カベナント・ケンブリッジ 日本人教会

韓国ソウル市冠岳区、冠岳警察署バス停前ケンブリッジハウス2F

牧師の日記と随想 その2

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日本宣教の歴史と伝道の課題
        
於 ホサナ教会
講師 三輪修男牧師(미와 노부오)
                     早稲田大学(理工)、神戸改革派神学校、
北米改革長老神学校、ミッドウエスト大学卒 DMin

    I 日本の文化の早分かり
(1) 日本人が良く使う言葉 
「ありがとうございます」    ⇔感謝する心
「すみません」         ⇔相手に迷惑をかけた心
「どうぞ」           ⇔相手に譲る心

(2) 日本人が好まない言葉
「早く、早く」(結果が第一)  ⇔“参加することに意義がある”
「大丈夫」(楽天主義)     ⇔悲観主義、“石橋をたたいて渡る”
「援助してください」(他力主義)⇔自力主義、“人事を尽くして天命をまつ”。

(3) 日本の集団主義の問題
農耕民族であった日本は、皆で一緒に農作業をし、助け合って生きる集団主義が作られた。仲良くしないのは、“村八分”となって社会では生きていけない。
聖徳太子時代に作られた17条の憲法(604年)で、日本の文化の基礎がつくられた。
第一条「和をもって尊しとなす。」仲良くするのが良い。
第二条「篤く三宝を敬え。」仏教を尊ぶこと。
第十七条 大切なことは皆が賛成すること。“赤信号、皆で渡れば怖くない”など。宗教も個人で考えられないで皆で考えるようになる。
ここから家族で一人だけ教会に行き、クリスチャンになるの、家族の和を壊すと考えられる。
それゆえ、伝道に一番良いのは、一人で自由に考えられる学生時代が良い。
(統一協会は、学生伝道で勢力を伸ばす)

II  日本人の宗教心と宗教
    
A 宗教心
(1) 文化庁の統計 神道9千万、仏教8千万、キリスト教120十万
(2) NHKの宗教意識調査 「信じる宗教がある」33%、        「ない」65%(米国人 あるは93%、ないは7%)
(3) 「神道は国の宗教、仏教は家の宗教、キリスト教は個人の宗教」と言う。

   B 日本の宗教

(1) 神道 
教祖や経典がない。
         ◎西行法師(11世紀)が伊勢神宮で詠んだ歌
「なにごとのおわしますかはしらねども、かたじけなさに、なみだこぼるる。」神社の雰囲気に感動する、感覚的宗教
              
◎一休禅師(15世紀)の詩。「分け上る、ふもとの道はおおけれど、同じ高嶺の月をみるかな」多神教の宗教。あなたも良い、私も良い。

国家政府が神道を利用して天皇中心の国家宗教にする
      1890年、明治政府は反キリスト教思想の「教育勅語」発令

      神道は国の宗教と言われるように、共同体意識を育てる手段となった。
      大は伊勢神宮、靖国神社から、小は村の神様などに神社が建てられて、一つの共同体意識を作るシンボルとなった。
富士山信仰
富士山は、日本で一番高い山で、高さ3776メートルで「み・な・ な・ろ」(皆、成ろう)と覚えている。
2013年6月に、世界遺産に上げられてから、日本人のみならず、 韓国人も富士山に登る人もふえています。静岡県にある空港に韓国から直接いけるそうです。私は、まだ上ったことがありません。
富士山の景観は円錐型で、どこから見ても端整で、裾野を広げる姿は  私たちに安心感を与えてくれます。

噴火を繰り返してきた富士山は、古から「神が宿る山」として畏れら れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社が建立されました。
平安時代後期には富士山は山岳信仰と密教などが習合した「修験道」の 場となり、その後修行僧や修験者が修行のひとつとして富士山に登るようになりました。

現在も、夏になると多くの登山者が、「御来光」を拝んだり、「お鉢め ぐり」をするために、富士山の山頂を目指します。
富士山の裾野に身延山があり、日蓮宗の総本山となっている。
日蓮は、日蓮宗(「南無妙法蓮華経」=題目=を唱える。)の開祖で、 現世主義をいう。1257年富士市で立正安国論を起草しました。これは、 政治、宗教のあるべき姿を当時の鎌倉幕府執権北条時頼に提出したものです。
これに対して、親鸞は、「浄土真宗」の開祖で、「南無阿弥陀仏」=念仏=を唱える。来世主義である。

