kohno-fam 河野博光デザイン記

人とひとの出会いから 多くの思い出が できました

絵日記

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思い出の ナタリー

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1973年作。
大西洋で活躍していた帆船『ナタリー号』。
その役目を終え、遠く日本まで曳航されて来た。
広島ナタリーパーク(当時、日本初の海洋遊園地)。
25年間、さまざまな人を楽しませてくれた。

PR誌『アンデルセン』

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1970年、子供の絵画教室を自宅で開き、休みには新聞配達。
やれるアルバイトは何でもやった。
青春時代。美術大学に通いながら、なんとか作品が世に出れば…
1971年、編集デザインの仕事を依頼された。学生の身分を隠し。
文案家(コピーライター)と二人だけの仕事が、始まった。
ギャラは無し、材料費は自己負担、一ヶ月に一度、現物支給。
筆1本、富士タックのフィルムベース1巻き、DIC色見本1冊…
これをきっかけに、グンゼのPR誌、広島銀行のPR誌の
編集(エディトリアル)デザインを担当することになった。
もちろん、ギャラ(月4万円)は戴いても、交通費・保険無し、
材料・道具代は全て自己負担。
(親に心配かけてしまった)… そんな、時代でした。
そのお陰で、いい出会いが沢山ありました。
この、タカキベーカリー(本社・広島)のPR誌編集のデザインが
私が、社会人となれた、忘れえぬ仕事でした。 感謝

表紙イラスト:水田秀穂氏

みろー洋装店

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1970年春(大阪万博の年)。浪速短期大学デザイン美術科入学。
課題で、ロゴタイプ制作の授業がありました。テーマは自由。
戦後、年老いた母は、洋裁をして家族を支えてくれました。
小さな町の、小さな小さな洋装店に『みろー洋装店』と名前が出来ました。
授業の課題に、初めて創った、ロゴタイプ。

最後の油絵

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1969年。17歳の秋。当時、生駒高校の同級生だった、押川君と
卒業記念にと、油絵2人展を開いた。田舎町の小さなギャラリーで。
小学6年から、習っていた油絵だったが、パレットナイフ1本で
描いた、この静物画が油絵制作の最後の作となった。

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