|
2018年6月に行った北東北の記事の目次を作りました. |
東北
[ リスト | 詳細 ]
|
盛岡から仙台までは高速バスのアーバン号を利用しました. 名前はアーバン号と統一されていますが,運航している会社は岩手の岩手県交通,JRバス東北,岩手県北バスの3社と,宮城の東日本急行,宮城交通の2社です. 各社の便が順次,出発するダイヤになっていますが,お昼頃までは岩手のバスが盛岡を出発して仙台から帰り,逆に宮城のバスがお昼頃までに仙台を出発して盛岡から帰るようになっていました. 私は夕方に盛岡を出発するバスを利用したので,バスは宮城交通のものでした. 2時間半の道中,途中の中尊寺PAで休憩時間もありました. |
|
岩手県二戸市には,南部氏の一族である九戸氏が築いた九戸城がありました. 豊臣秀吉の小田原攻めの後に奥州仕置が行われ,小田原に参陣しなかった大名は追放されますが,このときに南部宗家の南部信直に対し九戸政実が挙兵しました. 南部信直は苦戦しますが,秀吉から領地を安堵された立場だったため,九戸政実の挙兵は豊臣政権への反乱とみなされ,豊臣秀次を総大将とした鎮圧軍が派遣されました. 鎮圧軍は6万の兵で九戸城を包囲しますが,なかなか落城させることができず,婦女子や下級武士の助命を条件に開城させました. しかし約束は反故にされ,城内にいた人たちは皆殺しにされたそうです. これが豊臣秀吉の天下統一の最後の合戦となったそうです. その後,蒲生氏郷によつて大改修され,福岡城として南部宗家の本城とされますが,南部氏は盛岡城を築いて移り,福岡城は廃城となりました. 領民は九戸氏の無念を感じて九戸城と呼び続け,現在も九戸城と呼ばれています. 九戸城ガイドハウスから順路に沿って進むと,城の外側には高い岩壁もありました. 右回りに回り込んだ奥が二の丸の大手でしたが,この部分は調査中になっていました. 二の丸は広い広場になっていて,その向こうに堀と土塁に囲まれた本丸がありました. 本丸への右側の入口部分にある大手門跡には橋が架かっていて,周囲に石垣が少し残っていましたが,これは東北最古の石垣だそうです. 本丸部分は蒲生氏郷が改修した部分と考えられていて,石垣は肥前名護屋城や会津若松城と共通する造りだそうです. 一段高くなったところには本丸隅櫓があったそうで,本丸は土塁に続いて植え込みで区切られていました. 本丸にはもう1つの入口がありましたが,こちらは地続きで枡形になっていました. 二の丸の北東の絡手から外に出て周囲をまわりましたが,下から見上げる土塁は高さがありました. |
|
青森県から岩手県に入って盛岡までは,岩手県の第三セクターであるIGRいわて銀河鉄道を利用しました. 名前は岩手出身の宮沢賢治の作品である“銀河鉄道の夜”にちなんだもので,IGRはイワテ・ギャラクシー・レイルウェイの略です. もともとはJRの東北本線の路線でしたが,2002年に東北新幹線の盛岡・八戸間の開業に合わせてJRから分離されて開業しました. 同時に開業した青森県の青い森鉄道との境界は,青森県との県境を越えた先にある目時駅で,IGRいわて銀河鉄道の路線は盛岡駅の北側から目時駅の南側までになるそうです. 目時駅で車両を乗り換えることはなく,青森県の八戸駅から岩手県側までIGRいわて銀河鉄道の車両と乗務員で運行されていました. 八戸駅はJR八戸線への乗換駅であるため,JR,青い森鉄道,IGRいわて銀河鉄道の車両が並んでいました. 青い森鉄道の切符を持って乗車したので,降りるときに目時駅からの料金を支払いました.
写真は,左から,JR,IGRいわて銀河鉄道,青い森鉄道の車両です.
|
|
青森県八戸市周辺の郷土料理に,せんべい汁があります. 名前の通りせんべいが入った汁もので,せんべいは青森の特産品の南部せんべいで,せんべい汁専用の南部せんべいもあります. もともとは江戸時代後期に,汁物に柔らかめのせんべいをちぎって入れて食べられるようになったそうで,明治になって鉄製のせんべい焼き器が大量生産されると,南部せんべいは現在のように堅焼きのものになったそうです. 更にはせんべい汁専用のものは煮込んでも溶けにくいものになっています. 2003年には八戸せんべい汁研究所が設立されて全国に紹介され,2006年に第1回が開催されたB級グルメのイベントであるB-1グランプリは,八戸せんべい汁研究所がプロデュースして八戸で行われたそうです. 私が頼んだものは肉,野菜,キノコが入った醤油味の汁と一緒にせんべいとネギが出てきて,せんべいを手で割ってネギと一緒に入れて食べるようになっていました. せんべい汁専用のせんべいは,確かに汁に入れてしばらく置いておいてもほとんど柔らかくなりませんでした. 見た目は変わった料理ですが,味は想像通りのものでした. |




