kohno-fam 河野博光デザイン記

人とひとの出会いから 多くの思い出が できました

絵日記

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日本エスアイシー

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1977年作。 日本エスアイシー。
日本とアメリカとの合弁信販会社。
略号の『S I C』と大空に羽ばたく鳥をイメージして制作。

日米での合弁会社設立が決まってから、なかなかシンボルマークが決まらなかった。
旭通信社時代のある日、眠たくなるような、営業会議中。
眠気を堪えるために、メモ帳にアイデアをスケッチしていた。
突然、脇にいた担当営業部長が私の肩をツンと押しながら、
笑顔で、OKサインを出した。
会議終了後ただちに自宅に戻り、徹夜でこのシンボルを仕上げた。
その後、日米間で了承を得。
店舗設計、ユニホーム、企業案内、広告…伝票1枚に至るまでの
トータルデザイン(今で言う、CI)を行った。

《こんな事も世界には…》
第1回アジアグラフィックビエンナーレに入選。
全アジア地域のデザインの祭典が1980年から開始。アジアの西から順次、東の日本まで
開催される予定だった。第1回イラン・テヘラン展。
入選通知が来、入選作品集も届き…担当者もみんな喜んだ。
ビエンナーレへの招待状が届いた翌日
…あろうことか、イラン・イラク戦争が勃発してしまった(1980年9月)。
このビエンナーレは、幻となった。  …世界では、いろんな事があります。

二コール

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1973年作。
神戸のお菓子メーカーがドイツの菓子職人を招いて出来た、(株)ニコール。
社名と商品名は、ヨーロッパで有名な、伝説ともなった『ニコール・二コレット姉妹』から由来。
バレンタインデーに向けて、高級チョコレート菓子製造。
このデザインするにあたっては、世界の高級化粧品を扱っている、百貨店を
毎日歩き回り、化粧品コーナーで、よく白い目で見られた。
高級化粧品のイメージが必要だと思ったからだ。

何人ものデザイナーがこのデザインに参加。
最後にドイツの菓子職人が、この作品に決定を下した。
パッケージ、包装紙、ペーパーバッグ、ポスター…など
私にとって初めてのトータルデザインが出来た。

《こころの思い出》
この商品は、高級菓子。関西では販売せず、東京で販売開始。
売り出されても、私には買いにも行けず。
その当時、東京へ音楽修行に出かけていた弟が、高価にもかかわらず買って来てくれた。
生駒の町を歩いていた時に、素敵なお嬢さんが…なんと
ニコールのペーパーバッグを提げて歩いていた。
…思わず 声をかけてしまった ありがとう と

わかくさ国体

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1983年作。
1984奈良(わかくさ)国体 夏季大会。
ハンドボール競技会場=生駒市。

生駒中学時代の恩師・体育教師土井喜光氏。ニックネーム=どいはん。
鬼の教師として、みんなに恐れられていた。 …が
絵画、音楽、写真と造詣が深く、大らかなやさしい心の持ち主でもあった。
ある日 「河野よ、生駒がハンドボールの開催地になった。
     いしょにあばれてくれんか?」
即座に 「あばれましょう!」
こんなニュアンスの会話から始まった、競技会場となる
生駒のトータルデザイン。
その 中核を成すシンボルキャラクターがこの作品。

恩師と共に行った、忘れえぬデザイン。

《よくあった、愚言》
「国体で儲けただろう。」 …答えは、
わっはっは! デザイン料の支払いと言う項目は、一切役所に存在してません。
儲けたのは、わたしのデザインを利用した様々な業者でしょう。

サンバ デ ドンデ

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1972年作。
保育園から中学校卒業まで、ずっといっしょだった山野上正男君。
小さな時から、リズム感良く、センスがあった。
青春時代ドラムを始めた。その時、ドラムス山野上正男の名刺をデザインした。
その後、彼は独自のバンドを結成。バンド名『サンバ デ ドンデ』。
その頃、彼は地方公演も多く、五線紙を求めに月1回は心斎橋の楽器店に通い。
生駒にあった我が家に、いつも寄ってくれた。朝方まで、よく話をした…
その『サンバ デ ドンデ』のシンボルとして、
陽気なサンバのリズム、南国の海原を思い浮かべてデザインした。
また、いっしょにリズムにのりたい…

いずみホール

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1989年作。
大阪城公園周辺の再開発で出来た、住友生命ビル。
その一角に、『いずみホール』が建設された。
戦後、住友生命が日本の各地に音楽で癒しを…との願いから、
独自のオーケストラを編成、『いずみホール』と名付け、
ボランティア演奏会を長年続けてきた。
拠点となる室内管弦楽ホールが、この時出来上がった。
その当時、JR『ウエンズ』のシンボルマークを目にしてくださっていた社長が、
ぜひ、このデザイナーにデザイン依頼したいと、探していただいた。
デザイナー冥利につきる。

デザインテーマを、ウイーンの森の…その中の泉に…やさしい歌声、
まるで母の様な…音楽の女神を連想して制作。

《こころの思い出》
それまで、堅苦しいクラシック音楽が苦手だった私でしたが…
オープン記念コンサートに招かれた折、ドイツのオーケストラの
なんと、おおらかで…演奏者全てが、にこやかに演奏している姿、
音そのものに、日本の教育で教わって来たような、機械仕掛けの
ロボット人が演奏するものとは、まったく違った。大好きになった。
●9歳になった娘をその時連れていきました。日本のクラシック音楽の
コンサートのほとんどが、子供の入場禁止。しかし、いずみホールでは、
社長はじめ、全スタッフが優しく迎えてくれ、同席した観客からも
お嬢ちゃんよく来たね…と歓迎された。
●その後、弟康弘(ジャズピアニスト)がこのホールでコンサートを開いた。
おふくろも聞きに行った。

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