カベナント・ケンブリッジ 日本人教会

韓国ソウル市冠岳区、冠岳警察署バス停前ケンブリッジハウス2F

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後のものが、先になるのものです   マタイ20:1−16

李明淑執事は、ソウル駅前に食堂をもっている。大変なのは、お客さんが、朝から晩まで、コンスタントに来てくれれば従業員が4人程度でよいが、昼ごろに一度に沢山やってくる。それで、その時間帯には、何人いても手が足りない。そのため、お昼の時間に従業員を集中して沢山雇わねばならない。長い間待たせると、お客はこなくなる。頭の痛いことである。
イエスが、神の国のお話をするとき、ぶどう園のたとえ話しで教えた。たとえ話は、英語でパラブルであり、パラ+ボレというギリシャ語で、平行して+投げる(語る)という意味。たとえ話で注意が必要なことは、その真理を一つだけつかむことである。また、そこで使われている一つ一つの言葉に、意味をもたせて解釈するのは、全体の教えを間違って解釈する。注意して読まなければならない。
イエスはぶどう園のたとえ話をしながら、神の世界について語っている。まず、<ぶどう園の主人>とは天の父なる神である。<ぶどう園の監督>とはイエスキリストである。<労働者は神の国の働き人でクリスチャン>である。これをまず理解してから、教えの内容を理解しなければならない。

    I 神は、何度もクリスチャンを招かれる

(1)ユダヤのぶどう園には、いろいろな仕事が必要である。ぶどうを刈る人、集める人、運ぶ人、蔵に詰める人。特に、収穫の時期には、一度にたくさんの仕事がある。仕事はフルタイムで毎日働く労働者と、忙しいとき働くパートタイムの労働者がいる。ちょうど、食堂では、忙しい昼ごろには集中して仕事がある。このたとえ話のぶどう園の労働者は、一日だけの契約で仕事をする日雇いの労働者である。 昔、日本では、日雇いの労働者を「ニコヨン」と呼んだ。それは、日雇いの賃金が「254」(ニコヨン)だったからだという。
彼らは、毎朝早く市場に行き、ぶどう園で働けるように、ぶどう園の主人が来るのを待っている。
(2)ぶどう園の労働は、早朝6時に始まり夕方6時に終わった。主人は、早朝、市場に出かけて労働者を集める。そして、一日「1デナリ」の給料で契約を結んで、労働者をぶどう園に送る。その日も朝6時に市場にいき、労働者を集めて、彼らをぶどう園に送った。また、主人は9時にも市場にいってみると、「別の人たちがたっていた」。彼らは言った。「だれも自分たちを雇ってくれないのです」。そこで主人は、「相当のものを上げるから」と彼らと契約を結んで、ぶどう園に送った。その後、主人は、12時、3時に市場に行った。こうして、仕事のない人と契約を結び、ぶどう園に雇った。その後、主人は5時にも市場にきて、最後の労働者をぶどう園に送った

(3)このぶどう園の話から、ぶどう園で働く労働者は、
第一に、 ぶどう園に入るのは 主人の招きがあってできる。自分の意思や熱心でぶどう園には入れない。同様に、神の国、天国に入るためには、自分の熱心と決心だけではなく、主人である神の招きが必要である。神の招きがなければ、神の国に入れ得ない。同様に、神の国にシンボルであるイエスキリストの教会にも、神の招きがあってこれる。それで、イエスは言われた。ヨハネ6:44「私を遣わした父が引き寄せない限り、だれも私のところに来ることはできません」皆さんが、キリストの教会にこれたのも、天の父なる神の、導きがあったのである。その自覚を持って奉仕して欲しい。

(4)第二に、ぶどう園の主人は、何度も何度も、市場にいって、仕事のない人々を雇ってぶどう園に送った。朝6時、9時、12時、3時、5時・・・同様に、天の神は、人の人生のいろいろな時に、神の国に招かれる。ある人は、病気になり絶望したとき神に助けを求めて教会にくる。事業の失敗で仕事がなくなったとき事業を回復させてもらうように来る。家族との別れで孤独を味わい人生をかんがえるとき、どうしても神を考える。 時には、ぶどう園の労働が終わる1時間前に主人が市場で招いたように、人生になにをしても失敗ばかりでも、神は招く。人生に、送れたという人はいない。

   II 招かれたクリスチャンには、一人一人十分な恵みを受け取る

(1)さて、ぶどう園で一日の労働が終わった。そこで、神である主人が、監督であるキリストに、賃金を支払うように命じた。そして、神である主人は不思議な命令を、キリストにした。それは全員に1デナリの賃金を与えたこと。

神が与える賃金は、この世の計算ではない。
第一に、労働の長短に関係なく、各自に同じ賃金だけ与えた。
朝から働いた人も1デなり、たった1時間しか働かなかった人に1デナリ。同じ1デナリを与えた。1時間だけ働いた人も1デナリもらったので、朝から働いた人は、自分たちはもっとたくさんもらえると期待した。それで、不公平だと文句をいった。「この最後の連中は、1時間しか働かなかったのに、あなたは、私たちと同じようにしました」近代の労働の考えとは違う。

