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消え行く”京都”

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平成18年11月30日、ついに嵐山の美空ひばり館が閉館した。

今日は、ひと際、寂しい感じがした嵐山だ。

美空ひばりが亡くなって5年経った、平成6年(1994年)3月開館。

出来た時は、すぐに閉館するだろう、と思っていたが、意外にも長年、嵐山の観光場所として、続いてきた。
開館当初は、4年目で入館者が300万人突破して、すごく栄えていた。
しかし、その後、ファンの高齢化が原因と言われるが、入館者が減少する一方だったらしい。


女性で初めて国民栄誉賞を受賞した美空ひばり。

美空ひばりの舞台衣装、装飾品やビデオシアター、絵画、詩、自筆メッセージなどを展示していたこのミュージアムには、ファンが訪れるメッカだった。
ファンにとってはたまらない場所だっただろう。

嵐山の店は、昔ながらの店以外は、比較的早く閉店して行く。
時代の流れなので仕方無いのだが、一時は、タレントショップのメッカだった。
今となっては、嵐山は入れ替わりの激しい場所でしかない。
残っているのは、五木ひろしの「五木茶屋」、相変わらず元気な「ジャニーズ」、それから「山城新伍の店」、ぐらいだけだ。


そんな中でも、美空ひばり館は、人気がある場所だった。

美空ひばりの熱狂的ファンの京都東山の貸ビル・観光会社社長が、後世に美空ひばりの偉業を残したいと願って、遺族やひばりプロダクションの加藤和也社長の協力を得て作り上げた、地下1階、地上3階、展示面積1900平方メートルの大きな資料館だ。
嵐山の一番目立つ最高の場所にあった。

新聞などには所蔵品1000点とか書いてあるが、それは展示品のはずだ。
実際の所蔵品は5000点と公表していたような気がする。。


しかし、ついに美空ひばり館も閉館するのだ。

ここが閉館する事は、それほどは知られていなかった。
どこからかうわさを聞きつけてきた人々が、惜しんで、少しずつ訪れていた。

たしかに、大人1600円、中高生1000円、小学生600円、と言うのは、少し高かったかも知れない。
この入館料だと、客入りも制限されるに違いない。
コアなファン以外を取り込めなかったことも大きかった。
いずれにせよ、長年ここまで何とかやって来れたことに拍手したい。


「リニューアルオープンと言う垂れ幕が」と言う話もあるが、気のせいか、その垂れ幕は、昨年もかかっていたような気がする。もしもその垂れ幕だとすると、将来の話ではなくて、前回のリニューアルのことかも知れない。

加藤社長によるリニューアルオープンのうわさなどはあったが、現実的に難しいと思う。
ファンの気持ちも分かるし、とても寂しい話だが、入館者数の減少は避けられない事実だ。
これも残念なニュースだ。



平成6年(1994年)3月のオープンから12年、ついに美空ひばり館が幕を閉じた。

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「信三郎帆布」 の行列

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一澤帆布が閉じて以来、
「信三郎帆布」がオープンしているが、これがなかなか盛況だ。

「信三郎帆布」がオープンしてからと言うもの、
観光シーズンでなくなっても、ずっとたくさん持っている人を見る。

お店の前には大量の行列が出来ているのだ。
やっぱり、結構、売れているんだろう。


はっきり言って、この「信三郎帆布」のタグも、いつまでこのままか、分からない。
そう言う意味で、希少価値があるかも知れない。


向かいに建つ元の「一澤帆布」は今も扉は閉じたままで、工事が入っている。
いったいどうするつもりなんだろう・・・?
寂しい争いの結果だな。



まあ、根強い人気のおかげだが、結果的には騒動が宣伝になったみたいで、良かったのだろうか。

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最近になって、兄側が差し押さえていた「一澤帆布工業」のビルが工事を始めている。

いろいろな説があるが、京都では、かなり話題にはなっている。



当時、兄の信太郎氏は、京都地裁に、店舗・工場の明け渡しの仮処分申請をした。
この申請は、意外にもそのまま認められた。
そして、2006年3月1日、有名な強制執行が行われ、弟と従業員が全て出て行ったのだ。

