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おなじみ「八坂の塔」と呼ばれる五重塔だ。
ねねの道を歩くと高台寺のあたりから、八坂の塔が見えて来る。
重要文化財で国宝ではない。
200年も後の東寺五重塔は国宝なので、八坂の塔も国宝でも良いのだが・・・。
この地は、八坂郷と言われ、高句麗から渡来した豪族八坂氏(八坂造とも言うが)の領土だった。
地名の「八坂」はそこから来ている、と言われる。
法観寺は、霊応山法観寺と号する臨済宗建仁寺派の寺院であり、寺に伝わる話では、飛鳥時代、聖徳太子によって創建されたとても古い寺であり、平安京建都よりもずっと前から住んでいた八坂氏の菩提寺だったらしい。
創建当初は、延喜式七ケ寺の一つに数えられたほどで、四天王寺と同じ形の大伽藍配置を構える広大な敷地を持っていたらしい。
今は、この八坂の塔と江戸時代の町人寄進で建てられた「太子堂」、「薬師堂」を残すのみだが、この京都でも指折りの歴史を持つ。
聖徳太子が、崇峻天皇2年(589)のある晩、夢の中で如意輪観音に出会い、そのお告げにより、お釈迦様の骨である仏舎利を三粒納めた塔を建て、法観寺と号したのだ。
よって、日本の仏舎利信仰の原点、京都仏教の原点とされる。
八坂の塔にまつわる話はたくさんある。また今度書いてみよう。
五重塔は足利義教が永享12年(1440年)に再興した塔で、高さは46m、6m四方の本瓦葺五層の白鳳時代の和様建築だ。
塔の心柱(真柱)の心礎は創建当初の飛鳥時代のままで、この構造は全国で2例しか現存しない。高欄は五層にだけ造られている。
確かこの後すぐに、義教は暗殺されるのだ。
なぜかいろいろな文書に、よく「足利義政が再建した」と書いてあるのだが、間違いだ。
初層の内部を拝観できるのはあまり知られていない。
初層内陣には五大力尊とも言われる五智如来が安置されている。
この五智如来坐像を祭る須弥壇、塔の心柱構造も見学できる上、階段を上ると高い景色が一望できる。
500年以上前の1440年に再建された八坂の塔。
法観寺の伽藍は、「応仁の乱」ですべてが灰になったが、この五重塔だけは残ったのだ。
再建前の塔はもっと以前から立っているのだ。
木造でありながら、それだけの昔から地震にも台風に倒れずにそびえ立つのだ。
500年前の先人たちも同じ姿を眺めたのだと思うと、いつも本当に感動してしまうのだ。
織田信長も豊臣秀吉も坂本龍馬も、同じ八坂の塔の夕暮れを見ていたのだ。
こうやって見ると、いつもこちら側から見ている八坂の塔は、東山のシンボルであり、京都の景色だなあと思う。
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