三国志のお話し

久方ぶりにのぞいてみたら使い方がよくわからなくなってる。ちょっとリハビリが必用かな…。

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鴎外の恋人

鴎外の生誕150年とかで文京区でいろいろと記念行事があるそうです。
鴎外というとドイツ人エリーゼとのアバンチュールぐらいしか思いつかない^^;
エリーゼのことについては通説が数転している、長い間通説とされてきたものは喜美子のエリス像、事実が明るみに出だしたのは昭和四十九年の小金井良精の日記の公開と、翌五十年の石黒忠悳の日記の公開以降。
残された最期の謎はエリーゼの素性。
これは昨年六草さんが明らかにした。
以下、鴎外とエリーゼとのアバンチュールの大筋。
鴎外は、ドイツ留学中の最初の頃は、みんなと同様プロの人と遊んでいた。
当時、こういうプロの人と関わりを持つのはコーヒーショップであったとのこと。
その後、鴎外はエリーゼという町娘とねんごろになる。
上司の石黒は鴎外を「森最多罪」と非難している。これは町娘に手を出したが為である。
恋愛を経て鴎外はエリーゼを結婚目的で日本に呼び寄せることになるが、日本の森家ではそれとは別に婚約話を進めていた。
もちろん鴎外も承知の助であるが、優柔不断な態度でどっちつかずな返答を繰り返していたようだ。
鴎外は母には弱かったので断りきれなかったのだろう。
本当に好きな人を連れ帰れば、母もあきらめてエリーゼとの結婚を認めてくれると甘い考えだったのかもしれない。
ところが現実はやはり厳しかった。
最初は鴎外有利で話が進んでいたが、最期は母の気持ちが勝った。
エリーゼはドイツに帰らされることになる。
鴎外はエリーゼを帰国させてから後も文通をしていたようだ。
死ぬ前に妻に命じてこれらエリーゼとの思い出の品や手紙をほとんど燃やさせている。
型金だけは残っていて、今鴎外記念館に展示されているとのこと。
ーーーーーーーーーー
【参考】
高島俊男『お言葉ですが…⑤』/森鴎外のドイツの恋人

源頼朝

NHK大河「平清盛」で多少なりとも興味をもつことが出来たので、今まで読む気がしなかった幸田露伴の史伝「源頼朝」を読んでいる。
ミーハーな僕にとって一番の収穫は源氏の八領の鎧や刀についての解説かな。大河で取り入れてくれていればと、少し残念に思う。

義朝が頼朝を可愛がっていたことに対する露伴の考証を読み、今更ながらにそういうことかあ、と思ったり。
日本史ってどの資料も一長一短がありそうで、全てを鵜呑みに出来ない感じがあり、露伴翁あたりが取捨選択してくれて、一本に絡めてくれている史伝というのは、僕のような素人にはありがたいのであります。

大河では玉木宏演じる義朝に好感が持てたので、大河での義朝の演出が露伴翁の解釈とほぼ一致しているのは好感がもてる。
頼朝に関しては、露伴翁は時折みせる英雄の気性の発露を義朝が好んだのであろうとしているようですが、大河の方ではあまりそういった雰囲気は感じられなかった。

清盛については、時折名前が出てくる程度であるが、雰囲気として露伴翁は清盛については嫌なおやぢという感覚を抱いているように思える。

あといろいろ名前が出てくるけれど、頭の中で相関図が全く思い浮かべられないので、深く考えない様にしている f^^;

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『露伴全集 十六』頼朝

中秋の名月と十三夜と

今度の日曜は中秋の名月なのだけど台風でだいなしになりそうだ。
しかし、中秋の名月が悪天候で楽しめないというのは昔からよくあることらしい。
『清閑雑記』という随筆には「一年一度の中秋の夜。十度の中秋九度はくもる」という中国の詩が引用されているそうです。
そこで代替的に考えられてきたのが九月の十三夜、この時期は晴れる確率が高いので月見に適しているというのが実情らしい。
『鄰女晤言』という本に「九月十三夜は婁宿にあたれるによりて清明なるよし徒然草に書たれど、さにあらず。ただなんとなく寛平の帝、九月十三夜のこよなう晴なりし年、興ぜさせ給ひて仰せられし事よりおこれり」とあるそうです。
各々の典拠は、『中右記』「保延元年九月十三夜、雲浄く月明なり。是寛平法王今夜明月無双の由仰出され…仍我朝九月十三夜を以て、明月之夜となす」と、 『徒然草』「八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす」によるとのこと。

個人的には法王の気まぐれ起源説が好みだね^^

22日秋分

今年は116年ぶりの22日秋分。
太陽の秋分点通過は23時49分。
次回からは4年毎に22日秋分が味わえる。

秋分

秋分や春分のころになると、昼夜等分という言葉の定義の問題をチラホラと散見する
でも、二十四節気の言葉の定義は、あくまで常気法の時代のものなので、言葉の定義はだいたいである。
天文学的手法を取り入れた定気法になってからは、言葉の定義に厳密になる
しかし、言葉自体は常気法の時のものをそのまま用いているので、言葉と定義との間にどうしても齟齬が生じるようです。
旧暦言葉とは雰囲気を楽しむものだと思えば、たとえば昼夜等分という言葉も、日短(冬至)と日長(夏至)の中間ほどの意で、さほど違和感はないと思う。
『暦便覧』【秋分】の説明でも「陰陽の中分」とありますので。

ちなみに、秋分のころにみられる望月のことを中秋の名月という。
なぜ仲秋の名月とは言わないかというと、これといった明確な解説を読んだことは無いのですが、冬至と夏至の中ほどが秋分、秋分を含む月が八月で秋の真ん中、なのでハ月十五日の望月を「中秋の名月」といった具合に覚えておくと覚えやすいかもしれないし、そうでもないかもしれない…^^;

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