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(1)最近、私が昔勤務していた神戸市役所時代の同期、下川浩一郎君(神戸市外国語大学勤務)からお手紙をいただきました。ここに写っている私の写真を見て「牧師の顔になった」とコメントを頂きました。昔は、どんな顔をしていたのかな?と自己反省しています(050630)
(2)私は国際都市神戸の中心街で小学校時代を過ごしました。家の両隣には、韓国人(私の竹馬の友となった孫君)と中国人(私と仲良く遊んでくれたアケン姉さん)が住んでおり、小学校のクラスも日・中・韓・インド人などまぜこぜで、その中で違和感なく育ちました。小学校の先輩に、柔らかいタッチで女性像を描く小磯良平画伯がおられ、私達は誇りに思っていました。ある日の美術の時間に「お母さんの一日の様子」を課題に、絵を描くことになりました。私は、授業中に紹介された小磯良平氏の淡い裸婦の絵が頭に残っていたので、母と一緒に銭湯に行った時の「婦人湯」の様子を、素直な気持ちで描きました。その絵を見ながら美術の先生が、「三輪は眼の付け所がユニークだな・・」と笑ってくれました。それで、きっと家でも褒めてくれるものと思って帰宅し、得意顔で「婦人湯の母」を見せると、いきなり母と姉から、こっぴどく叱られました。その時は、何故叱られたのか理由が分からず、しばらく悩みました。現在、この懐かしい小学校も、市街地に子供が少なくなって廃校となり、建物だけが“北野異人館通り”の名所の一つ「北野工房」として残されています。
(3)上に述べた孫君と私は、小学校で毎日叱られていた生徒だったと思います。二人とも、いたずらばかりして、勉強に行くのか叱られにいくのか、分かりませんでした。彼は、太っていて足が遅く、私は細身で足は速かった方です。彼は子供の頃から、この世の知恵がありましたが、私はお人よしで、失敗ばかりしていました。でも、お蔭様で二人とも、何とか人生の道を歩んでこられました。孫君は、3人の息子を3人とも医者にし、結婚もさせ、孫もいます。私は、彼より三歩遅れて、息子はまだ大学生で、結婚もせず、(当然)孫も居ません。でも、「仲が良いから」と、二人で一緒のベッドに寝た時もある仲良しなのは、昔と変わりません。その彼が日本で生活し、私が彼の母国でもある韓国で生活するようになったのも、不思議なことです。
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