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前に、THE STUDY ROOM 「ザ・スタディ・ルーム」と言う店のことを書いたんだけど、10月で閉店してしまった。 個人的にちょっと好きだった店だけに、すごく残念だ。 京都には、7年前に開店してから、ずっと河原町通りの名物店だった。 今年で10周年のチェーン店らしいけど、ついに京都を撤退したのだ。 結構珍しい物を置いていたし、行く度に新しい変わった発見があったのだ。 ある意味、全国チェーンと言う意味でも「ビレッジ・ヴァンガード」に似てる店だった。 通る時に見るショーウィンドウには、いつも驚くような物ばかりで、人体模型や、星の観察道具や、恐竜の化石が並んでいる。 かなり気持ち悪い動物の人形や、何の実験用具か分からないような物も置いてあった。 狭い店内に入っては、良く手に取って遊んだのを覚えている。 もう京都に出店することはないのだろうか。 「京都では7年間ご愛顧頂き誠にありがとうございました。今後は最寄りのショップおよび下北沢本店をご利用頂きますようお願い申し上げます」
と書いてあったが、最寄りってどこやねん?? どう見ても、愛知か福岡しかないやん。 下北沢って東京と違うの?? そんなこと、書かなくて良いのに・・。 ちょっと僕はさらに悲しくなったのだった・・。 |
消え行く”京都”
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ついに、10日で、丸善京都店が、閉店した。 僕にとっては、非常に思い出のたくさんあった本屋でした。 学生の頃から、良くここで本を買ったものです。 人より本好きな僕は、丸善だけでもものすごく大量の本を買っていました。 丸善は、創業1869年の老舗で、日本初の株式会社形態なのだ。 ここは、僕の知り合いが働く店だった。 僕は、丸善からの手紙などを受け取っていた。 なんか京都市内の書店の競合激化とかいろいろと言われてるけど、もともと丸善はそれほどガツガツ営業していなかったはずだ。 要は、例の5、6年前のプリンストン債の件で、60億円の損失を赤出しして、財務状況が一気に悪化したことが原因だろう。 盛り返したアルプス電気などとは、逆になった感じか。財務状況の悪化は、当然それだけが原因とは言えないが、今でも引きずって影響が残っていると言うから、かなりの打撃だったのだろう。 この夏に、産業再生法 ・・〜 の話が出て、そのあたりで、京都店を閉店すると言う話も出た。 閉店はうわさではずっとあった。 前々から危ないと言う話があって、とうとう春には、事前に「もう終わるかな」と言う話は聞いたが、4月1日に丹波口で友達から正式な話として流れた時は、みんなエイプリルフールだと思った。当然、翌日、新聞に載ったけど。 リストラ策として、一等地にある河原町の土地とこの自社ビルを29億円で不動産業者に売却していた。 これだけでも資金的にはかなりプラスになるはずだ。 年内にインターネットカフェが入ったビルに改装だ。 教科書に載っていた梶井基次郎の「檸檬」に出てくるのがこの丸善だった。 まあ、でも、閉店すると言っても、当時の丸善はここにあったわけではない。 みんなこの場所に、、とか言ってるけど、本当は「檸檬」の時代の丸善と今の丸善とは場所は異なるのだ。でも、まあ丸善の京都店だったわけで、梶井基次郎の時代からあったのだ。 丸善はここにあった風に書いている本もあるけど。 梶井基次郎の檸檬は、河原町にある今の店ではなく、もう少し北にあった。 当時の丸善は、三条麩屋町にあったのだ。 小説「檸檬」の中で主人公は、京極を下っていく。 そうその頃は、丸善はこんなところにあったのだ。 結局、丸善が用意した「檸檬」の文庫本1000冊は、完売した。 丸善は、1907(明治40)年に、三条通麩屋町に京都店を作った。 梶井基次郎が、1901〜1932で、死の直前の年に檸檬を刊行したはずだから、ちょうどそれぐらいか。 1940年には、河原町の現地に移転したから、「檸檬」のすぐ後には移転してるのだ。 ここは、本屋だけど、輸入用品をたくさん置いていた。 そして、1993年に、あのビルを壊して、今の8階建ビルを作った。 その間、西の方に移転して臨時開業していたけど、あの頃の雰囲気は好きでよく行っていた。 この後の半分は書いたけど、この先は、載せません。。丸善の件は、ここまでにします。。 もう少ししたら、いつか、載せるかも知れません。 閉店直後、閉店を惜しむ人たちが集まってきた。 丸善は僕の好きな本屋でした。
京都店の方々、本当にご苦労様でした。 |
