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《第1章》 文字デザインの目覚め
父が書道家でもあったせいか、17歳の頃、突然。
文字のデザイン、成り立ち、レタリングに目覚めてしまった。それまでは、好き放題の青春をおくり、ミュージシャンとスキーインストラクターを目指していた。それにもかかわらず…水を得た魚の様に。
18歳の時。美術学校デザイン科に進学を勝手に決めた。
周囲は、みんな目を丸くしていた。浪速短期大学デザイン美術科入学。ここで、最初の出会いがあった。東大阪石切在住の恩師山中氏。貧乏学生だった私の為に、居候させていただいた上。韓国ソウルの美術大学との交流会参加の為に尽力いただいた。1971年9月。19歳。渡韓。
この韓国行きがきっかけとなり、近くの国の読めない文字『大いなる文字・ハングル』の研究を時間が許す限り行い。展覧会がある度に、そのレポート作品を出品し続けていた。…その間、一国の文字を創り上げた人物像に振れる事となる。ハングル文字を、半生を掛けて創り上げた、李朝時代の王、世宗大王。(もっと知りたい人物像)
※この話は、別コーナー『大いなる文字・ハングル』で述べたい。
世界の文字のルーツ探訪に、関心を持ちながら、全て探求する余裕はなかった。
常に気になっていたのが、古代日本には中国から漢字が渡来するまで本当に文字は無かったのか。語り継がれてきた、あの大陸の英雄ジンギスカンやモンゴルは…。
ある仮説を自分でたてていた。
きっと、おおらかな、多人種多言語自由混合の地。決して単一でなく、寄り添って生きるバイリンガルな人たちの時代があったに違いない…と。
《第2章》 モンゴル青年との出会い
1993年秋。41歳。私は、これからやって来るデジタル通信の時代をにらみながら、近畿郵政局などが中心となって行っていた『マルチメディア研究会』に参加していた。会合の場所は、いつも大阪商工会議所内。
つづく
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