カベナント・ケンブリッジ 日本人教会

韓国ソウル市冠岳区、冠岳警察署バス停前ケンブリッジハウス2F

牧師の日記と随想 その2

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韓国人と手洗い

最近、新型インフルエンザが流行し、学校や教会など、沢山の人々が集まる施設に入る前には入り口で手を消毒するようになった。また、小学校でも手洗いの習慣をつけるように子供たちに教えているという。


ソウルにある有名大学の米国人女性教授がこんなことを私に言っていた。「ミスターみわ!私は韓国の男性とは握手しないことにしている。トイレにいっても手を洗わないから!」ウワーッ、こんなことまで知っているとは!

おそらく同じ米国人の男性教授から内緒の話として教えてもらったのであろう。彼女は、何でもずけずけ言う人で、いろんなところで韓国人に煙たがられている人でも有名である。でも、その言葉にうそは無く韓国の人々の為にという気持ちで言うのだから、私は彼女に一目置いている。

実は、韓国で生活して気がついたのは、韓国人男性でハンカチを持っているひとをあまり見かけないことである。手洗いの習慣が無いからであろう。トイレの後も手を洗わずにそのまま出るのが普通である。ショッキングだったのは、(個室で)水をジャーっと流してドアを開けて出てきた人が、手を洗わずにそのまますっと外に出ていくのである。これには驚いた。

もっとショックだったのは、複数の日本人女性から聞いたのだが、「韓国人の女性もトイレで手を洗わない」という。おそらく、そういう人が多いのであろう。この話を聞いて以後、女性とも握手するのが恐ろしくなった。

手洗いで流行性の病気が予防できるという。ユダヤ人は宗教的理由で市場から帰ったら必ず、清めの儀式で手を洗った。それで、昔ヨーロッパで疫病が流行したときユダヤ人の死亡者が少なかったと何かで読んだ。

最近、ソウルの地下鉄のトイレはホテル並に見違えるほど綺麗になった。しかし、マナーもホテル並みになってほしい。インフルエンザで韓国にも手洗いの習慣が定着するなら、これもよかったと思う。

先週の礼拝後、皆さんに、私が勤務する大学からいただいた感謝牌を見ていただきました。

この碑は、先日、大学の講堂で、総長から私へ授与されたものです。思ってもみなかったことで恐縮しました。でも、一応、(定年まで)走るべき行程を走ることができた、という感謝と区切りの気持ちになりました。


また、今日の大学の新聞でも、授与された時の写真と私へのインタビューの記事が載っており、すこし恥ずかしかったです。

パウロは、「賞を受けられる様に走りなさい」(Iコリント9:24)といいました。それは、信仰だけではなく、スポーツにも、仕事にも、学業にも、人生全てに通じることです。何事でも「賞を受けるように」熱心にすることは、信仰者の心得だと思います。


「人生劇場」(尾崎士郎)という歌がありますが、その中で「やると思えば、どこまでやるさ・・・」という歌詞があります。私の学生時代、良くこの歌を歌ったものです。

勿論、賞を得られるのは、自分の努力だけではできません。いろいろな人々の助けが必要です。また、努力しても賞を得られなかった場合もあります。この世では、むしろそのように、賞を得られないことのほうが多いかもしれません。

それゆえ、賞を受けたかどうかで判断すべきではありません。ただいえることは、やり始めたら最後まで、賞を得るようにやりぬく心構え、姿勢が大切だと思います。

あるノーベル賞をうけた学者が、子供に対して、「何をしてもよい。しかし、やり始めたら最後までしなさい」といったといいます。これは、やり始めたら、中途半端ではなく、賞を得られるように最後までする、という意味です。一つのことをやり終えるなら、しなかった他の事をやり終えたのと共通の真理を得ることができるものです。

与えられた一つ一つの仕事を最後までやりながら、人生を走りぬきたいものです。

韓国に来て20年以上になり、その間、この国のキムチパワーといわれるエネルギーに圧倒されてきた。スポーツの躍進を初め、韓流と呼ばれる文化活動の広まり、貿易、建設、造船、電気、機械等のビジネス界への飛躍、そして国際政治社会への進出などその発展は著しい。

また、町の雰囲気と市民生活についても、昔と比較すれば別世界の感がする。ソウルなど大都市では、この20年で韓国の匂いがあっという間に姿を消した。スターバックス等のコーヒーショップ、Eマート、COSTCOなどのスーパーが、竹の子のように乱立するようになった。日本の大都会と変わらない変化である。そして、町の人々もその変化に何の違和感もなくついていっているのが不思議である。

しかし、こちらで日常生活をする我々にとって、街中での商売や商業取引等における未熟さに失望することがたびたびある。


(1)例えばつい最近のことを述べると、この数年で韓国も宅配が急成長し便利になって頻繁に使われている。しかし、先日、友人から「秋夕(日本の中秋)の贈り物を送った」という知らせが来たのに、何日たっても配達されない。それで、そのむねを友人に連絡して、宅配の会社に調査を頼むことになった。すると、1週間もたっているのに内部の手落ちでまだ送っていなかった、という返事だったのである。

(2)さらに、危なかったのは「書留郵便」である。大切な家の書類を書留で受け取るのを待っていた。書留は受取人がサインをして、確実に相手に届けられるシステムのはずである。もし受取人が不在の場合は、マンションやアパートの管理人が、代理で預かってくれる。しかし、昨日送られ書留が、今日届くはずなのにまだこない。それでマンション玄関の郵便箱を見に行くと、受け取り口に封筒の上部らしき紙がぺロット覗いているではないか。箱のふたを開けて取り出すと、なんと待っていた書留があった。これには肝を冷やした。