2006年4月6日になって、信三郎氏と従業員たちは、「一澤信三郎帆布」をすぐ近くの東山通の反対側に開店した。




これが単なる「建替え」だとは思われない。

しかし、「一澤帆布工業」の再開だとも思えない。

はっきり言ってしまえば・・・、 裁判でいくら勝とうが、いくら主張が認められようが、

今さらもう、兄の信太郎氏側の「一澤帆布工業」が、新しい店をオープンするのは難しいのだ。

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リクエストに応じて、京極東宝の閉館の写真も載せておこう。
・・スカラ座の写真もリクエストがあればUPするかも知れないけど。

「最後の日」の写真だ。


ここもたくさんの思い出がある映画館なのだ。

人通りの多い河原町通りに面している京都宝塚劇場に比べて、
かなり小規模だったし、最後も少し寂しい感じだったけれども。

あまりここに思い入れのある人はいないのかな??
それでも、僕にとってはたくさんの思い出がある映画館なのだ。


壁に今まで上映して来た映画のポスターが並んでいる。
順番に見ていくと、万感の思いが込み上げる。

「そういや、この映画はここで見たよな・・」と。


こんな小さな事だけれど、町の変わりようを見ていると、時代の流れの中に生きているのだなと思う。

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ブックファースト京都店が1月31日に閉店した!
僕が本当によく行った店だった。
この場所は、ずっと本屋だった。
あの有名な「駸々堂」が潰れたのは、僕にとっては、まだ最近のことのようだ。
「駸々堂」が潰れて以来、「ブックファースト」が入っていた。

しかし、ついに、映画館も無くなり、このビル自体の建て直しが決まった為、予定通り、ブックファーストも閉店する。

ここは、僕にとっては、長らく「書店のある場所」なのだった。
今は「ジャンボカラオケ」に変わろうとしている「丸善」が閉店したのも残念だったが、この場所に書店がなくなる事がとてもさみしい限りだ。

2000年に「駸々堂 京宝店」が潰れたのもショックだった。
潰れた時、一部に灯りが付く中、黙々と作業を続ける一人の店員が居たのを、今でも覚えている。
その後、一時期、「買い手がつかないから取り壊しか」、と言われていたが、間に資産管理人が入って、在庫ごと、買取り手を探していた。
そして、予想通り、拡大中だった阪急東宝グループの「ブックファースト」が買い取った。

それからも結構、この辺りの大型書店として、人気の店だった。
河原町通りの書店として、いつも人がたくさん入っていた。

京都だけでないのだが、書店は変わっていく。学生も教授なども書店が憩いの場所だったのだ。
大学生の多い京都は、書店も個性があったが、最近の学生は本を読まなくなったのかも知れない。
もしくは、本が多様化し過ぎたのかも知れない。

ついに、2月24日、ジュンク堂書店は、BALに京都最大の書店を開店する。
BALの5、6、7、8階となると、かなりの規模だし、そう言う意味では少しだけ楽しみだ。
しかし、BALのフロアってそんなに広くないような気がする。
それに、エレベーターはあるんだけど、不便だな。
実は、意外にも、ブックファーストの良い所は、河原町通りに面した1階店舗で入り口がたくさんあった為、立ち寄りやすく、気軽に出入りが出来る点だったのだが、5階となると、気持ち的にかなり「本屋に行こう」と思わないと行かないよな。
本当に流行るのかな・・・・??

最後の日はすぐ上の京都宝塚劇場の映画館閉鎖とは違った状況で、人も少なく、静かな終わりだった。
友人が撮ってくれた写真を載せよう。
最後に、店員達が頭を深く下げて店は閉まった。

「駸々堂」時代からだが、夜22時頃と言う、遅くまで開いていたのもポイントだった。
僕も良く買いに寄ったものだ。
この店がなくなるのが本当にさみしい。

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