カベナント・ケンブリッジ 日本人教会

韓国ソウル市冠岳区、冠岳警察署バス停前ケンブリッジハウス2F

牧師の日記と随想 その1

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150周年大会風景

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7月8日、9日の両日、横浜桜木町の国立大ホールで開かれた、『日本宣教150周年記念大会』に出席してきました。

韓国から牧師先生が沢山出席して、メッセージや祝辞をされる礼拝と式典に、私も韓国から出席し日本の教会のこれからの発展のために共に祈りました。次の200周年の出席は、ちょっと自信がないもので・・・。

この集会では、懐かしい先生方や友人にもお会いする恵みにも預かりましたので少し写真を載せます。

この写真は2階から撮った大会式典の風景です。

友人達

(1)最近、私が昔勤務していた神戸市役所時代の同期、下川浩一郎君(神戸市外国語大学勤務)からお手紙をいただきました。ここに写っている私の写真を見て「牧師の顔になった」とコメントを頂きました。昔は、どんな顔をしていたのかな?と自己反省しています(050630)

(2)私は国際都市神戸の中心街で小学校時代を過ごしました。家の両隣には、韓国人(私の竹馬の友となった孫君)と中国人(私と仲良く遊んでくれたアケン姉さん)が住んでおり、小学校のクラスも日・中・韓・インド人などまぜこぜで、その中で違和感なく育ちました。小学校の先輩に、柔らかいタッチで女性像を描く小磯良平画伯がおられ、私達は誇りに思っていました。ある日の美術の時間に「お母さんの一日の様子」を課題に、絵を描くことになりました。私は、授業中に紹介された小磯良平氏の淡い裸婦の絵が頭に残っていたので、母と一緒に銭湯に行った時の「婦人湯」の様子を、素直な気持ちで描きました。その絵を見ながら美術の先生が、「三輪は眼の付け所がユニークだな・・」と笑ってくれました。それで、きっと家でも褒めてくれるものと思って帰宅し、得意顔で「婦人湯の母」を見せると、いきなり母と姉から、こっぴどく叱られました。その時は、何故叱られたのか理由が分からず、しばらく悩みました。現在、この懐かしい小学校も、市街地に子供が少なくなって廃校となり、建物だけが“北野異人館通り”の名所の一つ「北野工房」として残されています。

(3)上に述べた孫君と私は、小学校で毎日叱られていた生徒だったと思います。二人とも、いたずらばかりして、勉強に行くのか叱られにいくのか、分かりませんでした。彼は、太っていて足が遅く、私は細身で足は速かった方です。彼は子供の頃から、この世の知恵がありましたが、私はお人よしで、失敗ばかりしていました。でも、お蔭様で二人とも、何とか人生の道を歩んでこられました。孫君は、3人の息子を3人とも医者にし、結婚もさせ、孫もいます。私は、彼より三歩遅れて、息子はまだ大学生で、結婚もせず、(当然)孫も居ません。でも、「仲が良いから」と、二人で一緒のベッドに寝た時もある仲良しなのは、昔と変わりません。その彼が日本で生活し、私が彼の母国でもある韓国で生活するようになったのも、不思議なことです。

家族の話し合い

(1)息子が心配して「説教はもうできた?お父さん」と聞く。「まだ・・」と答えると不思議がって、「いつできるの?早く準備したら?」という。それで「説教の準備は、説教の直前まで続くのだよ」と答える。さらに「この説教いつから準備したの?月曜から?」と聞く。それで、「父さんが生まれてから、ずっと説教の準備があったのだよ」と答える(050702)。

(2)私は日本にいた時から断食祈祷を定期的に実行していました。結婚してからも、家内にも勧めて一緒に断食祈祷をしたものです。しかし、家内は空腹に耐えられず、「私は、断食は嫌い!お腹いっぱい食べたい!」と涙をこぼして反対するので、継続できませんでした。コメント:後で家内の言うには、「これは、妊娠している時のこと」で、個人的に、私の知らないとき何度もしたと言うことです。