(2)仏教  
6世紀に中国→韓国→日本に入る
日本では聖徳太子が国教とする。
 
当時、百済(韓国)から来たものは良いものであり、百済でないもの=くだらない=はよくなかった。
日本が仏教国になったのは、伝えた韓国の責任でもある。それゆえ、日本がキリスト教国なるために、韓国からキリストを日本に伝える使命がある。

徳川時代に仏教が日本人の心を支配、
仏教がキリスト教禁教の教えを起草した。
「寺請け制度」(てらうけせいど)=一人一人が寺に所属することを証明した檀家制度(だんかせいど)。
 「5人組み」=5人で互いにキリスト信者にならない制度
◎この結果 「日本人は、心を開かない。秘密が多い?と言われる」
 ◎日本人は、「韓国人は、はっきりとものを言うので、恐ろしい」


(3)キリスト教 
16世紀 ザビエルがキリスト教を伝える。
キリシタン全盛期1600年、70〜80万人(人口の3、75%)のクリスチャンが日本にいた(現在1%未満)。
明治時代と敗戦後の2回にわたり、キリスト教ブームがあった。しかし、武士 社会やサラリーマンと学生などの知識層の宗教となり、土着化しなかっ た。
(創価学会は、折伏と言う簡単な儀式で入信者を集める)

個人の救い中心となり、家族や国家を救う民族宗教になれなかった。
(旧約聖書をみるとキリスト教は、国家を救う宗教といえる。)

III  日本の教会の謝罪と伝道活動

(1)使徒1:8「「あなた方は、力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリや、および地の果てにまで、私の証人となります。」(使徒1:8)

カルバンの解釈は、エルサレム⇒ユダヤとサマリヤ⇒地の果てまでとある。「ユダヤとサマリヤ」を結び付けているのが大切。福音は、敵対していた二つの国を結びつけながら伝道すること。韓国と日本は、過去のわだかまりを捨てて、一緒に伝道する国同士であり、伝道する場所になる。日本を飛ばしてする海外宣教は聖書の教えではない。

(2)韓国の牧師の話で、「植民地時代、韓国は地上のあらゆる助けが日本に奪われた。それは、韓国人の信仰には良いことでもあった。なぜなら、韓国人は、天の父なる神にだけに祈る信仰を養ったのである。」

(3)十戒の第二戒(出エジプト20:5)、「父の咎を子に報い、三代、4代にまで及ぼし・・・」日本は、第二次世界大戦中、国を挙げて天皇を神とし、神社参拝を行ないキリスト教を弾圧した。その結果、神の報いは第2代、3代、4代まで続く。現在も神ののろいは続いている。

(4)神社参拝に反対した朱基徹牧師は、日本の政府の命令に抵抗した。そして、日本キリスト教団は、1938年、総会長の富田牧師(とみた)を平壌に似派遣して、山亭峴教会で、「神社参拝は日本の儀式であり、偶像礼拝ではないと説得し、韓国教会を迫害した。」それにより、韓国教会の分裂につながった。日本の教会は、韓国教会にも大きな罪を犯した。

後年、朱基徹牧師のいた山亭峴教会で信仰をもった金相福牧師は、戦後韓国のハレルヤ教会の牧師となった。方や、富田牧師の卒業した神戸神学校の後輩である三輪修男牧師は、同じくハレルヤ教会の日本語礼拝牧師として、ともに共に同じ教会で奉仕できた。

(5)三輪牧師は、ソウルでカベナントチャペル日本人教会の開拓をしている。それは、かつて、日本の教会の代表である富田牧師が韓国で犯した罪に対して、謝罪のしるしとして、日本人教会を建て、神と韓国にたいしてお詫びをする目的である。

(6)日本の伝道の提言
◎岡田稔(おかだみのる、神戸改革派神学校初代校長)の言葉
「日本人の土地を十分に掘り起こして、福音をしっかりと移植するまでは、福音は日本人には育たない。」 
◎隅谷三喜男(すみやみきお)の提言
1、  教会の説教は、求道者を念頭に置く
2、  伝道にむけた教会の体制つくり

