カベナント・ケンブリッジ 日本人教会

韓国ソウル市冠岳区、冠岳警察署バス停前ケンブリッジハウス2F

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神が与えた賜物を使う マタイ25:

有る人が、若いころ韓国米軍基地で平凡なボーイとして働いていた。そこで知恵と能力を使って小さな仕事も工夫して働いたので、感動した米軍将校が金先生にアメリカに留学させた。そこでクリスチャンになり牧師になった。やがて帰国して極東放送の代表になり、いまも伝道に活躍している。彼の仕事の知恵とはなにか。――どのような仕事でも、忠実さと知恵を使えば、必ず立派な職場に引き上げられる人になること。
今も、与えられた仕事をどうするかで人生がきまる。聖書の中に、主人から任された仕事を、忠実に果たして主人から誉められた人と、仕事をしないで怠けていて裁かれた人の話がある。まず、主人が、三人の僕に仕事を任せたことから話を始める。

           I 神は、一人一人に賜物を与えて仕事を任せた

(1)25:14「天の御国は、僕たちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです」天の御国とは、神の国とおなじで、それは<神の支配する世界>のことである。そして、主人とは神であり、僕とは人間である。神が人間に、賜物という財産を与えて旅をした。

(2)25:15「彼は、おのおのにその能力に応じて、一人には5タラント、一人には2タラント、もう一人には1タラント渡して、旅にでた。」神が、各自の人生に、一人一人の能力を考えて、いろいろな賜物を与えと教えている。それらは我々が今もっている、財産であり、音楽の賜物、商売の才能、スポーツの賜物などである。自分には、神が与えた賜物は何もない、と言う人はひとりもいない。

(3)それゆえ、人間は、神が自分に与えた賜物が何かを、明確に知らなければならない。有る人は、人生をスタートするとき、賜物を知ってから、祈って、見出してはじめるという。しかし、多くの場合は、自分の賜物を最初は判らない。それを発見するのは、一度、使いながら、発見することである。具体的には、今、与えられた仕事を、神が与えた仕事として考え、熱心に活用し、知恵を尽くすことである。

(4)内村鑑三は、「自分の天職がなにかを探しても分からない。そして、天職を発見してから、その仕事をしようとするなら、一生天職はもてない。人は、今与えられた仕事をするなかで、能力を開発し、知恵を作って、そこから天職を作り上げてる」といった。神は、大人も子供も、学びをし続け、経験をつみ、教会で説教をきいて、奉仕や訓練をうけるなかで、神が自分にどんな賜物を与えたかを、明らかにしている。

       II 賜物は、忠実に使えば、誉められる

(1)神は、自分の賜物をそのように使ったかかを精算する方である。マタイ福音書の主人は、「よほど立ってから戻ってきて、3人と精算をした。」これは、主人と僕との間に、契約があったことを教えている。我々は、<契約を神と結んでこの人生を生きている>。5タラント預かったものと、2タラント預かった、預かった賜物の違いはあるが、それを用いて、仕事をし、商売をした。それとおなじく、人は神との契約を守って、神に仕えて生きなければ成らない。

(2)第一に、忠実に働けば賞賛がくる。稼いだお金は、5タラント、2タラントと、これぞれがちがう。金額や、大きさの違いがあるが、賞賛は「よくやった忠実な僕だ」と、二人とも同じである。神は、人間の社会のように、稼いだ量で賞賛をきめるのではない。精一杯、働いたかどうか、忠実かどうかで、決める「公平なお方である」。教会生活も、伝道も同じである。人は、賜物をもらって教会で奉仕をし、伝道する。神は、忠実にほうしをすれば、平等なお方である。

マザーテレサの伝道、アフリカのリビングストンの伝道、賀川豊彦の新川の伝道、本田弘慈の大衆伝道など。各自の伝道の賜物がある。それを尊重することが大切。マネをする必要は無い。