(2)これにたいして、主人は答えた。13節「私はあなたに不当なことはしていない。あなたとは、1デナリの約束をしたではありませんか」そして、15節「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか」と戒めたのである。主人が、各自と、労働の契約を結んだので、その契約にしたがって、主人は賃金をはらったのである。主人が、自分のお金を自分の思うようにするおは、当たり前の話。

(3)ここから、神の国では、神が我々に与えるものは、神のプレゼントとりかいすべき。朝来たものにも、1時間しか働かなかった人にも、同じ1デナリを与えたのは、神の恵みが、どの人にも平等に与えられる、という意味。自分には自分の恵み、仲間には仲間の恵みを与えたのであり、それは神が決めることで、労働者が決める問題ではない。

(4)イエスが、十字架にかかってしなれたとき、その両側で死のうとする犯罪人がいた。その一人が、イエスをみて神の子であると告白した。この男は、イエスきりストから、天国の約束をもらった。彼は、何の善行もしないし、奉仕もしなかった。十一献金も、伝道も、教会の奉仕もしなかった。ただ、イエスを信じて告白しただけ。そして、立派に天国にいき、勝利の人生を送った。キリストの救いは、その人の行いではないことがわかる。

(5)しかし、誤解してはならない。救われたら、皆同じだから、奉仕をしても、献金もしなくて絵も、伝道をしなくても大丈夫と教えているのではない。キリストの救いは、このように、<怠け者を育てるのではない。><恩知らずの生活を>を作るのではない。共産主義のように、人から働く意欲を奪うのでもない。
十字架の上で死ぬ前に危機一髪で辛うじて、救われた男は、救われた喜びでイエスに奉仕をしたいが、できなかったのである。もし、この男が、十字架からおろされたら、喜びと、感謝のあまり、熱心に奉仕したはずである。我々は、いま体を動かせる。キリストへの感謝の心を、生きているかぎり、感謝にあふれて、精一杯、神に仕えることが求められている。

   III 労働者が報酬を受け取るとき、順番が違う。

(1)仕事が終わった後、報酬は、最後の人から順番にあたえられた。「最後から来たものから順番に、最初に来たものまで賃金を払ってやりなさい。」この世界では、苦労したもの、沢山働いた人がが最初に賃金をもらう。しかし、神の国では、少ししか働かなかったものが、最初にうけとった。実に、不公平である。これは、神の世界では、人間的な順番や評価が、逆転することを教えている。われわれ人間の計算だけで、人を判断したり、神の国を判断したり、評価してはならない。16節「後のものが先になり、先のものが後になる」。すべては、神の判断で行われることを、忘れてはならない。

(2)パウロは、かつて、クリスチャンを迫害した。<罪人の頭>と自分で言っている。しかし、神の恵みによって、多くの働きをした。伝道と教会形成をした。ほかの使徒より遅く招かれたが、誰よりも多くの働きをしたという。神の国において、先に招かれた人よりも後で招かれたひとが、沢山の仕事をすることが多い。

(3)第一に、たとえば、自分は子供の時から教会に来て、長い間教会で奉仕をしてきた。誰よりも良く働いたので、自分は偉いと錯覚し、いつのまにか高慢になる。
しかし、その人は、神の国では最後になることもある。教会は、神の国を現すものである。神の世界を反映している。教会では、世間では通用しないことがおこる。謙遜になって、教会で仕えなければならない。
第二に、また自分は、年をとって、何もできないと、落胆する必要なない。この世界では、年寄りは仕事ができない。<年寄りは嫌いだ>、という。しかし、神の国では、年をとっていても、謙遜に主に仕えるなら、高くしてくれる世界である。教会でもそうである。身分の低い人、能力のない人も、高く評価される。教会では、そのように、謙遜な心があれば、高く用いる場所である。

それゆえ、すべてのひとは、 自分が神に召されたことに感謝して、その神に一生懸命に仕えて十分な恵みをうけよう。

結論、最近、日本では仕事をする若者がいなくなっている。スーパーでは外国人が従業員として沢山ある。特に、お年寄りの世話をする女性、病人の看護をする女性がいない。それで、ベトナムやフィリピンから若い人が女性が日本語を勉強しながら仕事をする。彼らは、なんでもするという。こうして、技術を身につけて、お年寄りから信頼を得て、給料をもらって、生活をする。「何でもする」という精神があるなら、仕事は沢山ある。
昔、「日本に何でもします」。という職業があった。その人は、家の掃除から、自転車の修理から、お年寄りの話し相手など、仕事をたのまれたら、どんな仕事もした。すると、それが評判になり、いまでは、大きな会社を作っているという。そのように、我々も、どのような奉仕で不平を言わずに、感謝してする気持ちがあれば、神の国では、教会では、神はその人を立派な奉仕者にしてくださる。

結論:歌を歌う「今日まで来たのは、主の恵み」

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メッセージ、大変勉強になりました。感謝します。

2019/4/2(火) 午後 0:18 Tender_Loving_Care_of_God


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