Koji Murataの映画メモ

映画に関するコメントのみお受けします。

外国映画 2008年

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10月22日

 今日は午前中に新京極のシネラリーベでジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』(イタリア=フランス、1989年)を楽しむ。
 戦後すぐにシチリアの小さな村。村には一軒だけ映画館がある。映画好きの少年トトは母親に叱られながらも、ここにいりびたり。父親のいないトトは、映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)を父のように慕い、映写技術を学ぶ。ところが、この映画館が火事になり、アルフレードは失明してしまう。
 宝くじに当たった住民が映画館を再建、これが「ニュー・シネマ・パラダイス」である。トト少年が映写技師だ。思春期を迎えたトトは美しい転校生と初恋を経験し、軍隊経験もする。
 成長するトトに老いたアルフレードが言う。
 「人生はお前の観てきた映画とはちがう。むずかしいことがたくさんある」
 「村を出ろ、戻ってくるな」
 「映写室を愛したように、自分のすることを愛せ」
 それから30年、トトは中年の著名な映画監督(ジャック・ベラン)になっている。彼のもとに老いた母からアルフレードの訃報が届く。葬儀で再会した懐かしい顔ぶれは、しかし皆老いている。ニュー・シネマ・パラダイスも取り壊された。トトの噂だけを楽しみにしていたというアルフレードの遺品、それはかつて上映のたびに神父に命じられてカットしていた懐かしい映画のキスシーンを編集したものだった。
 ジャン・ギャバンが、クラーク・ゲーブルがキスし、チャップリンが踊る。ルノワール監督の『どん底』が、ヴィスコンティーの『ゆれる大地』がスクリーンに映される。それは戦後西洋映画史のダイジェスト版でもある。
 確かに、映画は実際の人生とはちがう。しかし、映画は人生の優れた教科書でありうる。トトとアルフレードの情愛は、それを教えてくれる。
 上映中、一度フィルムが切れて10分ほど中断になった。ニュー・シネマ・パラダイスの出来事が現実になったようで、かえって趣きがありました。

10月16日

 今日は東京で試写会に。
 ジェイムズ・スターン、アダム・デル・デオ監督『ブロードウェイ ブロードウェイ――コーラスラインにかける夢』(アメリカ、2008年)。
 ブロードウェイのヒット・ミュージカル「コーラスライン」が、2006年に16年ぶりに再演された。この時、オーディションに応募した人の数は3000人。これが8か月の間に19人にまで絞られていく過程を、1975年初演の映像と、原作者で振付師のマイケル・ベネットの肉声録音を織り交ぜながら、見事に再構成したドキュメンタリー映画である。19人の中には、沖縄出身の高良結香も。
 勝ち残る者、去っていく者、悲喜こもごもである。審査に当たるボブ・エイヴィアンらの目は、才能と野心に溢れた若者たちに温かく、かつ厳しい。もちろん、「コーラスライン」そのものがブロードウェイの物語だから、これと現実が重複するわけだ。
 冒頭、1974年のニューヨークのシーンにツィン・タワーがそびえている。
 実は、私も1985年に初めてアメリカに行った時、ブロードウェイで「コーラスライン」を観ています。もちろん、その頃は英語はまったくわからず、したがって、ストーリーわかりませんでしたが。
 オーディションを受ける人々を英語で、audtioneeというのですね。初めて知りました。
 因みに、「コーラスライン」の生みの親ベネットは、1987年にエイズで亡くなっています。80年代には、ロック・ハドソンはじめ、多くの才能ある芸能人がこの病気で命を落としています。
 私にとっての「ブロードウェイ」は、やはり教壇かな。
 皆さんにとっての「ブロードウェイ」はどこですか。
 今月25日には公開だそうです。
 

