|
自分のファッションで「あの人は、こういう人間」と世間から判断されているのです。
確かにね。
だけど、基本私は人からどう思われてもいいし。どうでもいいや、って思いそうになるけど。もうちょっと真剣に考えてみようかな、とは思いました。もしかして私の服装が違ったら私の社内での評価も違ってたのか???幸い社長がイイヒトでのう。見た目でヘンな、いや一般的な偏見すら持たない人で。よーわからん。
私はファッションで自分をどういう人間だと表現したいのか?
とりあえず「あの人ややこしそう、話しかけたくない、一緒にPTAとか無理」とは思ってもらいたいんだろうな。しかも母親としてあまり汚い格好もできんなーって。それを融合させたファッションとは??てのでなんか我ながら分裂したような感じになってるかも。
花は誰にも見られない場所でも自分の最大限の力を振り絞って咲き誇る。人間だってそうすべきなのかも。って思ったり思わなかったり。
それにしてもこの人、ちょっとジェンダー感覚が古くてな…。無理から「上品で、清潔で、かわいげがある」格好して男性捕まえてそれで女性が真に幸せになれるかって。そんなんもうええねん。終わってる話やんかそれ。昭和臭、バブル臭?
あと「私が『巣鴨カラー』と呼ぶ、すべてに灰色を垂らしたような濁った色、〜」って一文で何もかもイヤに。すんごい差別意識というか、差別意識はいいとして(よくないのか)、自分が差別的なものの見方をしているという意識が全くない無神経さ。それがなんだかクソババア感。この人のファッションセンスにおいてそのイヤな感じを表しているのが“仕事に出かける時、鏡の前で必ず身につける「シャネル」のマークをかたどったブローチ”なのかなあ?なんてことを考えたのだった。そんな穿った見方ばかりする人に読んでいただかなくて結構ですな。 ファッション世界構造学(TV Bros. わらしべマッドサイエンティスト/2012.02.03)
にもちょと感銘受けたんだったっけ。
|
全体表示
[ リスト ]