早速、近くの郵便局に行って事情を伝えると、それはいけないと、職員が本局に電話をしてくれた。そして、配達した担当者に代わってもらい、どうしてそうなったのか説明を聞く。すると「すみません」という返事であった。重大な失敗、危険なことをしたという意識がない。人間なので、過ちもあるさということなのか。

当日、私たちは家にずっといたので、「不在でした」という言い訳はできない。家にいたからこそ、郵便箱の中から書留をかろうじて受け取ることができたのである。もし、私たちが不在でもし、そこを行きかう他人が、ヒョイと封筒を持っていったらどうなっていたかと思うと、背筋が寒くなる。さらに、あの郵便配達人が、書留には絶対必要な本人の受け取りサインをどのように書いたのか、いまだに不可解である。


電話が終わって、郵便局で一言文句を言って出るとき、窓口の女性が私に挨拶の声を掛けた。「紛失しなくてよかったですね〜」この女性も書留の重大性を知らず、落し物が見つかった程度の事件として受け止めているので、話が通じない。

勿論、問題を大きくして「本局に申し立てて、説明を聞き、処罰してもらう」という気持ちは、もうとうない。配達人が困るのはかわいそうである。しかし、局員や担当者が、もう少し平身低頭で冷や汗でも流して反省してくれても良かったのに、と思う。今後、書留も信用できない。

(3)また、このようなことがあった。教会の案内書を印刷してもらうために某印刷会社にEメイルで原稿を送り、また電話して依頼する。電話を受けた女子社員には、原稿は送ったのでそれを印刷をするように頼むと、「担当者に牧師先生から電話があったことを連絡しておききます・・」という返事であった。難しい仕事ではない。同じ係りの者ならどのように仕事を進めたらいいのか承知のはずである。だのに、私から電話があったことだけを担当者に伝えるという。肩透かしを食った感じである。

それで待つが、待っても待ってもなかなかその担当者から返事がない。それで翌日、再び電話すると、同じ女子社員が電話口にでて来た。今度は、「担当者が食事中なので、食事から帰ったら、『お客様から電話があった』と伝えます」という。今回もそうである。仕事が進まない。別の会社の社員が返事しているようである。もう、印刷を頼む気がなくなった。でも、昼休みが終わるまで担当者が帰るのを待つことにした。

しかし、昼休みが過ぎ、3時になっても電話がない。長い昼食なのだろうか?別のお客がいるのだろうか?・・・・。こうして、最大の配慮をして待ち続けた。でもない。それで、謙遜にも、もう一度電話するとまた同じ女子社員が出た。彼女が言うのに、「今、担当者が他の電話で話をしているので、代わるからチョッと待ってください」という返事である。また、しばらくそのまま待つ。同じ会社の社員なのに、何回も待ち続けたお客へのお詫びの一言もない。

とにかく、社員の一体感やチームワークが乏しい。上司から命じられた仕事はするが、同じ係りの仕事でも、「これは他人の担当」となるならタッチしない、縦割りである。

お客からの注文を一つの会社組織で引き受けるという指揮系統ができていない。日本の会社のように、「○○は、今留守ですが、どのようなご用件でしょうか。お伝えしておきます」と、客への当然のサービスと対応の教育がみられない。

結局、設備、施設、機械、建物のハードな面は近代化されたが、(中小企業についていうと)それを動かす人間の側の教育や会社人としてのマナーというソフト面がまだまだである。自分の会社の仕事であっても、他の担当であれば、自分は無関係なのである。

勿論、会社の内部に役割があり仕事の分担もあるのはわかる。しかし、お客はそんな会社の内部事情や分担まで知って、仕事を頼むのではない。その会社に仕事を頼んでいるのである。それゆえ、担当ではないからといって、会社の仕事に無関心なのはいただけない。


電話の取り次ぎを頼む場合も同じである。電話口に出た最初の人に、用件は何かと言われるので用件を説明する。すると、別の担当者の仕事だからそこに電話をまわすという。まわしてくれたのは親切だが、全然用件の伝達をしてくれていない。それで、もう一度用件を最初から説明し直さなければならない。


とにかく、日本では当たり前のサービスも、ここではそうでないので驚いたり、緊張したり、あわてたりする。このことが分かっているので、仕事では、つい念には念を入れ、実物を手にするまで安心できない習慣が身についた。

大通りを車で運転していても、横道から何の迷いもなくすっと進入して私の前に割り込む車もある。しかも、ごく当然という態度で。それで、いつしか、前方横に車を見ると、割り込むなという意味のクラクションを鳴らすのが癖になった。

ある時、韓国の町を眺めていた一人の日本の旅行者が立ち止まって、ふとつぶやいていた。「これ、常識では考えられないことだな・・。」

こんな緊張とショックに耐えられず、失望した日本人は、あきらめて早く日本に帰ってしまう。こんな中、私が今日まで韓国におられたのは、このようなアット驚くハプニングにも、「まあ、まあ、いいじゃないか・・」という“寛容な心”で受け入れてきたからだと思う。

ここに住みながら、広い、柔軟な心を養ってもらったのである。ある人がそんな私に言う。「それができるのがB型の特徴ですね。」そうなのかもしれない。

(続く)

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横浜海岸教会の正面にたっている教会案内です。1872年と書かれています。日本宣教が始まり13年後のことです。

宣教師と当時の信徒の皆様は地上にはいませんが、教会堂とこの案内板を見ると、彼らの信仰が浮かびあがってくるようです。

横浜海岸教会

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バラ宣教師が設立した日本最初のプロテスタント教会、横浜海岸教会の全景


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