10月1日

 今晩は自宅でジョン・ヒューストン監督『黒船』(20世紀フォックス、1958年)。原題は"The
Barbarian and the Geisha"つまり「野蛮人と芸者」または「異人と芸者」。
 『黒船』といいながら、ペリー提督ではなくタウンゼント・ハリス(ジョン・ウェイン)とその妾だったお吉(安藤永子)の物語。噂には聞いていたが、けっこう駄作です。他に、通訳のヒュースケンにサム・ジェフ(ひどい日本語を話す、他の出演作品は知らない)、そして、下田奉行に山村聡。この奉行や老中が突然英語を話し出す設定には、びっくり。
 安藤はヒューストン監督に見出された新人らしいが、これもこの一本しか知らない。衣笠貞之助が脚本の監修をしたそうだが、それでこれとは。美術も日本と中国の折衷。全編、ステレオタイプで、アメリカはまったくの善意で日本に開港を求めたことになっている。ハリスとお吉の間も、あくまで清い関係に描かれている。ジョン・ウェインは常に正義の味方でなければなりません。去年が生誕100周年だった由(レーガンとほぼ同世代ということになる)。
 ここまでひどいと、山村でさえひどくなる。かつて『北京の55日』に伊丹十三が日本人将校役で登場し、敬礼ではなくお辞儀をして、「国辱」と批判された話を思い出してしまった。
 しかし、異文化のステレオタイプ化という意味では、格好の研究対象かもしれない。程度の差こそあれ、われわれも、欧米その他の文化を鋳型にはめて単純化している点を、自省しなければならない。
 因みに、この作品、5ヶ月かけて、日本でオールロケしたのが売りだそうです。
 通訳のヒュースケンはオランダ人で、のちに殺害される人物です。

9月28日その2

 今夜は自宅でルイス・ブニュエル監督『昼顔』(フランス、1966年)。フランス映画祭で見逃した作品です。
 外科医のピエール(ジャン・ソレル)と妻のセヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)は、若く美しいブルジョア夫妻。だが、妻は不感症で夫婦の性的交渉はない。
 セブリーヌはマゾヒスティックな好奇心を満たすため、アイナス(ジュヌヴィエーヴ・バージュ)の経営する売春宿で働き始める。源氏名は「昼顔」。午後2−5時だけの勤務である。やがて、「昼顔」は女の喜びを知るようになる。
 そんな彼女にほれ込んだ客のマルセル(ピエール・クレマンティ)は、凶暴なチンピラだった。「昼顔」が出勤しなくなると、マルセルは彼女の自宅にまで押しかけ、ついには夫のピエールを狙撃、自身は逃走中に警官に射殺される。
 全身麻痺になったピエールを、セブリーヌは優しく介護するのだった。
 ドヌーブの美しいこと!
 しかし、このエロティックな映画に、セックスのシーンは直接登場しない。ドヌーブの衣装や、作中の主人公のマゾヒスティックな夢想が、実にセクシーなのである。美しいドヌーブが泥をかけられるシーンなどは、秀逸である。
 売春宿の客に、怪しい東洋人が登場するが、彼は「芸者クラブ・カード」というのをもっている。日本人という設定だろう。明らかに、そうは見えなかったが。

9月24日

 今夜はフランソワ・トリフォー監督・脚本『大人は判ってくれない』(1959年、フランス)をDVDで観賞。先日フランス映画祭で見逃してしまったヌーベルバーグの代表作。原題は「400回の殴打」という意味だとか。作品を観ると、それも納得。
 アントワーヌ少年(ジャン=ピエール・レオー)は、学校では高圧的な教師に誤解され、家庭では母親に邪険に扱われている。父はうだつが上がらず、義理の関係である。少年はバルザックに感動して作文を書くと、盗作だと叱責され休学にされてしまう。そこで、彼は親友の家の小部屋に密かに住みつくが、食費のために父の会社のタイプライターを盗もうとして逮捕され、少年鑑別所に入れられてしまう。鑑別所入りは、両親の希望でもあった。
 鑑別所での休憩時間に、アントワーヌは密かにそこを逃亡、海岸線を独り駆けていくのだった。
 トリフォーの自伝的作品と言われていますね。確かに、主人公はスポーツは嫌いで映画好きです。
 あの少年はその後、どうなったのだろうか。
 白黒の映像が美しく、また、フランス語も美しく響きます(私には意味はわかりませんが)。
 今だと、この両親も教師たちも、児童虐待で訴えられてしまうそうな話です。
 「大人は判ってくれない」という邦題も要を得ていて、何でもカタカナ標記してしまう今に比べて、格段のセンスを感じます。
 

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