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またひとつ習い事が増えた。
趣味の範囲でやっている料理も含めれば
4個かけもちということになる。
そろそろ貯金も尽きてきたので
これが最後のような気もする。
この中のどれかを仕事にするかもしれないし
教養で終わることになるかもしれない。
後者だと、なんだかお金がもったいないような
気がしてしまっていたのだけど、
こんなに好き勝手できるのは今だけかもしれないので
まあいいじゃないと思うことにする。
そのかわり、お金をかけて学んだことは
絶対に無駄にしないように生きようと思う。
ネイルのほうは、試験を受けることにした。
せっかく学んでいるので、自宅サロンを開けるレベルにはなりたい。
その4つの習い事のジャンルがバラバラで一貫性がないので
周りの人には「一体、何を目指してるの?」と言われたりする。
よくわからない。
やってみたいなと思ったことをやることにしている。
でも「やるからにはきちんと」と思いすぎてしまうのがよくない癖で
やってみたら実はそこまででもなかったのだけど
なんか負けたみたいか気がして嫌だ、と思う。
前の会社でも、仕事はきちんとやっていたことと
気になる点はかなり質問したりしていたことから
どちらかといえば「やる気がある」部類に見られていたらしい。
だから辞めることになったときは各方面からかなり驚かれた。
実際、本当に心を開いてる人にしか、マイナスなことは言っていなかった。
「あいつは鍛えがいがある」と、とある役職者の人が
言っていたという話をあとから聞いた。
事業部長も「あいつは馬力がある」と評価してくれていたみたいで
なんだかより一層申し訳ない気持ちになったのを覚えている。
でも最近になってようやくわかったけれど、
他の人のいう「やる気がある」と
私の基準での「やる気がある」は、たぶんズレていた。
やれと言われた仕事をやるのなんて当たり前で
気になったことは納得いくまで聞くのも当たり前。
私が納得いっていなかったのはモチベーションの部分。
「こんなことやりたくないのに」「意味ないのに」「興味ないのに」
「明らかにこれが課題なんだけど、これを指摘したらさらに仕事が乗ってくるから気づかないふりしておこう」
自分はもっと主体的に前向きに取り組める人間だと思ってた。
でも実際はそうではなかった。
そうではなかったことが悲しかった。
でもそういうことを言うと、たいてい「真面目すぎる」と言われ
「みんなそういう気持ちに折り合いをつけてやっている」
「仕事を本当に楽しいと思ってる人なんていないよ」
と言われる。
結局みんな同じらしい。
私も結婚してなかったら辞めなかったと思う。
辞めるときには、ほとんどの人が応援してくれた。
ひとりだけ、
「自分を変えようと努力していましたか?」
「楽しもうと努力していましたか?」
と言ってきた年配の人がいた。
あのときは、かなりムッとしてしまったけど、
あの言葉は正しかったと思う。
当時は前向きなことなんて何も考えられなかったし
すべては環境のせいで、環境を変えるしかないと思っていた。
あのままいっていたらおかしくなっていたから
環境を変えてよかったと今でも思うし、
何度あのときに戻っても同じ判断をしていたと思う。
だからまったく後悔はしていない。
これからも、この判断を後悔しないように
生きていこうと思う。
でも、最近になってようやく
「もし自分でも意識の持ち方を変えられていれば、
あそこまでひどい精神状態にはならなかったのかもしれない」
と、思えるようになってきた。
自分で自分の意識を変えられなかったことが
私の能力の限界だったんだと思う。
次に働くときには、もう少し自分の精神をコントロールしたい。
これからの私の課題です。
修行しよう。山登りでもしようかな。(そこ!?)
そういえば、在職時、私のストレスの一因となった「ものすごく使えない人」は、
去年の人事で、人材の墓場と言われるところに左遷されたらしい。
会社が気づいてくれたことが、せめてもの救い。
上司に訴え続けた甲斐があったのかも。
さて、洗濯物を干します。
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まぁ、正解の人は居ないのですから、色々自分でやってみれば良いのかなと思います。
普通の事が出来ない人が多くなってる中、良い考えだと思い読んでます。
でも、普通だと思ってる事も本当に普通なのかとか考える時があります。
日々考えていくのでしょうね。
2012/2/9(木) 午後 4:44
ありがとうございます。
普通の定義もバックグラウンドや年代によって様々ですよね、きっと。だからよくわからなくて、だから面白いのかもしれないですけど。
日々考えていくのでしょうね。
2012/2/10(金) 午前 0:33