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京都の有名な帆布生地のかばん屋、「一澤帆布」がついに消滅した。 信三郎帆布が出来て、やっと「なくなったたんだな・・」と実感が湧いて来た。 ここ何年か、京都では結構、いろいろな所で、一澤帆布の話題が上って来る。 この数年間、ずっと争って来たが、ついに経営者だった一澤信三郎氏が工場から追い出された。 「一澤帆布工業」で前経営者の一澤信三郎氏を、兄の信太郎と四男が、解任したのだ。 そして、工場は明け渡され、有名な「一澤帆布」の商標の使用を禁止された・・・。 追い出されたが、70人近くの従業員たちは、一澤信三郎に着いて行き、新ブランドが立ち上がったので、実質的には製造体制は残っているのだ。 ここの商品はある程度の価格はするが、しかし非常に丈夫で、僕も何点か持っていたり、プレゼントしたものだ。全然弱らないし、長持ちする丈夫なかばんなのだ。以外におしゃれだしね。 しかし、悲しい話だ。 先代会長は、草葉の陰で泣いているだろうな。 まあ、元はと言えば、こう言う事をきちんとして置かない彼自身が悪いのだ。 真贋は別として、2つの「遺書」が出てくること自体、問題だ。 書いてあること自体が、正反対なんだから、もっと問題だ。 もし、どちらかの遺書が偽物だったのであれば、本当に最低の話だ!! たまたま見たTVでも、後から出て来た遺書は、筆跡鑑定で限りなくニセモノと言っていた。 信太郎と四男は、株の3分の2以上を掌握し、信三郎を追い出した。 京都では、この工場明け渡しを、「遺産相続争いで実質的な経営者が追い出された」、としか見ていない。 実質的に、今まで父を守り、現場で「一澤帆布」のブランドと商品を守り続けて来たのが、一澤信三郎だと言う事は、誰もが認めている。 京都では、ほとんど誰も兄側の味方なんかはいないのだ。 しかし、彼ら兄弟はいずれもあんな年齢になっても、あんな相続争いをしているのだ。 はっきり言って醜い争いだ。 そして、その兄弟争議の結果、父親の作り上げて来た「一澤帆布」の100年のブランドを地に落として、兄弟で一瞬の内につぶしてしまった。 さて、4月に入って、一澤信三郎は、「信三郎帆布」を立ち上げた。 こちらは店に入れないほどの繁盛振りなのだ。 これからは、ここの商品を買うことになるだろう。 まだ、兄側の新ブランドの製造差し止めの法的手続きが予定されている。 予断を許さない状況だ。 下手をすると、新ブランドの命はもっと短いかも知れない。 日本中にファンがいたと言う、100年続いた一澤帆布もこれで終わりを告げた。 これから兄側が工場を立ち上げたとしても、もう本物の一澤帆布ではない。 もし、兄がかばんを売り出したとしても、「一澤帆布」の名前を継いでいるからと言うだけの中身の無いかばん、そんなものを買う人がいるのだろうか? そして、あの「一澤帆布工業」のタグを縫い付けた「本物の一澤帆布のかばん」はもう二度と見られない・・・。
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