軍徳川家光が名付けたという説。 近くにいた和田靱負(ゆきえ)の娘であった於戸姫(おとひめ)が,数々の起こった悲劇を嘆き, 水面に身を投げたときにうたった和歌から名付けられたという説などが知られています。
なお,姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので,別の橋だという説もあります。 水面が鏡のように見えなくもないような・・・
そして、
面影橋の近くには、
このような石碑がありました。
太田道灌の
「 山吹の里 」 伝説の地を記すもの。
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ここから少し行ったところに
山吹町という地名がありますが、
(水稲荷神社でも記されていましたが)
山吹町を含めこの辺り一帯を
山吹の里と呼んでいたそうです。
【山吹の里伝説】
文明年間(1469〜86)、太田道灌がこの付近に鷹狩りに来た時、 急雨に降られて近くの農家で蓑を借りようとしました。
家の中から出てきた娘は、庭に咲く山吹の花を手折って道灌に捧げました。 道灌はその意味が理解できずに帰り、近臣に事の次第を話したところ、そのうちの一人が、 中務卿兼明親王の「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」の歌を借りて、
家に蓑がないから貸すことができないとの意を表したのだろうと話しました。
自分に歌心のないことを恥じた道灌は、その後、和歌の道に励んだといいます。 今年は太田道灌とも縁があるなぁ・・・
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