お盆の法務がおよそ終わりました

2018年8月16日

今日は午前中の教伝寺、午後念仏寺でそれぞれお施餓鬼法要をお勤めして、
これで今年お盆の行事はほぼ終了で、後は動物慰霊法要と地蔵盆を残すだけ。
なんとか無事に、過ごせたことはこの上ない喜びで、
仏様のご加護と皆さんのご助力に感謝感謝です。

とりわけお盆の棚経については、次男を含め3人の若いお坊さんの協力を得、
多くのお檀家さん宅を回ることができたのは何よりでした。
お盆前に67才になりましたが、そろそろ、いや早急に引退の時期を考えたいと思います。

後進に道を譲るのは早い方がいいと僕は信じています。
もうすぐ70才ですが、そのような古い人間が居座ると、ろくなことはありません。
我が寺には「老害」は禁物です。

さて僕は、インドやフィリピンの貧困者との交流を通じて、「慈悲」ということに拘り、
大きな眼覚めの機会をいただくことができ、その一端を本にもまとめました。

念仏、禅、題目などが日本では仏道実践の主な行ですが、
仏教は人格の陶冶ということが目的なのですから、
それらの行の実践によって人格を高めなければなりません。

つまり、念仏をしっかり唱えたなら、人格が高まらなければなりません。
人格の高まりは、具体的な行動として現れなければなりません。
慈悲の行の実践こそが、その人の信仰の徳の表れです。

人に念仏を勧めながら、親子や兄弟の仲が悪く、
実にケチで我欲の塊のようなお坊さんがいたり、
権力に執着し、実に横柄で、高慢で、自尊心だけは高いお坊さんがいたり・・・。
念仏による人格の高まりがまったく感じられないお坊さんがいます。

念仏だけでなく仏道実践の結果として高まった人格、人徳の表れとして、
是非多くの仏教者に「慈悲」に目覚めていただき、弱者救済の道を歩んだり、
あるいは「戦争反対」「差別反対」という運動に取り組んでいただきたいと思います。

念仏、禅、題目などの実践で高まった人格は、
社会への発信、貢献という形で実を結ばなければなりません。

それぞれの教団は、社会に対してもっともっと「仏の願い」を発信しなければなりません。
その意味で、僕は今、浄土真宗本願寺派の取り組みの素晴らしさを、
敬意をもって拝見しています。

いささか生意気なことを書いてしまいましたが、
お盆中に僕もまたいささかでも徳が高まったなら、
それは今大洪水に見舞われ行き場を失った空腹の貧困者にまず振り向けようと思います。

このお盆は、餓鬼への施しということを通じて、
「慈悲」の実践の具体的なありようについて目覚めることができた期間でもありました。

有難いことです。
南無阿弥陀仏

早めに眠ることにします。


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