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私達と共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多い II列王6:8−18
将棋の名人戦が日本で開催中である。若手の寺沢9段が快進撃している。2日制で、一日目の最後に指した棋士が、自分が指した手を紙に書いて、誰にも見せないで封筒に入れてそれを立会人に渡す。立会人は次の一手を受け取った封筒を、金庫に入れて翌日まで保管する。それを誰も見ることは出来ない。相手の岸は、どんな手をさしたかを想像して一晩、あの手この手と考えて準備しなければならない。それは、本人の見知るのであるが、しかし、聖書には、全知全能の神がおられる。そのお方と一緒に生活するなら、どんな状況になっても、それに対処することが分るから心配ない。
今日は、イスラエルの北にあるアラムの大群が、エリシャのいるサマリヤの町を包囲したとき、エリシャは主の大軍が自分達と共に居られることを見せ、勝利させた物語である。
I イスラエルを待ち伏せしているアラムの軍がいた
(1)8節「アラムの王がイスラエルと戦っていたとき、王は家来達と相談していった。『これこれの所に陣をしこう』」イスラエルの北には、アラムという敵があり時々攻めてきた。イスラエルは、北の王国にはエリシャがいて、神の言葉を伝えていた。今回も、イスラエルとアラムの戦いの時に、アラムの王は、イスラエル王を待ち伏せして殺そうとした。
(2) 悪魔と悪霊は待ち伏せする。「彼は茂みの中の獅子のように、隠れ場で待ち伏せしている」(詩篇10:9)。それゆえ、我々の責任として、常に、警戒が必要である。 特に、不信仰のいる人々の集まり、知らない場所に行く時は、注意がいる。彼らは、待ち伏せして、急に我々に話しかけて攻撃するのである。
(3)イエス様が十字架にかけられる前に、大祭司の前で裁判を受けた。そのとき、一番弟子のペテロは、その裁判に不用意についていった。すると、突然、女性が近づいて「あなたは、イエスの弟子ですね」と声をかけた。すると、ペテロは驚いて、「私はイエスを知らない」と、嘘をついてしまったあ。
(4)パウロがエルサレムで裁判を受けている時、パウロを殺そうとしていたユダヤ人は、<パウロを待ち伏せして>、パウロを殺そうとした。その時、パウロの姉妹の子が、聞きつけてパウロに知らせた。そこでパウロは千人隊長のところにこの青年を派遣しててこのことを報告したので、千人隊長は兵隊を送って、パウロを守ることにした(使徒23章)
(5)9節「その時、神の人はイスラエルの王の下に人をやって言った。『あの場所を通らないように注意しなさい。あそこには、アラムが下ってきますから。』」神の人、エリシャは、アラムの王が待ち伏せているのを神から教えられて、イスラエルの王に助言して、あの場所に通らないように注意しなさい、と警告した。それで、イスラエルの王は、その道を行かずに、危険から守り、国も守った。アラムの王は、待ち伏せしていたが、見事に裏をかかれて空振りであった。
(6)文大統領が、聖書にあるように、神の人の助言や警告やあらゆる情報を聞いて、現在の北のミサイルの攻撃に対して、知恵深く神様の逃れる方法を発見し、韓国を戦争から救うように祈ろう。
II 万軍の主の軍勢がイスラエルを守っている
(1)11節「アラムの王の心は怒りに燃え、家来達を呼んでいった。『我々のうち、だれが、イスラエルの王と通じているのか』」こうしたことが、1度や2度ではなかった。アラムの王は、きっと、アラムの国にイスラエルのスパイがいると考えた。しかし、家来の一人が、「いいえ、王様。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られる言葉までも、イスラエルの王に継げているのです」といった。寝室の中で語るのは、だれも入ることが出来ない秘密の場所である。韓国では、大切なお客様を家に迎えるとき、寝室の中に迎えて食事をする習慣が有る。寝室には、大切な宝がおいてある。その人を家の一番奥にいれるほど、心を開いて、秘密もなく、信頼しているという印である。
(2)こうして、アラムの王の秘密は、全部エリシャに筒抜けであった。 むかし、バビロンのネブカデネザル王が自分が寝床で見た夢の意味を<誰がとくことができるか>と、問うた。 知者、呪文師、呪法師は、夢を教えたらその解き明かしはできるが、どんな夢を見たかをあてることは、出来なかった。すると、王は、自分の夢が何かを教えないと、ならないといった。その時ダニエルが、その夢を当てた。そして、「天に秘密を現す一人の神がおられます」(ダニエル2:28)と言った。ダニエルは、王の見た夢までも神の指示によって教えた。神の前にはなにも秘密を隠せない。すべてが神の前に現れるのである。
