Koji Murataの映画メモ

映画に関するコメントのみお受けします。

外国映画 2009年

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10月19日 外国映画93

 自宅でビデオ。
 フェデリコ・フェリーニ監督・脚本『81/2』(イタリア、1963年)。
 有名映画監督のグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は創作に行き詰まり、保養地に湯治に来ている。彼の少年時代の回想や幻想が、交差して物語は進む。現実の世界では、グイドは愛人とも妻ともうまくいっていない。彼の理想の女性クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)も、現実と夢の双方に現れる。
 ついに、グイドは新作発表会で自殺するが、これも幻想。彼はようやく人々を愛することができるようになり、創作意欲を取り戻すのだった。
 折りに触れて、脚本家が登場し、グイドの作品と人生を酷評する。「自己しか慈しむことのできない人間は、やがて自分の感情に窒息して果てる」スタンダール『ローマ紀行』より。
 カトリックの枢機卿も登場する。彼曰く「人生に幸福はない」、「教会の外に救いなし」。グイドの科白、「幸福とは他人を傷つけることなく真実を語ることにある」。
 因みに、フェリーには『甘い生活』を製作して、カトリック教会から破門されています。
 創作できない芸術家と人を愛せず嘘を積み重ねる男の生活が、重複する。美しくも、不思議な前衛作品です。今観ても不思議ですから、発表当時のインパクトはさぞ大きかったでしょうね。

10月15日 外国映画92

 何人かの方のお話にありましたが、偶然、私も今日ツタヤで81/2を借りてきました。ほどなく鑑賞の予定です。
 今日は広島から大阪に向かう新幹線で、ペドロ・アルモドバル監督・脚本『オール・アバウト・マイ・マザー』(スペイン、1999年)を鑑賞。
 マドリッドで臓器移植のコーディネーターをするマヌエラ(セシリア・ロス)は、未婚の母として一人息子のエステバンを育ててきた。息子の17歳の誕生日に、親子はテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』を観にいく。マヌエラは昔アマチュアの劇団でこの作品を演じたことがあった。芝居に感動した息子は、主演女優のウマ(マリサ・バレデス)のサインを求めて駆け出し、車に轢かれて死んでしまう。息子の臓器が他人に移植されることになる。
 失意のマヌエラは、かつてエステバンの父と暮らしたバルセロナに向かう。そこで昔の仲間に再会し、若い尼僧ロサ(ベネロベ・クルス)とも出会う。マヌエラは偶然、ウマの付き人になる。一介のファンが大女優の付き人になるのは、映画『イヴの総て』と同じ展開である(だから、題名が『オール・アバウト・マイ・マザー』つまり、母のすべて。死んだエステバンは母の半生を知りたがっていた)。ウマは麻薬中毒のレズビアンの恋人との関係に苦しんでいた。
 さて、尼僧のロサは妊娠しており、さらに、エイズに感染していた。しかも、ロサのお腹の子の父親は、マヌエラの元恋人、つまり、死んだエステバンの父親だった。彼もまたエイズに冒されており、今ではドラッグ・クィーン(女装)になっていた。
 男の子を出産して、ロサは死ぬ。男の子の名はエステバン。実は、女装の父親の本名もエステバンだった。三人目のエステバンである。マヌエラは三人目のエステバンの養育に生きがいを見出すのだった。
 麻薬、エイズ、レズビアン、女装、売春婦(マヌエラの旧友、しかし、彼女も実は男)、痴呆症(ロサの父親)など、きわどいテーマを盛り込みながら、親子の絆や友情を感動的に描いています。
 単純な私は、今度はスペインに行ってみたくなりました。

