Koji Murataの映画メモ

映画に関するコメントのみお受けします。

邦画 2008年

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10月18日その1

 東京から大急ぎで戻って、新京極シネラリーベで小沢茂弘監督『多羅尾伴内――七つの顔の男だぜ』(東映、1960年)を観る。主演はもちろん、片岡千恵蔵。占領下で時代劇が禁止されたため、片岡御大が苦肉の策で変幻自在の探偵を演じたのだが、これがヒットし、シリーズ化された。本作は、シリーズ最後の作品とか。
 「ある時は片目の運転手、またある時は…、そしてある時はせむし男、しかしてその実態は?正義と真実の使徒・藤村大造だ」の名科白は、あまりにも有名(もちろん、若い人は知らないでしょう)。でも、子供心に、この科白の「使徒」の部分は「人」だと思い込んでいた。占領下にスタートしたということもあるが、主人公はクリスチャンなのか。実際、最後にも主人公は粋な科白を残して消えていく。「一人の男が夜の帳に消えていく。一粒の麦蒔かれなば、人の世に光あるべきか」。
 今回は富豪の令嬢(中原ひとみ)が誘拐され、警官二人が殉職する。令嬢は横浜に軟禁されているらしく、多羅尾探偵は中華街にあるキャバレーに探りを入れる。そこには、街を牛耳る星村(新藤英太郎)とその手下(江原真二)らがいる。実は、彼らが令嬢の義理の母やその愛人(中山昭二)らと結託して、令嬢を誘拐していたのだ。殉職警官の娘(佐久間良子)もホステスに化けて、件のキャバレーに潜り込んでいる。多羅尾に協力する大沢警部には、山形勲。他に、安倍徹がヤクザ役なのはわかるが、東野英治郎や河野秋武まで悪役、チンピラである。加藤嘉も端役の刑事で顔を出す。
 よく言われるように、多羅尾の二丁拳銃だけが百発百中。しかも、いくら変装しても、片岡御大の巨大な顔はみな同じ。
 荒唐無稽だが、楽しい映画でした。

10月16日

 昨日、呉に出張、ホテルで日活ロマンポルノを観る。山城新伍監督『女猫』(1983年)である。はじめはポルノとはわからなかったのだが、とにかくAV以外はこれしか選択の余地がなかった。でも、結果としては、80年代の雰囲気を味わえて、それなりに楽しめました。
 「猫」と異名をとる産婦人科の女医(早乙女愛)がバーのマスター「シャーリー」(岩城滉一)の助けをえて、大手医大理事長(名和宏)とその息子の悪行を暴露するというもの。確かに、レズやレイプのシーンがふんだんだが、今からすれば大したことはない気もする。ただし、早乙女はさすがの巨乳だし、名和は猥褻な雰囲気をかもし出している。
 他に、せんだみつおや深江章喜、片桐竜次など、懐かしい顔が登場する。
 岩城も昔はロマンポルノに出てたんですね。
 あるいは『白日夢』(1981年)が意識されているだろうか。
 たまには、こういうB級(ないしC級)作品もいいですね。

10月13日

 今日は午前中に京都ミナミ会館でマキノ雅弘監督『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』(東宝、1954年)を観る。助監督に岡本喜八の名前が。京都映画祭の最終日で、ほぼ満席。
 次郎長役は小堀明男という役者だが、このシリーズ以外は作品に恵まれなかったようだ。本作ではむしろ、実質的な主役は森の石松を演じた森繁久弥である。物語は、石松が次郎長からお蝶の供養に金比羅参りを命じられるところからはじまり、金比羅での石松と女郎・夕顔(川合玉江)との出合い、石松と見受山の鎌太郎親分(志村喬)との再会、そして、都田兄弟(親分役は上田吉二郎)による石松殺害までをたどる。大政には河津清三郎、法印大五郎には田中春男、小政に水島道太郎、桶屋の鬼吉に田崎潤、追分三五郎に小泉博ら。
 とりわけ、森繁は達者なものだ。広沢虎造の浪曲と富士の高嶺もよく似合っている。
 ただし、「江戸っ子だってねぇ、寿司食いねえ」の有名なエピソードは挿入されていない。
 以前に、萬屋錦之助が石松を演じた作品も観たが、こちらは男前すぎるか。
 「次郎長」ものにしろ「忠臣蔵」にしろ、何度もリメイクされ、かつては国民的な共有の記録であり財産だった。こういう大衆文化を大切にしていきたいですね。

