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ノーベル賞をもらうのが韓国の彼岸である。日本では24名が受賞の栄誉をうけた。
毎年思うのであるが、韓国は何でも一番、一極集中主義がある。大学はソウル大学、企業はサムスンなど。そして、二位、三位のグループは余り評価されていない。
しかし、日本は、東京大学を頂点としているが、それでも、京都大学、名古屋大学、東京工業大学など、各種の分野で傑出した大学がある。それにともなって、大学も個人も、自分の個性にあった研究を、ひたすら続ける風潮がある。
一方、韓国では、人気のある研究に人々が集中し、それだけ幅広い、特殊の分野の研究は手薄になる。また、基礎研究よりも、直ぐに評価される応用分野の研究が盛んである。
ノーベル賞で受賞した研究者は、応用分野の研究より、基礎分野の研究が多いようである。それだけ、韓国人にとっては苦手な分野であり、遅れている領域といえる。
先週は、「賜物を生かそう」という説教をした。神は、人間に、5タラント、2タラント、1タラントと別々の賜物を与えている。人間は神が与えた自分の賜物を活用すれば、どんな分野でも神から誉められるというのである。他人をみて、自分の受けた賜物が劣るとか、秀でているといって、自分の賜物を活用しないのは悪い。
伝道を例にとって言えば、多くの人々に伝道して、大教会を形成した教会がある。自分も大教会を立てたいと、励むのは良いのであるが、大教会でなければ成功しないと考えるのは、神の考えではない。各人に与えられた賜物を考えて、賜物にしたがって励めばよいだけである。
時には一生涯かけて小教会を形成して牧会するのも、忠実な牧師の働きであり、それは、主がほめてくださるのである。みなが、大教会の牧師である必要はないし、そうであってはならないと思う。
また、ハドソンテーラーのような中国伝道に励んだ宣教師がいる。マザーテレサのように貧しい生活をしながら、イエスを伝えたひともいる。ヨイド純福音教会を立てた趙牧師、永楽教会を立てた韓景職牧師もいる。さまざまな牧師がいてよいのである。朱基徹牧師のように殉教者となった牧師もいる。みなが、同じように貧しいところで伝道し、迫害を受けなければならない必要は無い。
日本の教会でも、私が卒業した神戸改革派神学校の卒業生でもいろいろの分野で活躍した牧師がいる。富田満牧師は、戦時中、当時の日本キリスト教団の統理になり、天皇陛下に謁見した。また、平穣にでむいて、日本の教会の考え方を朝鮮の牧師達に説得した。また、岡田稔牧師は、著書神学概論でもわかるように、改革派教会の牧師に、神学と哲学を綿密に論述して功績をなした。さらに、賀川豊彦牧師は、新川という貧民街にでむいて、貧しい人々に福音を伝えた。
キリスト教は、どの牧師のスタイルが正しいというものではない。牧師の賜物に従って福音を伝えることと教会を形成することが、神の御心であると信じる。賀川豊彦牧師は、この世的には恵まれなかったが、ノーベル賞の候補にも上がっていたと聞いている。各自、自分の生き方で福音を伝えるべきなのである。
ここソウルでも、いろいろな牧師がいる。各牧師は自分のスタイルと賜物を見出して、自分流の伝道と牧会に励んでいる。その働きを主が祝福して、立派な伝道ができるように、教会がサポートしてくれるように祈る。
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