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詩篇25:4「主よ。あなたの道を私にしらせ、あなたの小道を私に教えてください」
(1)すでに、デボーション(個人礼拝。最近はQTと呼ばれています)用に何種類かの小冊子やテキストが発行されています。それに新しく追加するつもりはありませんが、カベナントチャペルの皆様に、牧師として御言葉を分かち合うことにより心を一つにする助けになればと、御言葉から学んだことや感想をお伝えしたいと思います。
(2)今日の言葉は、「あなたの小道」です。主が私たちに歩ませる道を、「広い大道」ではなく「小道」と呼んでいます。それは、多くの人々が出かける人気のある道ではなく、窮屈で少数の人が行く道という意味でしょう。イエスも「狭い門から入りなさい。・・・・命にいたる門は小さい」(マタイ7:13−14)と教えられました。勿論、多数が悪くて、少数が良いというのではありません。ただ、外見により、評判により、人間的判断で自分の道を定めるのではなく、考えて行動することでしょう。
(3)また、「広い道」は、すぐに発見できますが、「小道」は、探さねばなりません。それと同様に、主が準備している道は、簡単に結論を出せず、探したり考えたりする努力の中で見出せます。イエスも「それを見出すものはまれです」(同上)と努力がともなうことを教えています。
(4)しかし、「小道がある」というのは、感謝なことです。時には、失敗し、失望し、「道はない」と見える時もあります。「もう終わった」とあきらめたくなることもあるでしょう。しかし、主が「小道」を用意しているのです。それで、最後まで、放棄せず、道を探す努力ができます。
(5)詩篇は、「主よ。あなたの道を私に、知らせ、・・・・教えてください」と願っています。私たちは道を求め、探し、叩いているなら、その過程で、主の方から道を「知らせ、教えてくれる」のです。私たちが、道を切り開くのではないのです。主が道を準備し、そこに導いてくださいます。愚かで、無知な私でも良いのです。祈り続けなら、主を待ち続ける私たちの方に、道が見えるときが来るのです。
(6)カベナントチャペルも、この10年の間何度もこういう経験をしました。小さく、お金もなく、頼れる力も無い教会です。時々「まだ、あそこで礼拝を続けていますか?」と、驚かれることもあります。確かに、韓国において、日本人の手により教会形成をするというのは茨の「小道」でしょう。しかし、教会を立てることを一番喜んでくださるのは神様です。「あなたがたのことを思うときに、・・・喜びをもって祈り」(ピリピ1:3、4)。パウロの口を通して、神が喜んでおられると言っています。私たちは、現在どういう姿をしていても、ただ御言葉にしたがって教会に集い、神を賛美し、祈り、主の働きに仕えていれば良いのだと思います。主イエスご自身が、「私が、教会を建てます」と保障してくださっています。
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