(3)第二に、神の賜物を忠実に使えば、神は喜びを与える。25:2「主人の喜びを共に喜んでくれ」我々が賜物を忠実に使って過ごせば喜ぶことができる。この人生は、自分の能力を忠実に使うときに、喜びがともなう。それによって自分に与えられた賜物を発見する。テニスの好きな人がテニスの試合をすれば、喜びがある。それは、彼に、神から、テニスの賜物が与えられたから。しかし、同じ人が、絵を書く時には、苦痛である。それは、彼には、絵の賜物が与えられていないからである。ピアノの賜物があたえられていると、ピアノを弾くときに、喜べる。こうして、自分の賜物が分る。

(4)しかし、自分の賜物ではない、別の仕事をすると、自分も喜べず、他の人も満足しない。。

(5)第三に、神は忠実に使えば、報酬を与える。21:21「沢山のものを任せよう」5タラント預かって忠実に仕事をすれば、もう5タラント。2タラントのものに、もう2タラント報酬が与えらた。ここから、才能や能力は、使えば使うほどその才能が伸びるということが分かる。使わないと、賜物は、減る。包丁は、使えば使うほど、良く切れる。しかし、使わないと、錆でボロボロになる。

     III 賜物は、忠実に使わないのは不信仰である。

(1)18節「1タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した」1タラントもらったものは、それが小さいタラントだからと、使わなかった。それで、旅から帰ってきた主人から叱られた。我々は、自分がどんなに小さい賜物やタラントしかもっていないから、といって、怠惰になってはならない。忠実に使うべきである。神から預かった賜物、能力についてイエスは言われた。ルカ16:10「小さいことに忠実な人は、大きいことにも忠実である」といわれた。小さいことに忠実な人が、大きいことを任される。

(2)1タラント預かった者は、主人に対する理解が正しくなかった。25:24「あなたは、まかない所から刈り取り、散らさないところから集める、酷い方だと分かっていました。」主人が、1タラントは、6000日分=16年分のの給料である。それは、小額ではない。にもかかわらず、与えた主人が、酷い方だといった。神が自分に与えた賜物や応力は、使えば増えるのに、神に対する不満があってつかわなかった。

(3)1タラント預かったものは、5タラント、2タラント預かったものと比較して、ねたみがでた。それで、感謝ができなかった。そのために、使わなかった。人と比較すると、自分の持っている物を、正しく忠実に使うことをさせない。今日、自分がもっている、どんな賜物、能力、才能、財産も、神のものという信仰が大切。神が与えたものである、という感謝があれば、それを精一杯、小さくても、使えるのである。

(4)自分勝手な、理解によると信仰の迷いがでる。教会にきて、説教をきき、神の考えを聞いてから正しいタラントの使い方を考える。牧師に相談して、信仰生活、教会生活をしてほしい。レプタ銅貨二枚をささげた婦人は、神に対する感謝があった。それで、神にそれをささげた。12:43「どの人よりも沢山ささげたといった。」
感謝があるときに、そんなに捧げるものが小さくても、喜んで、神に捧げられる。
 
  IV キリスト者には、共通の賜物が与えられている

(1)私は、東京にお世話になった牧師がいる。その人は、「自分には、自分の友達のように、自分を導く良い指導者に恵まれなかった」とつぶやいていた。本来なら、指導者に助けられて大きな教会の牧師になれたが、指導者がいなくて、不運だったという。それを聞いて、私は、「何が問題だったのか」と問うてみた。確かに、指導者に出会えば立派な牧師として引き上げてくれたであろう。しかし、たとえ出会わなければ、あきらめて不運をなげかずに、血を流して、知恵をつくして、開拓伝道でもすいればよかった、と思った。そうすれば真実な神は、かならず仕事も、指導者を送ってくれる、と思った。
この世は、どんな、小さいこと(一タラントのもの)にも、目標を=神と同胞のために、真心から=誠実に熱心に奉仕すれば、道が開かれる世界である。このような人生となるために、毎週=神を見て、神の教え=御言葉を学んで、 日々の生活に励むように願う。

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メッセージ感謝します。

2019/3/21(木) 午後 7:32 Tender_Loving_Care_of_God


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