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ずいぶん前から、はぐさんと約束をしてたのに、そのままになっていたので、ほんとごめんなさい。 はぐさんの記事を見て、思い出しました。 マハラジャ祇園は、今でも京都で一番のディスコとして伝説が残るディスコだ。 僕は全盛期をずれた??と思うんだけど、あこがれの場所だったような気がする。 当時、祇園会館の4階にあって、洋楽の流行った85年頃の盛り上がりから96年頃まで、一世を風靡したディスコだ。最後のほうは下火だったけどね。 なんでも東洋一デカいとか言ってたが、大阪にも大きいのがあったし、本当かどうか分からないけどね。 インドのお城と象のマークが今でも印象的だった。(ような記憶がある。) でも、マハラジャ祇園は、京都で一番どころか、関西で一番のステータスを誇っていた。 当時、小学生でも行きたがったものだ。 東京の友達も聞いたらうらやましがったものだ。 VIPルームなんか、まだ他のすべての店にはないところもあったような時代だ。 あの「ジュリアナ東京」の原型になったディスコなのだ。 かの折口さんも、ここも参考にして、新しいジュリアナとヴェルファーレを作ったのだ。 マハラジャでは、お坊さんや修行中の舞妓さんが遊びに来てた。 来ていいのだろうか? 当時、黒服なんてのが京都に定着したのも、ここのおかげじゃないかな?多分。 ついでに、高校生もたくさん来ていたのだ。秘密だけど。 おじさんもたくさんいた。 そして、舞妓さんの扇子踊りが、ジュリアナ東京のお立ち台扇子に引き継がれた。 でも、その後、さすがに急速に衰えて、CK Cafeになって、その頃はあまりうわさも聞かなくなって、最初、みんなめずらしがってたけど、ついには祇園にんにくやになってしまった。 マハラジャも最後まで、いろいろやって盛り上げようとしてたけどね。 で、看板だけは、当時のまま、廃墟のように残っている。
暗くて見えないけど、今でも、あの栄光のまま残っている。 近頃は、あの頃みたいに人は集まらないし。 僕は、これを見ると、ちょっと寂しくなるけどね。 |
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前にも記事を書いたけれど、「大宮東映」に続いて、ついに、昨日「京都スカラ座」、「京都宝塚劇場」、「京極東宝」、の3館が閉館することが発表された。 河原町通りで一番有名な大型映画館がこれでなくなる。 JR二条駅前に最新設備のシネマ・コンプレックス「TOHOシネマズ二条」が出来たことが大きく影響して、来年以降、順番に取り壊されてしまう。 それで、跡地は、東宝が新施設を建設するらしい。活性化すれば河原町近辺も盛り上がるだろうけど。 「京都宝塚劇場」は、昭和初期の1935年に開館した。1500席の京都最大の客席数だった。 「京都スカラ座」は、1956年新築開館。 いつも、土曜日オールナイトで、封切りする有名な映画館で、MOVIXなどができる前は、スター・ウォーズとかの有名な映画はここで見るのが京都の恒例だった。 「京極東宝」は1954年に開館。 やっぱり、すぐ近くに、2001年から「MOVIX京都」が出来たし、「TOHOシネマズ二条」が出来たことが影響してる。 前にも書いたけれど、京都のメイン上映館だっただけに、ここで観た映画は子供の頃から数え切れないぐらいにある。
結構、それぞれ思い出が残っていて、この映画館がなくなることがとても寂しい。 本当は、残っていて欲しかった。 |

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ついに、業績不振で、京都駅前の「プラッツ近鉄」が2007年2月に閉店することになりました。 誠に残念です。 あの状況で、今まで良く頑張ったと思う。 どう見ても、百貨店部分は暇そうやったもんな。 これは、昔の「丸物」なんだよね。 伊勢丹が出来る前は、ここが京都駅では老舗だった。 京都発祥の百貨店。 でも、「伊勢丹」は駅ビルの中だもんな。不利だよな。 25日にいきなり、近鉄百貨店が発表した。 しかも、いきなり今週、ヨドバシカメラに売却するらしい。 もう決まってたんやね。 2006年秋、ビックカメラが、京都駅西側の新ビルに開業するから対抗するんやな。 それって、東京の電気屋やし。。大阪駅も、京都駅も山の手線の風景みたいやな。 京都最大の電気街の寺町ももう終わってるし。。 ここ数年で、ニノミヤはつぶれるわ、ヒエンドウはつぶれるわ、店は消えていくわ、で、閑散としてる。 ところで、近鉄百貨店は、5年前、プラッツ近鉄として、ソフマップを入れたり、無印良品を入れたり、旭屋書店を入れたり、GAPを入れたり、コムサを入れたり、と専門店を誘致して、斬新なリニューアルをしたんで、僕は結構、評価してたんだけどね。 専門店は、良かったよな。。 盛り返してたしね。 ソフマップもここしかないし。 それから、ずっと伊勢丹に押されて、毎年三十数億円の赤字とか(?)言ってたような気がする。 記者会見では、今回の閉店は、大阪の百貨店競争が激化する2011年を見越したものであるとのことでしたね。 「プラッツ近鉄」は、2007年2月28日に閉店の予定です。
また、京都の老舗百貨店がつぶれます。 ほんとに、寂しい限りです。 |



