|
ルカ5:31、31「イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。私は正しいものを招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためにきたのです。』」
これは、イエスが来られた意味をパリサイ人たちに語った言葉です。すなわち、イエスが取税人や罪人を招いて食事をするのは、罪人と呼ばれている人々こそ神が招いている人々だったからです。
逆に、自分が義人であり悔い改める必要を覚えていないパリサイ人たちは、イエスから招かれた人々ではないということになります。
そのことを理解するために、「医者を必要とするのは・・・・病人です」と、誰でもが納得することをいわれました。
ここでイエスは、病人が医者を必要とすることを肯定しています。すなわち、イエスは医者の働き、病人の治療の働きを当然のこととして受け入れているのです。奇跡により病人を癒されたイエスですが、それだかれと言って、医者の働きを無視したり、否定はされていません。むしろ、ご自分の罪人を招く働きと並行的に高く評価しておられるといえます。
言い換えると、イエスは癒しの神でありますが、その癒しを奇跡によりなさることもあり、医者の働きを通してなさることもあるということです。具体的には、通常の場合は神が与えた医療により癒されます。しかし、医療では癒されない難病、また町から離れた医療のない環境などでは奇跡が用いられるでしょう。その区分をする神の知恵が必要です。
ですから、私たちは、医者の働きを認めるイエス様のお考えを受け入れるべきであり、現代社会で医者にかかるのは不信仰とか、信仰者は医者を必要としないという極端な意見はいけません。医療も奇跡も共に神の癒しの方法でありますから、私たちは医療の成功を祈り、奇跡を願う祈りもするのです。
ところでイエスは、体の癒しは医者の働きであり、ご自分の働きは「罪人を悔い改めさせる」ことだと言われました。すなわち、イエスの働きの中心は、罪人が神の前に義と認められて魂が癒されることなのです。
勿論、ここでの罪人とは取税人や悪人に限ってのことではありません。「全ての人は罪を犯した」のであり、全人類のことです。イエスは全ての人が、自分が罪人であると認めて、悔い改めて神に帰ることができるように、この世にきて福音を伝えたのです。当然、その中に、丈夫な者もおり、病人もいるのです。そして、病人に関しては医者が必要だというのです。しかし、病人も丈夫な人も、みな罪を悔い改めて、神に帰るように招いています。
ここで、イエスが「招く」と言われるように、すべての人々が招待されている事実です。そして、全ての人はイエスの招きに答えることが求められています。人は、この招待にこたえる責任があります。
救いの働きはイエスの招待から始まります。決して強引に命令して自分の所にこさせません。イエスは愛によって人を導く神だからです。このことをしって、一人一人が、自分の決心でイエスの招きにこたえ、悔い改めることが教えられています。
|