Koji Murataの映画メモ

映画に関するコメントのみお受けします。

外国映画 2008年

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9月23日

 今日はフランス映画祭でジャック・タチ監督・脚本の『ぼくの伯父さん』(1958年)を観る。
 プラスティック工場の社長アルベル夫妻(ジャン・ピエール・ゾラとアドリエンタ・セルヴァンティ)は超モダンでオートメーション化された邸宅に住んでいる。しかし、一人息子のジェラール(アラン・ベクール)には息苦しい環境で、下町で気楽な独身生活を送っている母の兄ユロ(ジャック・タチ)伯父さんが大好きだ。
 この伯父さんは至ってまじめで善良だが、彼の行くところ必ず小さなトラブルが巻き起こる。
 『ミスター・ビーン』と『アメリ』を足して二で割ったような作風。
 主人公のユロ伯父さんは、ほとんど科白を話さない。
 モダンで機械化された邸宅は、アメリカ文明へのフランス的批判とか。しかし、ここで描かれた電化製品は、今やほとんど実用化して普及している。
 犬がたくさん登場するのも特徴。パリですからね、舞台は。

9月7日

 今日はフランス映画祭で、マルセル・カルネ監督『嘆きのテレーズ』(1952年)。原作はエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』。
 リヨンの町に住む美貌のテレーズ(シモーヌ・シニョレ)は、病弱でマザコンの夫カミイユ(ジャック・デュビー)の面倒をみながら、叔母でもある姑のラカン夫人(シルヴィー)の嫁いじめに耐える、暗い毎日を過ごしていた。そんなある日、夫が連れてきたトラックの運転手ロラン(ラフ・ヴァローネ)とテレーズは恋に落ちる。嫉妬した夫はテレーズをパリ旅行に誘うが、その夜行列車の車内で、カミイユとロランがもみ合いになり、ロランはカミイユを突き落として殺してしまう。
 テレーズとロランは、これを事故にみせかける。ショックで廃人になったラカン夫人の冷たい目がテレーズを射抜き、警察の取調べが続く。そんな折、事故当夜に列車に乗り合わせていた元水兵(ローラン・ルザッフル)がテレーズを強請りにやってくる。そして、不幸な結末がテレーズとロラン、水兵を待っていた。
 暗い生活の中で燃える秘められた恋。前半の単調な家庭生活の描写と、後半のスリリングな展開。陰気な色気を見せるシニョレが好演。シルヴィーのもの言わぬ目も怖い。
 元水兵は日本軍相手に戦争を戦ったおかげで、肝がすわったという。なにしろ戦後7年目の作品である。
 昔(おそらく中学校か高校時代)、NHK教育の世界名画劇場でこの作品を観たことを、途中で思い出した。

9月2日

 永田町は何かと忙しいようですが、私は今日もフランス映画祭。
 本日はジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』(2001年)。
 冷淡な父親と神経質な母親に育てられたアメリ(オドレイ・トトゥ)は、内向的で夢想癖のある娘。
 ある日、アパートの壁から40年前の男の子の宝箱を発見、持ち主を探し出してこっそりと返してやる。中年男が大喜びしたことは、言うまでもない。それ以降、密かな悪戯を重ねて、アメリは周囲の人々を幸せにしていく。
 駅の構内にある証明写真の撮影機で捨てられた写真を収集している不思議な青年ニノ(マチュー・カソヴィッツ)。アメリは彼を見かけて、自分と同じような人柄を感じ、好意を寄せる。彼女はニノにも様々な悪戯をしかけるが、実際に会うことには臆病なままだ。だが、同じアパートに住む老画家に励まされて、ついにアメリはニノと結ばれる。
 9.11同時多発テロ前に製作され、その後公開されたフランス映画の佳作。お洒落で明るく暖かい。
 アメリを演じたトトゥの好演が光彩を放っている。この映画を観た人なら、彼女の顔忘れられないでしょう。
 登場人物を短評するナレーションもエスプリが効いている。
 科白も粋だ。「一目惚れにもレシピがある」、「諺を知っている人に悪い人はいない、というのがわが家の家訓なの」などなど。
 あちことの証明写真機で写真を撮っては残していく謎の人物の正体も、最後に納得。
 夕食後のデザートに、アメリの好物クレーム・ブリュレを、私も堪能しました。
因みに、作中アメリが観ていた映画、一瞬でしたが『突然炎のように』だったように思います。