10月12日

 今夜は自宅で松山善三監督・脚本『名もなく貧しく美しく』(東宝、1961年)。
 秋子(高峰秀子)は聾唖者で、戦後すぐに夫(高橋昌也)に死なれて、実家に追い返されてしまう。そんな秋子が聾学校の同窓会で、片山道夫(小林桂樹)というまじめな青年と出会い、二人は結婚する。二人は赤ん坊に恵まれるが、耳が聞こえないため、夜中に赤ん坊を死なせてしまう。
 それでも、靴磨きをしながら、必死に働く二人。やがて、二人は一郎という男の子を再び授かる。秋子の母(原泉)も子育てを助ける。だが、大きくなるにつれて、一郎は聾唖者の両親、特に母親を厭うようになる。その上、秋子の弟(沼田曜一)は前科者のヤクザで秋子夫婦に迷惑をかけ続け、姉(草笛光子)は家出した上に香港人の妾になっている。
 一郎も小学校高学年になってくると、ようやく両親に思いやりを持ち始める。家計も少し楽になってきた。そんな折、秋子が昔助けた戦災孤児が立派な若者(加山雄三)に成長して、秋子の留守中に訪ねてくる。知らせを聞いて家に駆け戻る秋子。だが、その時、耳の聞こえない秋子はトラックに轢かれて死んでしまう。一郎はいつまでも母を忘れないと誓うのだった。
 秋子と道夫が手話で話すシーンには、字幕が付されている。
 一郎は「お富さん」や「芸者ワルツ」を口ずさんでいる。戦後の、私が生まれる少し前までの時期の風俗が、よくわかる。
 耳の聞こえない夫婦に景品でラジオが当たる皮肉。そこからはドラマ「赤銅鈴之助」が流れており、一郎だけがそれを楽しんでいる。
 重く悲しいストーリーだし、とりわけ、ラストは辛い。だが、感動と希望を与えてくれる。
 さすがは、木下恵介監督の愛弟子・松山善三である。因みに、本作は松山の監督第一作。松山は主演の高峰の夫でもある。作中の夫婦愛は、彼らの夫婦愛の投影でもあろう。
 原が善良で気丈な老母を好演しいる(いつもは、意地悪な役が多いのに)。高橋昌也は最初だけの登場だが、これも懐かしい。昔はテレビ・ドラマでダンディな初老の紳士をよく演じていたものだが。
 この作品を観たのは初めてだったが、子供の頃からタイトルだけは知っていた。昔は、それだけ知られた作品だったのでしょうね。 

10月9日

 京都文化博物館で牧野省三監督『忠臣蔵』(1910年)を鑑賞。牧野監督は「日本映画の父」と呼ばれる人物です。生誕100年が記念されているマキノ雅弘監督の父に当たる。
 主演は「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助。彼の出演作品を実際に観るのはこれが初めてだし、もしかしたら、今まで観た日本映画の中で最も古い作品かもしれない(いや、きっとそうでしょう)。当然、モノクロのサイレントであり、字幕もない。
 忠臣蔵の初の通し作品だという。畳替えのシーンにはじまって、泉岳寺参拝で終わる。「目玉の松ちゃん」は浅野内匠頭と大石内蔵助を両方演じている。
 忠臣蔵のストーリーを知っていれば、字幕なしサイレントでも楽しめるが、さて、若い人には退屈でしょうね。実際、観客は高齢の方中心でした。
 それでも、衣装はかなり豪華だと思った。
 ほぼ100年前、役者もほとんど歌舞伎出身、観客も舞台を観る感覚で楽しんだのでしょう。
 日露戦争後、中華民国成立前の時代に作られた作品でした。


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