(3)7月17日は、ヨイド純福音教会の中川恵理伝道師先生に説教のご奉仕をお願いしました。礼拝後先生からお話を伺ったとき、「趙庸基牧師先生のお働きの70%は、奥様(師母)の働きによる」と言われました。帰宅後、家内が“師母の70%”にとても感動し、「一度、伝道師先生とお食事の交わりをして詳しく聞きたい」と言います。そして、私に向かっては、「あなたもソウルでこれまで伝道と教会の働きができたのも、私の生活の支えがあったからよ」と、いつものように“教皇様”の「一言説教」が続きました。たしかに、教団や教会からのバックアップの無い、個人の開拓伝道ですから、ずいぶん苦労を掛けました。でも、内心、その一言がなければ、もっと頭が下がるのに、と思いました。

(4)(以下家内文子の話を紹介します)。市バスから降りた時、バスの中に忘れ物をしたのに気が付いた。タクシーでそのバスを追いかけたが、交通規制にあってバスを見失った。それでも、あきらめずに、バスの終点まで行って、運転手が待機している事務所に入ってたずねた。「先ほど到着したバスに紙袋の忘れ物はなかったか?」受付にいた担当者は、「今日は何も無い!」と素っ気無い返事だった。それでも引き下がらず事務所内に聞こえるように、「本当に無かったの!」と声を大きくして言った(体の割りに声が大きい)。すると、どこからともなく、誰かが、紙袋をソット足元に置いた。それを見て、「イゴッ!イゴッ(これよ、これ!)」と言いながら、袋を取って中を開ける。しかし、今度は「袋の中の傘が無い!」のである。それで、再び周囲の男性達を見回しながら叫ぶ。するとまた、誰かが傘をポイと差し出した。袋に入れていたのは新品で紙のケースに入っていた傘だったが、既にケースは捨てられ、中身の傘だけであった。それで、その傘を奪い返して、事務所から戻って来たのだという。“文子は強い!”
 しかし、ふと私は考える。バスの事務所にいる人々は、市バスの運転手や公共機関の公務員たちである。電車やバスやタクシー内には、忘れ物の問い合わせ先の案内もある。しかし、肝心の遺失物保管所がこういう状況で、果たして忘れ物は本人に届くのだろうか。残念ながら、建前通りに人々が動いていない韓国社会の一面を見る思いがした。

この夏の諸活動

(1)7月15日から18日まで九州福岡の筑紫野二日市教会を訪問しました。同教会は今年が創立20周年で、私はその記念集会に出席して祝辞をのべると共に、同教会と韓国のハレルヤ教会聖徒の相互交流の奉仕をさせていただきました。二日市教会は、現在、加来国生牧師と山中猛士協力牧師のリーダーシップにより、壮年層を中心に堅実な教会成長と伝道所開拓の働きを続けています。また、記念集会では、カベナントチャペルに沈賢珠姉を紹介してくださり、現在は同地域で伝道している朴栄子宣教師と5年振りで再会しました。ちなみに朴宣教師は、私の卒業した神戸改革派神学校の後輩にあたります。

(2)夏は、短期宣教で日本に出かけるクリスチャンも沢山おられます。西大門に『日本福音宣教会』(JEM)という信徒たちにより起こされた宣教団体があります。そこから、多くの宣教師が日本に派遣されており、また、毎週木曜日夜には日本語の礼拝も開かれています。私は、一人の奉仕者としてこの礼拝に出席しています。今夏も、ここから高松、大阪への短期宣教が企画されていますが、今年は応募者が少なくて困っているようです。理由は、独島問題、小泉首相の靖国参拝発言、歴史教科書などの諸問題が、日本と韓国の交流活動に影を落としてるからです。教会によっては、長老が日本への短期宣教に反対する立場を表明しているので参加しにくい、という話もききました。実に残念です。こうした時だからこそ、クリスチャンは、政治、スポーツ、文化交流ではできない、キリストにより結ばれた一致の力を、世に証することが出来たはずです。イエスは、弟子達が一つとなるように祈られました。「彼らがみな一つとなるためです。そのことによって、あなたが私を遣わされたことを、世が信じるためなのです」(ヨハネ17:21)。我々が一つとなる時に、世がイエスを信じるように導かれるのです。たとえ人数が少なくても、今年も短期宣教が祝福されて実を結ぶように、祈りたいです。