9月1日

 今日から京都駅ビルでフランス映画祭が始まりました。京都とパリは姉妹都市です。
 というわけで、フランソワ・トリフォー監督『突然炎のごとく』(1961年)。
 パリでオーストラリア人のジュール(オスカー・ヴェルナー)とフランス人のジム(アンリ・セール9が出会い意気投合、親友になる。二人とも文学青年である。さらに、この二人がカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という奔放な美女と出会う。幸せな三角関係が続く。やがて、ジュールはカトリーヌに求婚するが、第一次世界大戦が勃発し、ジュールとジムは敵味方になる。
 終戦後、ジュールとカトリーヌはオーストリアで結婚生活を送っており、娘もいる。そこに、ジムが訪ねていく。懐かしい再会。だが、ジュールとカトリーヌの関係は破綻していた。ジュールはジムに妻と結婚するよう求め、カトリーヌもそれを望んでいた。
 だが、カトリーヌには他にも愛人がいた。彼女はジムと関係をもち妊娠するが、流産してしまう。こうして、ジムとの関係も終わった。再び、三人はパリで再会、カトリーヌはジムをドライブに誘い無理心中してしまう。妻に無償の愛を捧げ続けたジュールだけが、残されたのだった。
 白黒の淡々とした映像とナレーションが重なって、一編のポエムのような作品に仕上がっている。
 愛とは何か、夫婦とは何かを考えさせる。
 ジュールがカトリーヌに言う科白。「君を見ていると、昔観た東洋の芝居を思い出すよ。最初に皇帝が出てきて、こう言うんだ。『余ほど不幸な人間はいない。妻を二人もっているのだから」。
 オスカー・ヴェルナーは、『刑事コロンボ』の犯人役ではじめて観たのだが、この作品の頃はさすがに若い。彼の頼りなさが実にいい。ドイツ語のみならず、フランス語や英語も駆使するのだから、ヨーロッパの俳優は大したものだ。

8月13日

 今日は卒業生が何人か我が家に来てくれて、大掃除。その後、DVDを一本観賞。
 世がオリンピック一色だからというわけでもないが、カーク・ダグラスの出世作『チャンピオン』(1949年、アメリカ)である。監督はマーク・ロブソン、政策はスタンリー・クレイマー。
 貧しいミッジ(ダグラス)と兄コニー(アーサー・ケネディ)は、ヒッチハイクをしながらロサンジェルスに向かっている。そこで出合ったのが、プロボクシングのミドル級チャンピオンのダンとその愛人グレイス(マリリン・マクスウェル)である。やがて、ミッジは試合の代役に起用され、善戦する。そんな彼を辣腕マネージャーが発掘し、ミッジはみるみるうちにスターになっていく。ミッジはついにダンを破って、チャンピオンの座までを手に入れる。
 だがその間に、ミッジは妻を捨て、グレイスを踏み台にし、マネージャーを裏切り、新しいマネージャーの妻と不倫し、兄と決別する。母の死にも間に合わない。元チャンプのダンが復帰をかけて、ミッジに試合を挑む。ミッジは追い詰められながらも逆転勝利を果たすが、その直後に控え室で落命する。コメントを求められた兄のコニーは、「弟は本当のチャンピオンだった」と語り、その場を去って行く。
 よく言えば、藁しべ長者のような話で、周囲の人々の善意を踏み台にして、主人公は出世していく。「俺はミスターと呼ばれたい」と、貧しい若者は夢見ていた。だが、最後には何もかもを失ってしまう。
 兄のコニーは良心を代表しており、実はミッジが捨てた妻に心を寄せている。「愛はコートとはちがう。簡単には脱げないよ」と、ミッジへの思いを断ち切れない女に、コニーは優しい言葉をかけるのだった。
 カーク・ダグラスは今年の末で92歳になるようです。ベラルーシから移民したユダヤ人一家の出身とか。
 亀田兄弟の試合より、はるかに見応えのある作品だと思います。

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