kohno-fam 河野博光デザイン記

人とひとの出会いから 多くの思い出が できました

絵日記

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壱岐 大栄電機

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1980年作

小生が、25歳の時結婚した。うれしい事に義兄弟姉妹が増えた。

 その中の義兄は、静岡県出身。海の男。俗に唄う、清水港の名物は〜
船乗りでは無いが、船の技術者である。漁船の装備は、全てやってのけるエンジニア。
九州支社を任され、福岡を拠点に壱岐対馬…と、その手腕は発揮された。
特に壱岐の島との関係が深まり、徐々に独立開業への道が開け始めた。

 その頃は、よく博多の中洲で一緒に飲み明かしたものでした。

1980年 義兄は、博多港近くで『大栄電機』を創業。その時の作品。

その後、義兄は家族と共に壱岐の島、芦辺港横に移住・開業。

※小生は、義兄宅 大栄電機を拠点に…
 奈良のボーイスカウト隊の遠征キャンプ地としてお願いしたり
 ヨーロッパの友人家族を受け入れていただいたり…と
 よくお世話をかけてしまった。
 タクシーの運転手さんにもよくしてもらった。ボーイスカウトのキャンプ地候補を
 教えてくれたのもタクシーの運転手さんだった。…それも、秘密の場所だった。感謝

島の教育委員会の方、漁協の青年団の方々、歴史家、建築家、市場のおばさんおじさん
港で、カニをくれた子供たち… みんなに ありがとう

大塚電子

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1986年作
この仕事で、色も音も、ラジオもテレビも、レントゲンも…
同じだったんだ。生き物の細胞も地球や太陽も同じ力で動いている。
…改めて、教えてもらった。

地道な電磁波研究を長年積み重ねてきた『ユニオン技研から大塚電子へ』社名を変更。
同時に、世界に通じるブランド名(日本のこころを入れて)の開発。

私たちの身近にある物で言えば、
1990年代に入ってからは、ごく当然の様にある、オートフォーカスカメラの技術。

人間の眼に見えない、超微粒子とか、空中のほこり、卵の中の黄身の育ち方…
スポーツマンの筋肉疲労度…とか
リアルタイムにモニターに映し出してくれるのである。

※この技術が、もっともっと、切り取ったり破壊せずに、自然や人の為に
 活用される様に今も願っています。

ひかりを自ら利用して、求愛しているのは『蛍』だ。
光の分子(電子)が英語で、PHOTON。 
nature が natural の様に、(…の性質)を現す英語が、…al。
こころは決まった『Photal』。

OSAKAエンタフェス

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2005年作
長い長い 日本の歴史の中で、街の中 村の中 街道 畦道 路地…。
こころ和ませてくれた 旅芸人 道中役者。
… あんなに 楽しく 喜ばせてくれた人 あの人たちは 何処へ …
きっと 時代に 消されたのでしょうね…

戻って来た 大道芸。 現代名『パフォーマー』。かっこいい。
一人ひとりが、最高の技を磨き上げた芸術家たち。
昔の日本の野に生きるサムライたち。ひとが好きな奴ら。

10月9日・10日 大阪ミナミ界隈に戻ってくる。
大昔、なにわが、おおらかな国際交流都市だった様に…

※私に孫が出来たときに…
 おどけた ピエロが 風船で 人形を作ってくれたり
 不思議な事を見せてくれたり
 おどろいたり わらったり びっくりしたり

そんな事に、思いを巡らせ
OSAKA ENTAFES 2005 のシンボル・ロゴを制作。

新宅産婦人科病院

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1985年作
素晴らしい産婦人科医師・山縣猛日氏との出会い。
東京の広告プロダクション社長田村氏からご紹介いただいた。
山縣猛日氏は、北海道出身で大変苦労されてきた、お医者さん。
毎日、出産に立ち会う度に喜びを感じるという…
髭を蓄えた笑顔に、やさしさと深さとがにじみ出ている方。

当時、お勤めになっていたのが岡山の新宅産婦人科病院。
その新宅院長が急死され、独立開院を先延ばしにし、なんとか在任中に
これからの産婦人科病院のありかたをしっかりと残しておきたいと願い、
院長を引き受けられました。

全職員・医師の意識改革と父母教育、その為のイメージ創り。
熱く、人の生き方、家族、座右の銘、子育て論、正しい食事、断食…
時間もわすれ、酒を酌み交わせ語り合いました。
大変波長が合って、感激したのを今でも覚えています。男が男に惚れた。

物事をデザインする… この感動が原点なんですね

山縣猛日氏の人柄に惚れて、出てきたテーマが=ラブリークリニック。
あたたかくて やさしい ピンクの十字にハートを重ねて完成したシンボル。
これがきっかけとなって、産婦人科病院のトータルデザインが始まりました。
(この作品は、『世界のCIデザイン・日本編』に掲載されました。)

現在、山縣猛日氏はご夫婦で、岡山県内にて
とてもアットホームな産婦人科医院『サン・クリニック』を開業されています。
産婦人科および子育てのご相談には、絶対おすすめです。

欧州日本交流協会

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1986年作
1970年代後半から徐々に諸外国のクリエーターとの親睦が深まった。
その中でも家族付き合いが始まったのが、フランスの工業デザイナー J.Pヴィトラック氏。
フランス語の通訳をしていた、村上智子女史から紹介を受けたのが始まりでした。

J.Pヴィトラック氏は、親日家で毎年日本を訪れ、日本企業の製品デザインを多数手がけていた。
彼が東京でデザイン講演会を開くときには、ポスターやパンフレットを。
作品集を出版する時には、日本語ページのデザインを私が手がけていた。
奈良に家族を連れてきた時には、我が家で子供同士がゲームに興じ、親同士は酒を酌み交わし
カラオケを楽しんでいた。

日本文化を沢山知りたいと彼は願っていた。日本家屋の作り方を教え、西洋では考えられない
刃物の造り方(鋼を削って作らず、熱した鉄を鍛え上げていく方法)を見せるために、
幼馴染の刀鍛冶師・河内国平氏の鍛錬場(東吉野村)まで案内した。
河内国平氏は、丁寧に刀造りの工程を現物を見せながら説明をしてくださり、
めったに一般の人が入れない鍛錬場に案内していただき、刀を鍛え上げる現場を
間近で拝見出来る事ができた。

それで、彼もカルチャーショックを受けたのか…
それまで日本に来て食べれなかった、おむすびを美味しそうに初めて食べた(本人も驚いていた)。
後日、円心流居合を習っている私は真竹を用意して、彼に居合の形を披露し竹を切って見せた。
…精神が洗われた様な気がすると語ってくれた。
後年、私がパリを訪れた時には、ヴィトラックデザインのスタッフと家族が暖かく迎えてくれました。

そんな関係から、徐々にヨーロッパの人たちとの輪が広がり、東京在住のヨーロッパグループと
出会いました。小さなEUです。
EJ ASSOCIATION(欧州日本交流協会)から、ぜひシンボルマークを作って欲しいとの依頼があった。
テーマは、ヨーロッパと日本との文化理解を深めたい。
何枚も何枚も筆で「日」の字を書き、気に入った1枚にアルファベットの「e」を重ねて完成した。

 翌年暮れ 父(力)他界。告別式にわざわざ、東京からEJ ASSOCIATION(欧州日本交流協会)の
メンバーが花をたむけに来てくださった。感謝

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