10月14日 外国映画91

 広島に向かう新幹線の中でもう一本。
 ロベルト・ロッセリーニ監督、フェデリコ・フェリーニ脚本『無防備都市』(1945年、イタリア)。
 第二次世界大戦末期、ドイツ占領下のイタリア。
 レジスタンスの指導者マンフレーディ(マルチェロ・バリエーロ)が同志フランチェスコのもとに逃げのびてくる。近くの教会の神父(アルド・ファブリッツイ)も協力者である。だが、やがてフランチェスコらは捕らわれ、護送トラックを追いかける妻のビーナ(アンナ・マニャーニ)は銃殺される。
 マンフレーディはいったん脱出したが、愛人の裏切りのため、神父らととも捕まってしまう。彼の愛人はゲシュタポの女性工作員によって、レズビアンと麻薬に陥っていたのだ。残酷なゲシュタポの隊長ベルグマン中佐(ハリー・ファウスト)はマンフレーディを拷問にかけ、死なせてしまう。翌日、教会の子供たちの見守る中で、神父も銃殺される。「死ぬことは難しくない。生きることが難しいのだ」と、神父は言う。
 第二次世界大戦終了すぐに撮影されているだけに、リアリティがきわだっている。イングリッド・バーグマンを感激させ、オットー・プレミンガー監督が映画史を分かつ傑作と絶賛した作品。
 護送車を追うビーナが撃たれるシーンは、あまりにも有名。私もこのシーンだけは何十年も前から知っていました。また、拷問のシーンの凄惨なこと。
 イタリア・ネオリアリズムの嚆矢とされる作品です。

10月14日 外国映画90

 自宅でビデオ。ルキノ・ヴィスコンティ監督の大作『山猫』(1963年、イタリア、フランス)。
 イタリア統一時のシシリア。大貴族のサリーナ公爵(バート・ランカスター)は、「現状を維持するには変わるしかない」と信じている。山猫が公爵家の家紋である。
 彼は戦火を逃れて、家族とともに田舎の別荘に移る。そこで、統一運動に参加した野心家の甥・タンクレディ(アラン・ドロン)を、公爵は地元の新興ブルジョアの娘(クラウディア・カルディナーレ)と結婚させる。身分違いだが、ブルジョアの財力が必要なのだ。山猫とジャッカルの結婚である。壮大な結婚パーティーが開かれるが、公爵の心は暗い。誰よりも、彼は自分たちの階級の時代の終焉を予感していたのだった。
 サリーナ公爵演じるランカスターは、当時まだ50歳だが、重厚な人物造形に成功している。おそらく、矛盾に満ちた、しかし冷厳な公爵は、「赤い貴族」と呼ばれたヴィスコンティ本人なのでしょう。
 アラン・ドロンの美しいこと。カルディナーレも妖艶。他に、ジュリアーノ・ジェンマの顔も見える。この人も懐かしい。
 豪華かつ重厚な作品です。ラペンドーサによる原作も読んでみたくなります。

10月12日 外国映画89

 今夜は自宅でビデオ。イングマール・ベルイマン監督『野いちご』(1957年、スウェーデン)。
 76歳になる医学者のイサク・ボルイ(ヴィクトル・シェスレム)は、家政婦と暮らす頑固で孤独な老人だ。ルンド大学から名誉医学博士号を受けることになり、老教授は車でストックホルムからルンドに向かう。息子の嫁・マリアンヌ(イングリッド・チューリン)が同道している。息子夫婦は離婚の危機にある。
 途中、イサクは若い三人の男女のヒッチハイカーを乗せ、また、喧嘩の絶えない中年夫婦を乗せる。まるで息子夫婦のようである。
 イサクは子供の頃暮らした旧家に立ち寄り、回想にとらわれる。初恋の婚約者サーラ(ビビ・アンデショーン)を弟に奪われたのだった。サーラは昔、庭で野いちごを集めていた。野いちごは今も庭にある。ヒッチハイカーの娘は、なぜかサーラそっくりだった。イサクは96歳になる母親の元へも立ち寄る。さらに、イサクは妻の浮気を目撃した過去を突然思い出す。
 イサクは母の冷淡を受け継ぎ、彼の孤高は周囲に一層冷淡と見られ、そのために愛する女性を二度も失った。それがイサクをさらに孤独で冷淡にした。今や、イサクの息子も同じ道を歩もうとしている。車での一日の旅がイサクの人生と重なり、現実と回想が交差する。
 やがて、イサクは静かに人間性を回復していくのだった。長年一緒に暮らしてきた家政婦に、「先生」ではなく名前を呼ぶように求めるのは、その現われである(彼女はそれを拒否するが)。
 以前から観賞したかった古典的名作で、先日ようやくビデオを見つけました。
 淡々としながらも幻想的な作品で、人生の意味や老い、死、家族の意味などを問いかけています。
 主人公のシェスレムの落ち着いた演技が渋い。彼は往年の名監督だったそうです。1960年には亡くなっています。
 ガソリンスタンドの主の役に、マックス・フォン・シドーを顔を出しています。


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