◎学生伝道
◎家庭伝道
◎聖書研究会

IV 結論
乗松 雅休(のりまつ まさやす)1900年代、彼は日本の教会が派遣した最初の海外宣教師となった。彼が選んだ宣教地は韓国水源であった。日本人教会が最初に宣教師を送ったのは韓国である。韓国教会は、昔から日本の教会に愛された教会である。


 

オリンピックの結果について考える

平昌オリンピックが開催された。各国から選手が集まり、その技術と力を競い合う。日本選手も、オリンピック前から、練習と準備をかさね、晴れの舞台で活躍しているとおもう。

しかし、日本選手は、金メダルを期待された選手がその実力を発揮できずに、銀や銅でおわり、あるいは入賞を逸するケースがしばしばある。決して、金でなければ成らないというのではない。選手が全力をかけて競争にのぞみ、やむなく銀や銅になって終わったケースがある。それを、金でなければならないというのは、酷いであろう。一昔前にあった、金メダルで優勝と言う重荷を背負い、必死の特攻隊のように出かけて行けとは言わない。しかし、日本選手を見ていると、そのような気持ちはほとんどない。そして、期待に反して高位入賞、わけても最高の金メダルを取り損ねるケースが多いような気がする。また、それを取り損ねた悔しさと言うものが、韓国選手にくらべて、薄いと感じられる。

たとえば、ボクシングの場合、敗れた選手が、コーナーでうずくまり、審判に抗議するという風景がみられた。その抗議は、許された範囲の抗議であることを願うが、そんな時、悔しさも抗議もなく、ただ、あっさりとリングを去っていく日本選手をみていると、試合に臨む気迫が薄いのではないか。きれいに試合を終えることが大切であっても、残念な気持ち、負けて落胆する気持ちが、日本の選手には希薄のようである。銀や銅でも、また、たとえ入賞しか出来なかったというのにも、何の悔しさもみせない。出場できたことで喜びに浸っている写真が載っている。そんな姿をTVやインターネットで見ている、我々のほうが悔しさがこみ上げてくる。

以前、民主党が政権をとったとき、蓮舫代表が科学技術者が、是非世界一位になって技術の向上を目指したいので、予算を計上したとき、「一位でなければ駄目なのですか」と質問し、それほど予算を上げなくてもよいのでは、と疑問を呈したのである。これには、応答する技術部門の方が返答に困っていた。誰でも一位を目指して、勉強し、能力に励み、それなりの予算の計上も期待している。だれも、最初から2位、3位で良いと、励むだけの人はいない。その人は、結局、2位3位どころか、競争社会から消えてしまうであろう。それゆえ、1位だけが良いのではないが、「1位を目指して励まねばならない」というのは、この社会の常識であろう。蓮舫さん自身も、そんな気持ちでがんばって来られたはずであろう。第一、民主党も第一党を目指して選挙に臨んだはずであり、最初から野党でも良いという気持ちではなかったはずである。そのような楽な気持ちでは、政治・経済の世界では生き残れない。

オリンピックは、世界の優秀な選手が、スポーツを通して技術と技能を競う場である。そして、その結果が、金銀銅などの順位に繋がってくる。その場合、やはり、精神力や頑張りが問題になろう。技術は、世界トップクラスであるが、いざ競技となると、とたんにその実力が発揮できないケースが日本の選手には多いのではなかろうか。勿論、1位になれなかった人を卑しめたり、一位になれなかったら、選手失格というのではない。「それならお前やってみろ」と言われたら、何も出来ないのである。しかし、選手として選ばれたら、最高のオリンピックに、最高の賞を取ることに貪欲であってもよいのではないだろうか。世界一位を目指すに相応しい、飽くなき競争心があっても良いと思う。

マスコミも順位にこだわらない風潮がある。「選手が良くやった」とか、「次のオリンピックを目指して」という風に、金を取れなかったことの反省や悔しさがなく、立派に戦ったとだけを言う。沢山のお金を費やして出たオリンピックである。そのための、犠牲も多かったはずである。さらに、金をとることを目指してがんばったはずである。そうならば、それが取れなかったことの悔しさや、期待はずれの結果が、もっと心と態度に表れても良いのではないか。

金が取れなかった悔しさに、「いや銀がいくつ銅がいくつと」、金と匹敵しているメダルがあるという議論は、負け犬の遠吠えのような気がする。ノーベル賞で立派な賞をいくつも取れたように、金メダル7、8個とれば、あっさりこんな議論は終わりになるはずであろう。