(3)そこで、アラムの王は、13節「行って、彼がどこにるかを突き止めなさい。」といった。そこで、彼らが調べると、<エリシャがドタンにいる>という情報が、イスラエルの王に入った。それで、14節「王は、馬と戦車と大軍をそこに送った。」さらに、見つからないように、夜のうちにエリシャのいる町を包囲した。もう、エリシャは逃げることができない絶対絶命である。
(4)エリシャの召使が、朝早く起きて外に出ると、15節「なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。」そして、若い者がエリシャに「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」といった。そのとき、エリシャは彼に、16節「恐れるな、私達と共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多いのだから」と言った。エリシャの召使も若者も、大軍をみて絶望している。しかし、エリシャは、「恐れるな」「自分達を守っているものは、あの大軍よりももっと多い」といった。
人間の目でみるとき、アラムの大軍勢が包囲している。しかし、信仰の目でみると、神が派遣した馬と戦車の軍隊が、エリシャを守っているのが見えたのである。
(5)この世界には、目に見えない霊の世界がある。聖書はそれを教えている。それによると天使の軍勢がいて我々を保護し導いている。詩篇34:7「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助けられる。」<神が、目に見えない天使を派遣して、我々の周りに陣をはり、助けられる>のはなんと感謝なことか。これ以上の確実な守りはこの世にはない。
(6)ダビデはアブサロムに命を狙われて荒野を逃げまくった。しかし、この神の保護と守りを信じていたから、危険な中にあって、詩篇3:5「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主が私を支えてくださるから、私を取り囲んでいる幾万の民をもおそれない」といった。神の守りがあるあら、ダビデは夜眠れた。<神と共にいる信仰者が一人いるのは、何百という数の大軍が共にいるよりも心強い。。>万軍の主の軍勢が我々の人生を守ってくださっているのは、何という感謝なことか。
III 心の目を開かれるのも閉じるのも主がする
(1)イスラエルの一人の若者が、アラムの敵が町を取り巻いているのを見て恐れた。しかし、エリシャは、17節「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」と祈った。若者に信仰の目が与えられて、アラムの軍隊より、それよりもっと多くの軍隊が天から派遣されているのを見ることが出来るように、祈った。すると、その祈りが聞かれて、若者の目が開かれた。彼が見る、17節「火の馬と戦車がエリシャの周りを取り巻いていて、山に満ちていた。」若者は、肉の目で周囲をみて、絶望していたた。しかし、神が与えた信仰の目により見ると、そこには、何倍もの軍隊がエリシャを守っているのが見えた。
(2)我々も、そのような信仰の目により、我々を守る神の軍勢を見る必要がある。その信仰の目は、どうして与えられるか。それは聖書という信仰のメガネである。聖書を通して、見えない霊の世界や、神が送っている、神の軍隊、助けが見えてくる。それにより、我々は、危険な世界の中であって、助けと、導きを受けることができる。
(3)しかし、アラムの軍隊は、心の目が盲目で、エリシャに向かってきた。るとエリシャは、主に祈り、18節「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください」と祈った。主は、アラムの軍隊の目を見えなくされた。
(4)大群でも、目が見えないとその戦うことができない。それゆえ、馬も戦車をも使えない。こうして、アラムの軍隊は、戦争ができなくなった。その後、エリシャはアラムの軍隊に命じて、エリシャの言う事を聞くようになった。彼等はエリシャの言うとおりに行動した。目に見える軍隊、力、を恐れる必要がない。神様が、目を見えなくすれば使えない。
(5)パウロは教会を迫害していたが、イエスキリストが天から現れて、パウロをうった。すると、彼の目が見えなくなった。そして、パウロはバルナバに手を引かれてエルサレムにきて、やがてあらゆる、困難と苦しみを通して、キリスト教会の指導者として、教会をたてた。神は、このような困難を通して立て教会を建て上げられることを、我々に教えた。
結論 韓国で伝道して、カベナントを開拓した。目で見ると、小さいが、それは万軍の主がまもっている。日本の小さい何十と言う教会が、我々のために祈っている。それゆえ、たとえ小さくても、万軍の主が守っている教会である。神は、天使で守り、我々を攻撃する者の目を見えなくされる。このような、攻撃するものがいて、教会は強くなり、新しくなっていく。それゆえ、何も恐れる必要はない。
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