Koji Murataの映画メモ

映画に関するコメントのみお受けします。

外国映画 2009年

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 午前中に京都シネマでジョン・カーニー監督『onceダブリンの街角で』(2006年、アイルランド)。京都シネマ2008年ベスト9位に選ばれた作品で、再上映されている。この選考はアカデミー賞前だったこともあって、『おくりびと』はベスト10に入っていない。
 アイルランドの首都ダブリン。一人の男(グレン・ハンサード)が路上でギターを演奏してチップをもらっている。よく見かける風景だ。男は父の所有する掃除機修理店に勤めており、10年前の失恋の傷を引きずっている。そんな男に、ある女(マルケタ・イルグロヴァ)が声をかけ、しつこく質問する。彼女はチェコからの移民で、ピアノが上手だ。
 二人は意気投合し、男は女に恋愛感情を抱く。だが、女には幼い娘がおり、プラハには夫もいるという。男は音楽で身を立てるため、ロンドンに行くことを決意する。そこには昔の彼女もいる。ロンドンに出発する前に、男は自分の作曲した歌をレコーディングすることにし、女にピアノ演奏を頼む。路上ミュージシャンやスタジオ・スタッフの協力もえて、レコーディングは成功。
 だが、男は女と再会できなかった。男は女にピアノを贈り、一人でロンドンに旅立っていく。
 音楽を通じた切ない出会いと別れ。どこにでもあるような話で、格段にドラマティックでないのがよい。男と女と記したが、作中本当に彼らの名前は出てこない。主人公を演じた二人は、実際に有名な音楽家の由。
 息子をロンドンに送りだす父親が、実に渋い。
 ダブリンの街の様子がよくわかる。天気が悪いと聞いていたが、本当に曇天です。
 アイルランドには近年移民が急増している。この作品の背景の一つである。
 単純な私は、この夏ダブリンに行くことを計画中です。

 今夜は自宅でD.W.グリフィス監督『イントレランス』(アメリカ、1916年)。映画史に輝く古典。
 ストライキで職場を追われた若い男女が都会で出会い結ばれるが、夫は無実の罪で投獄され、出所後も再び殺人犯に仕立て上げられる。死刑執行の直前に、妻の嘆願で救われる。これが現代編である。この他に、壮大なセットを用いたバビロン編では、栄華を極めたバビロン王国が国内の裏切りからキュロスに攻められて滅びる。王国の滅亡に際して、野生的な「山の娘」は祖国のために勇敢に戦い殉じていく。さらに、イエス・キリストの受難と中世フランスでのカトリックとプロテスタントの対立(聖バーソロミューの虐殺)の合計四つの物語が、交錯しながら展開していく。
 「イントレランス」は不寛容の意味で、この作品は寛容の必要を説いている。
 物語の合間に揺りかごを押す優しい母親の姿が映し出される。これがハリウッドの大女優リリアン・ギッシュである。
 バビロンのセットの壮大さは、その後も語り草で、『グッドモーニング・バビロン』という映画のテーマにすらなっている。映画撮影で使うやぐらを「イントレ」という由。
 この作品で、グリフィスは様々な映画の技法を駆使している。しかし、四つの物語がオムニバスではなく、交差して展開する構成は、いかにもわかりづらい。
 莫大な制作費のわりには、興行的に不発だったそうです。
 100年近く前に、こんな大作を作ったとは、やはりハリウッドは大したものです。