もし、オリンピックという「お祭り」に参加した程度の気持ちであれば、支払われたばくだいな周辺の犠牲と本国の期待感がもったいない気がする。
 

「90歳の現役俳優」

日曜日の夜、「90歳の現役俳優」というTV番組をみた。それは、一人の脇役と言えるかどうか知れない(主役ではない年老いた)俳優の現実であった。若いときは、それでも有名な俳優と一緒に活躍していたが、今年90歳になって、俳優の命であるセリフを覚えられない不安が出てきた。

そのイライラを、娘さんがドキュメンタリで記録して我々に映し出している。それは、お父さんでもある俳優の老いの事実と、俳優として何とか頑張ろうとする姿の葛藤を、あからさまに映し出していた。娘さんだから家の中を生で撮影していたので興味深かった。

その老いた俳優は、一度は長いセリフがはいった演技の配役を引き受けたが、撮影4日前に自分の役目を放棄して、やはり自分にはセリフを覚えて言うのは無理だと、やむなく電話で断った。それも、セリフの内容が嫌いだからと誤解を与えないように、奥さんにたのみ、奥さんが電話でその説明をするように頼むと言う気の配りようである。

やはり、長い人生で俳優と言う仕事をしてきたからには、一度引き受けた仕事は最後まで綺麗にしなければ、という心の焦りがあったのであろう。

しばらくして、90歳の誕生日を迎えることしになるが、突然、比較的セリフを覚えなくてもよい年寄りの向きの役割がやってきた。石坂浩二という名俳優も出てくる映画の一こまの中である。[これなら自分でも出来るゾ]とおもって引き受け、必死でセリフに取り組んだのである。その間、常に台本を手元に置いて確認し、夜中に目が覚めてはセリフの確認をし、また、当日はまだ明けやらぬ早朝におきて、迎えの車が来るのをまだかまだかと待つことになる。

こうして、その映画の演技は、周辺の人々の努力もあって、無事に済ませたようである。そして、映画の最後の場面は、老人となった夫妻が、海岸で海を眺める場面で終わったのである。その映画の撮影を、無事撮り終わったあと、その老俳優の言葉が、良かった。「さあ、次の仕事が楽しみだな。」安堵の気持ちから出たのである。

「もういいよ。年も年だからしまいにしようか」という寂しい声が聞こえないでもない中、やり終えたという満足感がその言葉を言わせたようである。

私は、牧師としていつまで仕事が出来るか知れない。それは、神様が判断してくださる。その辞めるときにはその判断の時期を間違わないようにしたい。

8月の入院

今年は、8月に一週間の入院生活をした。ソウルの入院なので不自由なことがでるのではと思ったが、心配はなかった。

まず、入院の原因は足に針を打つ治療をしていたのだが、その部分からばい菌が入ったのである。普通、針を終われば消毒するのだが、その時はあまりに消毒が簡単で、脱脂綿もアルコールが含んでおらず乾いていた。看護婦に脱脂綿を追加して、消毒をたのんだが、結局一週間してそこがはれてきたのである。先生は病院に行って抗生物質をもらって飲みなさい、とアドバイスをしてくれた。その時の消毒も、結局簡単でアルコールを十分に含ませてくれなかった。看護婦が新任で、患部の消毒の大切さを十分に知らなかったのである。

ともかく、その夜、病院にいくと「即入院」ということであった。治療としては、リンゲルと注射をして足に入ったばい菌を除くことだけであった。

入院生活をして、ただ寝ているので考えることが多かった。

韓国にきて約30年、無事にここまで怪我なく病気なくこれたのは奇跡であった。経済的にも支えられてオンヌリ教会、ハレルヤ教会で奉仕が与えられた。そして、カベナントチャペル日本人教会の開拓につながった。そして、今年で23年目である。

家族をみると、小学校1年生だった息子も、米国に留学しパーデユー大学で博士号をとれた。そして、2012年い北大工学部に就職ができた。そして、祈っていたがこの春は寛子姉と出会い、結婚して夫婦で大学で働いている。何も不自由なく生活が出来るのはありがたい。

こうした数々の感謝を思い浮かべることが出来た。

次に、この韓国生活が続けられたのは、神の不思議な恵みに他ならない。日本からわざわざ私たちを呼んで開浦洞にアパートを借りてくれた長老がいた。そして、まだ珍しい日本語礼拝を始めることが出来たのである。さらに、ハンナ会の皆様をはじめ、多くの韓国人クリスチャンの愛と親切をうけてきたのである。