(1)カベナントチャペルのテーマ賛美であるゴスペル“Crying in the chapel”をご紹介します。→ http://www.alighthouse.com/chapel.htm

(2)先日説教で、蒋介石の布告命令を紹介しました。敗戦時、中国に侵略・進出していた日本人が、果たして安全に帰国できるのか、という不安がありました。その中で、蒋介石は「悪に対して、善をもって報いよ」という聖書の教えにより、日本人に危害を加えることなく帰国させる命令を出したのです。まさに、聖書の教えにより、何万人にも上る軍人や市民の命が救われた訳です。さらに、日本に対しても、戦争の賠償を要求しませんでした。しかし、この後、蒋介石は共産軍に負けて、台湾に逃れるのです。

(3)この台湾の歴史を何気なく紐解くと、それはまさに涙の歴史でした。最初は、スペイン、次にオランダというヨーロッパ諸国に支配されます。その後、中国本土で「清」に敗北した「明」が台湾に逃れて上陸し、島を支配しました。しかし、案の定「清」が大陸から追撃してきて「明」を滅ぼし、明に代わって台湾を征服するのです。ところが、これで終わらず、今度は日清戦争がおこりました。そして「清」が日本に敗れ、戦勝国の日本が台湾統治を始めたのです。その期間は、韓国の46年間を超える50年間も続きます。

(4)さて、この日本が第二次世界大戦に敗れました。その結果、台湾の統治権は、中国に返されたのです。しかし、その後、中国本土で蒋介石が共産政府に敗れ、台湾に逃れて中華民国政府を継承し、現在に至っています。以上、台湾の歴史を振り返ると、外部から来た外国人・中国人による入れ替わり立ち代りの統治の繰り返しでした。そして、今なおこの台湾(島)は、中国本土(外部)と対立状況にあり、戦争の脅威にさらされています。

(5)ところで、不思議なことに、台湾は親日派が多いのです(反日は無いともいわれます)。私の神戸の友人クリスチャンの藩(バン)君たちも日本のファンで、乃木大将や日露戦争の話を誇らしげに語ってくれました。最近も、台湾において、日本の百貨店進出、新幹線の導入など、有難いほどの親日傾向です。私は一人のクリスチャンとして、台湾の存在を暖かく見つめたいと思っています。もっとも、これも私の好きな懐メロ(テレサテンの歌う)『何日君再来』のゆえでしょうか・・・

(6)もう一つ、台湾は治安が良いように思いました。家内と私が台北に行ったときのことです。私が、近くの温泉に行って脱衣場に入ったとき、「貴重品はどこで保管してくれるのか」と質問しますと、「脱衣入れのロッカーに鍵がついているから大丈夫」という返事でした。韓国でも日本でも、貴重品は脱衣場のロッカーではなく、カウンターに預けるか貴重品ロッカーに保管します。脱衣場のロッカーの中に衣服と一緒に貴重品を入れるという習慣から、倫理が高いと推測出来ます。

(7)家内も同じようなことを言っていました。駅の近くの食堂に入った時のことです。しばらくして家内が「手洗い」を尋ねると、「食堂の横の扉を出たところにある」というのです。それで、食堂横の扉から出ると、もう外に出てしまったといいます。家内が「もし悪い人なら、食事してから手洗いに行ってそのまま帰ってしまうのでは・・・」と心配していた。しかし、それがまかり通るのですから、倫理においては、韓国や日本よりは良いといえるでしょう。

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