 今日は滋賀会館でニキータ・ミハルコフ監督・脚本・製作・主演の『12人の怒れる男』(ロシア、2007年)を観賞。シドニー・ルメット監督の1957年の同名作品をリメイクしたもの。
 チェチェン人の少年が元ロシア軍将校の養父をナイフで殺害したとして、逮捕され裁判にかけられている。証人もそろっており有罪確実と思われる。12人の陪審員たちは簡単に評決して、家路につきたがっている。だが、陪審員の一人だけ(セルゲイ・マコヴィツキ)だけが無罪を主張する。評決は全会一致でなければならない。評議は長引く。やがて、ユダヤ人の老人も無罪に回った。裁判や証言の矛盾が次々に明らかになり、無罪を主張する者が多数になる。それにつれて、陪審員たちは、それぞれが抱えている過去について語りだす。ついに、もっとも強硬に有罪を主張していたタクシー運転手(セルゲイ・ガルマッシュ)も無罪に。真犯人の目星さえついてくる。
 ところが、最後に陪審員長(ミハルコフ)が有罪に固執する。「路上より刑務所のほうが長生きできる」。少年が釈放されれば、真犯人への復讐を図り、犯人たちに殺されるだろうというのだ。
 それでも、12人は無罪を確定する。
 陪審員長は釈放された少年と会い、真犯人を見つけることを約束する。
 評議がおこなわれたのは、学校の古びた体育館。小鳥が一羽舞い込んでいた。陪審員の一人が窓を開けると、小鳥は無罪の少年のように寒波の中に飛び出していく。
 陪審員たちの評議の合間にチェチェンでの壮絶な戦闘シーンが折り込まれている。タクシー運転手の陪審員は、チェチェン人やユダヤ人への偏見をむき出しにしている。
 「法は力強くなければならない。しかし、慈悲の力はそれをもしのぐ」と、最後の字幕。
 監督はプーチン首相とも親しいという。とすれば、慈悲をもってチェチェンを包むという趣旨か。
 「この世にはどんな偶然でも起こる」とは、ユダヤ人の老人の言葉。
 リメイク作品というのは、たいていオリジナルを凌げないものだが、少なくとも、この作品はオリジナルに匹敵すると思う。
 ミハルコフは名作『シベリアの理髪師』(1999年)をも手がけたと知って、納得。
『12人の怒れる男』なのだが、今日の観客は私を含めて9人だった。

 東京のホテルで、ティム・バートン監督『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(アメリカ、2007年)。舞台を映画化したミュージカル。
 19世紀のロンドン、冤罪で15年の刑に処された理髪師のスゥーニー・トッド(ジョニー・デップ)が街に戻ってきた。愛する妻はタービン判事(アラン・リックマン)に陵辱され毒をあおったという。娘はタービン邸に閉じ込められて育てられている。タービンこそは、妻を奪うためにトッドを冤罪に陥れた仇である。
 ミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム=カーター)のパイ屋の2階で昔のように開業したトッドは、タービンへの復讐を誓いながら、客の喉首を切って殺人を重ねていく。実に、その死体の人肉から、ミセス・ラベットがパイを焼くのである。
 ようやく、トッドに復讐の機会が訪れるが、意外な結末が待っていた。
 ほとんどの科白が歌で語られる。ホラー・ミュージカルといっても、美術が美しいこともあって(アカデミー美術賞受賞)、それほど残酷には映らない。とはいえ、同じミュージカルでも『シェルブールの雨傘』とは大違い。
 ジョニー・デップは、こういう猟奇的な役がよく似合いますね。ヘレナ・ボナム=カーターはバートン監督夫人とか。
 身寄りのない客の首を切って殺し、その人肉でパイを作る――巨大都市ロンドンの闇の部分を象徴しているのでしょうか。
 All deserve to dieというデップの歌声が耳に残ります。

 今夜は自宅でDVDをもう一本。
 チェン・カイコー監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年、香港)。3時間近い大作です。
 1925年から77年までの北京の京劇の世界。
 幼少で京劇の一座に預けられた小豆子は、石頭子を兄と慕い、過酷な稽古に励む。長じて、蝶衣(レスリー・チャン)と段小(チャン・フォンイー)となった二人は『覇王別姫』で一躍スターになる。だが、女役の蝶衣は密かに段小を愛しており、段小が遊女・菊仙(コン・リー)と結婚したことから、複雑な三角関係になる。
 日本占領の時期を経て、蝶衣は売国奴として裁判にかけられたり、阿片に溺れたりと、受難が続く。やがて、戦争が終わり、国民党も国を追われて共産党支配が始まると、蝶衣はまた、子供のように育ててきた弟子の小四に裏切られて役を奪われる。さらに、文化大革命で、段小は蝶衣を裏切って批判し、蝶衣も菊仙を非難する。段小も元遊女だった妻と縁を切ると紅衛兵の前で公言。そのため、菊仙は自殺する。
 それから11年。文化大革命も終息し、蝶衣と段小は再び舞台稽古に立つのだが。
 「歌と科白と所作とけれんの総合が京劇」だと、蝶衣は言う。まさに歌舞伎と同じですね。
 中国現代史の激動と伝統文化の重みを感じさせる。
 「また紙幣が変わるだけさ」と、登場人物の一人が権力者の変遷を語る。しかし、それに人々は大きく翻弄されてしまう。紅衛兵の集団つるし上げの前には、もう誰も信じられなくなってしまう。
 レスリー・チェンの女装姿は、本当に美しい。この映画のラストシーンが『おくりびと』の冒頭シーンにつながるような気がする。
 当然ながら、衣装が絢爛豪華。


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