さらに、白石文化大学の金純三牧師から大学で働いてみないかと電話があり、そこで仕事が20年近くつづけられた。また、家内も一緒に専任講師として働くことが出来た。これで経済的な基盤が出来たのである。

アパートは、転々と引越しをしたが、その間IMFがあり、安くて家を購入できた。これにより、家の安定ができて落ち着いて伝道生活、教会生活が続けられた。

こうして、神の恵みを受け、韓国人の方々の愛をうけた今、もう大丈夫、年をとったので日本に帰ります、とは思えない。ここまで導いてくれた神の御心があり、今後、その御心を果たすのが私の務めであると思うのである。

以上のように、8月の入院生活は、過去の韓国での生活を振り返り、これからのことを考えるよい機会になったといえる。これをもう少しまとめて、いつか記録に残したい。

ノーベル賞をもらうのが韓国の彼岸である。日本では24名が受賞の栄誉をうけた。

毎年思うのであるが、韓国は何でも一番、一極集中主義がある。大学はソウル大学、企業はサムスンなど。そして、二位、三位のグループは余り評価されていない。

しかし、日本は、東京大学を頂点としているが、それでも、京都大学、名古屋大学、東京工業大学など、各種の分野で傑出した大学がある。それにともなって、大学も個人も、自分の個性にあった研究を、ひたすら続ける風潮がある。

一方、韓国では、人気のある研究に人々が集中し、それだけ幅広い、特殊の分野の研究は手薄になる。また、基礎研究よりも、直ぐに評価される応用分野の研究が盛んである。

ノーベル賞で受賞した研究者は、応用分野の研究より、基礎分野の研究が多いようである。それだけ、韓国人にとっては苦手な分野であり、遅れている領域といえる。

先週は、「賜物を生かそう」という説教をした。神は、人間に、5タラント、2タラント、1タラントと別々の賜物を与えている。人間は神が与えた自分の賜物を活用すれば、どんな分野でも神から誉められるというのである。他人をみて、自分の受けた賜物が劣るとか、秀でているといって、自分の賜物を活用しないのは悪い。

伝道を例にとって言えば、多くの人々に伝道して、大教会を形成した教会がある。自分も大教会を立てたいと、励むのは良いのであるが、大教会でなければ成功しないと考えるのは、神の考えではない。各人に与えられた賜物を考えて、賜物にしたがって励めばよいだけである。

時には一生涯かけて小教会を形成して牧会するのも、忠実な牧師の働きであり、それは、主がほめてくださるのである。みなが、大教会の牧師である必要はないし、そうであってはならないと思う。

また、ハドソンテーラーのような中国伝道に励んだ宣教師がいる。マザーテレサのように貧しい生活をしながら、イエスを伝えたひともいる。ヨイド純福音教会を立てた趙牧師、永楽教会を立てた韓景職牧師もいる。さまざまな牧師がいてよいのである。朱基徹牧師のように殉教者となった牧師もいる。みなが、同じように貧しいところで伝道し、迫害を受けなければならない必要は無い。

日本の教会でも、私が卒業した神戸改革派神学校の卒業生でもいろいろの分野で活躍した牧師がいる。富田満牧師は、戦時中、当時の日本キリスト教団の統理になり、天皇陛下に謁見した。また、平穣にでむいて、日本の教会の考え方を朝鮮の牧師達に説得した。また、岡田稔牧師は、著書神学概論でもわかるように、改革派教会の牧師に、神学と哲学を綿密に論述して功績をなした。さらに、賀川豊彦牧師は、新川という貧民街にでむいて、貧しい人々に福音を伝えた。

キリスト教は、どの牧師のスタイルが正しいというものではない。牧師の賜物に従って福音を伝えることと教会を形成することが、神の御心であると信じる。賀川豊彦牧師は、この世的には恵まれなかったが、ノーベル賞の候補にも上がっていたと聞いている。各自、自分の生き方で福音を伝えるべきなのである。

ここソウルでも、いろいろな牧師がいる。各牧師は自分のスタイルと賜物を見出して、自分流の伝道と牧会に励んでいる。その働きを主が祝福して、立派な伝道ができるように、教会がサポートしてくれるように祈る。

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