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今日は久々に神保町シアターに。「目力対決 田宮次郎と天地茂」の最終日でした。
私が観たのは、中川信夫監督『地獄』(新東宝、1960年)。
「法で裁けない罪を罰するよう、宗教は夢想する。すなわち、地獄である」と、冒頭のナレーション。
大学生の清水四郎(天地)は矢島教授令嬢(三ツ矢歌子)と婚約し、人生の頂点にあった。だが、友人の田村(沼田曜一)が現れ、一緒に自動車で帰宅の途中にやくざをひき逃げしてしまった。さらに、清水は婚約者を交通事故で死なせてしまう。
母危篤の報に、清水は郷里に戻る。実家は「天上園」という貧相な養老院を経営していた。母の病気を尻目に父は愛人と愛欲の日々に溺れていた。隣家にには死んだ婚約者そっくりの娘が。そこに、またメフィストのような田村が現れ、娘を失った矢島教授夫妻も訪れる。さらに、ひき逃げされたやくざの母と情婦も復讐のためにやって来る。次々に、事故や事件が起こり、清水をはじめ皆が殺されたり死んだりする。
当然、清水たちは地獄に落ちた。無限地獄に苛まれながら、死んだ婚約者が身籠っていた赤ん坊・春美を救うため彷徨する。
閻魔大魔王に何と嵐寛寿郎。
毒々しいエログロのカルト映画。中川=天地のコンビといえば、名作『東海道四谷怪談』を生んだわけだが、こちらは今からするとまったくの駄作。
ほぼ同時刻に近くの岩波ホールでアンジェイ・ワイダ監督の『カティンの森』をやっていたことを直後に知り、本当に残念!
だが、外れがあるから当たりが嬉しいのだと、気を取り直す。
因みに、作中に登場するラブホテルは、素泊まり700円、休憩400円。養老院の食費は1日70円だとか。
「人間わずか50年」という歌声が響く。「アラ・フィフ」には辛いですね。
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お久しぶりです、村田先生。
最近は“Little Ashes”を鑑賞しました。
http://www.imdb.com/title/tt1104083/
冒頭に、なにかの囁きあいが聞こえます。
画家サルバドール・ダリの青年期を中心とし、
また詩人フェデリコ・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルが組み合わさって、
三角関係のような雰囲気が現れます。
主に描かれるのはダリとロルカの二人の関係です。
ダリとロルカの恋模様、もしくは友情が堆積していく。
しかしある時そこに「死」が訪れます。
それはロルカに「はっきりして」欲しがっていた、女友達のマグダレーナ。
いつものように二人が親密な様子でいると、ドアの外からロルカを呼ぶ声。
ドアを開けると酔っ払ったようすのマグダレーナがいて、いきなりロルカにしなだれかかる。
そして彼の服を強引に脱がせて……。
突然の彼女の来訪に物陰に隠れていたダリ、しかしその姿を認めてなお
受け身のロルカを犯すマグダレーナ。
それを見ながら自慰にふけるダリ。
2009/12/21(月) 午後 2:29 [ ips ]
ダリは涙を流しながらも目を見開き、また
無理矢理の交情に持ち込んでしまったマグダレーナも泣いている。
そしてロルカは自らを見て自慰をするダリのために、体位を変え男らしく腰を振る。
訪れた破綻と別離。
その後、彼らはそれぞれの道を歩むことになります。
……
ダリにはただ一人のミューズがいました。
ガラ。彼女は魔女であり、しかしダリにとっては聖女だった。
僕はふと思ったのですが、彼にとり「聖女」とは
『“女なるもの”を封じ閉じ込めておく匣(はこ)』だったのではないか、と。
また聖化することにより禁忌され、
禁忌「される」ことにより「不能」ではなくなる、
心地よさの母胎のような意味合いもある。
ダリに同性愛性を視るなら、ここがポイントだと思います。
2009/12/21(月) 午後 2:31 [ ips ]
……
最後、ロルカの死を知ったダリは真っ黒の油絵具をカンヴァスと自分自身に、
まるで自身をもそこに塗りこんでしまうかのように、塗りつける。
そのときの回想シーンは、やはり反則ですね。
二人が月下の青い水に戯れた、夢幻のような時間の想起。
(なんとなく回想の入れ方で「モーリス」を思いだしましたが。)
そして揺れる枯れ穂の情景と、冒頭の囁きが繰り返されます。
ロルカの作品には『観客』という芝居があり、もしかするとその科白なのかもしれません。
そこには愛を囁きあう二人の男が登場します。
2009/12/21(月) 午後 2:32 [ ips ]