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薄明かりのロビーのソファーに目を向けた。 絶句。
お父さん(作家、フゴジレトゥ氏)、お母さん(書道家、オトンゴワ女史)が…じっと待っていてくれた。 走り寄った。抱き合った。 部屋に入るのも忘れ。 同行してくれた中に、中国国籍を持ち日本に嫁いで来た女性がいた。無理やり通訳をしてもらった。
僕の旅行カバンは、部屋に運ばれる途中であった。
「これは、いいから」と…
お父さん、お母さんの前で、カバンを開け、
あのロングサイズのダウンジャケットとハンフー(6ヶ月)の写真を手渡した。残念ながら、大書道家アイリィトゥ氏は30分前まで一緒に待っていてくださったが、家の事情で戻られた。書道家、ジグジト氏は、怪我をして来れなかった、との事。それは、残念だったが
再会の喜びとお互いの健康を確認しながら、1時間は会談した。
訪問中に是非もう一度会いましょうと約束。まったく予定も判らないまま別れた。 荷物も心も軽くなった。
… 自分の部屋がわからなかった。が、なんとなく見つかり。午前2時ごろ就眠。 フフホトの初日だった。
晴天の朝を迎えた。同室の松本さん(康弘の活動をライフワークとして何年も前から、ビデオ取材を引き受けてくださっている方。広島県三次市在)は、早朝から散歩。流石取材班。朝食を一緒に採りながら、どうなるか判らない予定と撮影の段取りを打ち合わせ。(朝食の場には、同行した日本人は、誰も居ない。松本氏と席を立った時、だれか一人だけ現れた。別の観光客だった。朝の挨拶を交わしながら、なぜか、不安を感じた。添乗したガイドも居ない。…弟は、大丈夫か?)
朝8時。出発。モンゴル民族の保育園に行く。
わがままな、日本から同行した女の子たちが居て、出発遅れる。
晴天、日本晴れ(いや、モンゴル晴れ)。空は、とてもいい蒼色だった。
保育園着。午前10時頃。
バスの中から、松本氏と共に、言葉にならない、無言の歓喜をあげた。
「さぁ、行こう。」
松本氏は、サッとビデオカメラを肩に担いだ。僕は、スチールカメラを構えた。 二人して、バスを飛び出た。
つづく
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