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夕方に京都文化博物館に。
松本俊夫監督・脚本『修羅』(松本プロ・ATG、1971年)。
「忠臣蔵」では浅野家が塩冶家になっています。その塩冶家の浪人が五兵衛(中村賀津雄)と名を変えて、放蕩な長屋暮らしを送っている。はじめは世間の目を憚るためだったが、芸者の小万(三条泰子)に惚れて身を持ち崩している。義士に加わるために忠義の下郎・八右衛門(今福正雄)が工面してきた100両も、小万の身請けのために投げ出してしまう。だが、彼女には三五郎(唐十郎)という夫がおり、すべては100両を巻き上げるための芝居だった。そうと知った五兵衛は夜中に三五郎夫婦宅を襲い、一味5人を惨殺するが、肝心の二人には逃げられてしまう。
五兵衛はついに、三五郎と小万の居場所を見つけた。だが、小万の兄の通報で、町奉行所の役人(観世栄夫)らが捕縛にやって来る。そこに、八右衛門が現れ、5人を殺したのは自分だと、主の身代わりになる。
復讐のため、五兵衛が再び戻ってくる。愛しさあまって憎さ百倍、五兵衛は小万と赤ん坊まで殺害し、小万の首を刎ねて帯同する。実は、三五郎の父(松本克平)は五兵衛の家来筋に当たり、五兵衛のために勘当した息子に100両の金の工面を頼んだのだった。妻子の死を知った三五郎も、絶望して自殺する。この世は血の海となり、五兵衛は奈落の底に落ちていく。
凄惨な映画で、上映が終わると場内からいくつものため息がもれました。
原作は鶴屋南北の「盟(かみかけて)三五大切」。「五大力」という文字は浮気封じの誓いの言葉で、小万は腕のその文字を五兵衛に見せて、純愛を誓った。だが、金を巻き上げると、それを「三五大切」に書き換えてしまう。自分の夫大事というわけだ。
若い頃の唐十郎は、少し太めだがなかなかの男前でした。
観世栄夫はコミカルな同心の役だが、身長が驚くほど低いことに気づいた。
白黒が効果的で、前衛的なカメラワーク。回想や想像、夢が現実と幾重にも交差して、話が展開します。
それにしても、これが今年最後の上映作品とは、京都文化博物館も不思議な選択をするものです。
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