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宣伝はさておき、今夜は自宅で家城巳代治監督・脚本『路傍の石』(東映、1964年)を観賞。原作は勿論、山本有三。戦前を含めて4回映画化されている由。
時代は日露開戦の前夜。貧乏士族の家に生まれた愛川吾一(池田秀一)は、小学校での成績は一番だが、経済的な理由で中学校に行けない。母親(淡島千景)は内職をしながら、吾一の進学を願っていたが、酔っ払いの父親(佐藤慶)は吾一の貯金まで取り上げて、東京で国士の真似事をしている。
吾一は呉服屋の伊勢屋に丁稚に出され、名前も吾助と丁稚風に改められる。伊勢屋は同級生の家でもあり、中学校に進学した同級生に宿題を押し付けられたりする。おまけに、先輩たちにはいじめられ、大番頭(織田正雄)や番頭(織本順吉)もいじわるだ。
やがて、小学校時代の仲良しが病死し、吾一は東京に出て勉強しようと決意する。小学校の先生だった次野先生(中村賀津雄)が上京しており、吾一の頼りだ。はじめは反対した母も、吾一を応援してくれた。吾一は希望と不安に胸膨らませながら、東京へと旅立っていく。
他に愛川の隣家の叔母さん役に清川虹子ら。
本来は士族で平民より身分が高いし、勉強もできる。しかし、経済的に貧しい。その分、進学できない理不尽が一層際立つ。愛川の表札には、わざわざ「士族」と書かれている。
池田をはじめ、子役たちは好演だと思う。池田はのちに、声優として「ガンダム」などで活躍した由。次野先生役の中村は、兄・錦之助にそっくり。淡島は清楚。でも、いい人すぎるか。
明治末期の子供たちの人間化関係は、『橋のない川』や『たけくらべ』を連想させたし、ラスト・シーンはヘンリー・フォンダ主演の『スペンサーの山』を彷彿とさせた。『スペンサー』では、都会の大学に進学しようとする田舎の貧しい青年が、バスの隣客に「どちらまで?」と聞かれ、つぶらな瞳で「未来です」と答えるのである。
教育が若者の大きな希望であった時代の作品です。今もそうあってほしいものですが。
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