ひとり旅の終章を書かなければと思いながら
2週間近くが経ってしまいました


前夜の昭和レトロ国民宿舎で楽しみにしていた
海が見える露天風呂は
夜に入ったので
月明かりも 漁火もない 海らしき暗黒が広がるだけでした‥



神戸の震災の後も 
『全国の皆さん お願いだから 神戸に遊びに来てお金を使って』 と
切実に思ったこともあり
 
慰霊と 私なりのささやかな被災地支援をと考えての旅も
被災地としてはだいたい最後の 岩手県野田村の十府が浦

震災前はハマナスの咲くいい感じの海水浴場の近くが
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今は 海の見えない 綺麗な公園に‥
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海の代わりに目に入るのは 延々と続く防波堤(⇅の写真奥の白っぽい灰色がそう)
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反対側を見ると
津波避難ビル(多分 右手奥のオレンジ色の建物)がある 新しい街
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あの有名だった田老の巨大な防潮堤も(30年前には真下から見上げました)
津波は苦もなく乗り越え 破壊したことを考えても

莫大な建築費をかけた長大な防波堤より
避難ビルをいくつも造る方が安上がりだし
海も見えるし
良かったんじゃないのかなぁと
お節介主婦としては 考えるのですが‥



そして 三陸海岸とは
朝ドラの「あまちゃん」のロケ地の 久慈の小袖海女センターでお別れ

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ここでも 中に居た二人の女性(海女さん?)と
椅子まで勧められて しばらくお喋り
震災で全壊→再建した後も
台風で浸水被害にあったり
何度も大変な思いをされたそう





この旅で初めての青空の下 景色のいい海岸道路から
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内陸へ入り
やっぱり夫との思い出の地 十和田湖へ向かいました


八戸自動車道と東北自動車道を使えば わりと簡単

56年前と 30年前と 3度目の十和田湖です
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紅葉で有名な 十和田湖と奥入瀬渓流ですが
紅葉の時期には少し早すぎる 30年前と同じ10月初めに訪れたのは
奥入瀬の 木々の葉が陽の光に透け
新緑のような森と渓流の中に 身を置きたかったのです

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   大雨の後で 水量が豊富です

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期待通りでした

『秋なのに まるで新緑だね〜! きれい〜!』
運転する夫に思わず語りかけた あの時の自分の言葉と
『ほんとだね』と頷く 夫の優しい横顔が
ありありと蘇りました






最後の宿は 少しだけ贅沢に
と言っても 宿泊料はそれほどでもないのですが‥

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湖まで続く広大な庭園のある 十和田湖プリンスホテル

「女性ひとり旅プラン」なのに 落ち着いた 広いツインの部屋
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調度品も ちょっとゴージャス


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出窓には
コーヒー豆と
ミルと
ドリッパー

うれし〜






食事は ちゃんとしたフランス料理  味もいい
サービスも行き届いている

心残りは せっかくのヒメマスが
ソースの中に紛れ込み 味がわからなかったこと

52年前の支笏湖で
アイヌ語でチップと呼ばれる ヒメマス(刺身)を初めて食べて
その美味しさに感激

30年前は
ご主人が十和田湖で漁をしている民宿で食べた 焼ヒメマスにも
夫婦で大感激
今回も期待したけど 残念でした



でも長い人生の 今まで泊まった多くの宿の中でも
多分最高 (大抵は 低めコスパで選んで来たので‥)


冬季は閉鎖になるみたいだが
連泊で また来たいな〜〜
恐らく無理でしょうが‥



仙台に向かう東北道から
この日が初冠雪の 岩木山が見えました!
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この山も もう一度逢いたいと 焦がれていたお山


そして
杜の都「仙台」
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仙台空港に向かってレンタカーを運転しながら
この 海 山 湖の「自然」豊かな
そして 本当に「人」が良い
東北に
もう一生 訪れることもないだろうと思うと

心の底から
寂しさがこみ上げて来ました








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東北の慰霊の旅の記も いよいよ最終日になる予定でしたが
少し「書き忘れ」がありましたので 追記します
 
 
今回の旅の前半は ナビを頼りに
仙台空港から三陸海岸沿いの被災地を レンタカーを走らせましたが
何度か 道が分からなくて 途方にくれました
 

この写真の南三陸町のように ひとつの町全体を工事しているような場所では
ナビでは通れるはずの道がなくなっていたり変わっていたりして
何度も 工事現場の人に尋ねながらの道中でした
 
 
 

この後寄った 陸前高田市の「奇跡の一本松」附近でもそうでした
 
この一本松茶屋も復興商店街のようですが
多分 夕方近くということもあって 客は皆無
 

例の「奇跡の一本松」へは 車の道はなく
ここから 工事現場の中の道を
800mほど歩かなければなりません
この案内板には 英語 中国語 韓国語が表記されています
外国の観光客も訪れるのでしょうか
 
 
ここでは 1994年生まれの若者が淹れてくれたコーヒーを飲みながら
他に客がいないのを幸い
彼と長いおしゃべりをしてしまって 時間がなくなり
一本松まで歩くのは諦めました
 

1994年生まれは ゆとり世代だけど
フィギュアの羽生選手ら 世界で活躍するアスリートが多いとか
 
関西からやって来るおばさん達が
賑やかでうるさいけど
みな励ましてくれて 優しいとか
 
初めて出会った若者とお喋りできるのも
ひとり旅のおかげ

 
 
この後も 道が途切れ 地元のおじさんに尋ねたりして
結局 予定の海岸沿いはやめて
新しい道を飛ばして 大船渡に着いたのでした
 
 
 
夫と一緒の30年前は
JR仙台駅から レンタカーで東北自動車道を使い
花巻から遠野を経由して 釜石へ出たので
ここまでが 私だけの慰霊の旅と言えるのかもしれません




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30年前 夫ととてもいい時間を過ごした
 
 こんなに可愛くて 洒落た駅舎が
 
24年後には
ホーム 線路もろとも消失
 
(ここまでの写真:鉄道旅行地図帳〜東日本大震災の記録〜より)


これを初めてみた時
すでに居なかった夫との思い出も流されちゃった と
喪失感というか 寂寥というか・・・

現地の被災者の気持ちには程遠いでしょうが

1日も早い復旧を待ちました
そして 2014年7月27日 新駅舎が完成して以来
この目で確かめたいとの想いが この日やっと実現しました
 
 
雨が降っていましたが
元の駅舎のドーム屋根が モニュメントとして再現されていて
高台には 立派な駅舎が出来ているのをしっかりと確認
 
人の全く居ないホームに勝手に入らせてもらいました
モニュメントは 元の駅舎があった場所のようです
 
 
再建されて良かったと思う一方で
これだけ立派で綺麗な駅になったのだから
たくさんの人が利用しないと勿体無いなぁと 思ってしまいます
 
周辺には パラパラとしか民家は見えないし
観光客頼りでしょうね〜
30年前にここでお茶をしたのも
近くの港からの 北山崎などの断崖巡りの観光船の出航時間待ちのためでした
 
 
雨が降っていなかったら
寄ってくるウミネコにパンをやれる船に乗ってみたかったのですが
陸路で北山崎展望台に寄りました
(蛇足ですが 鳥にパンをやるのは 製造過程に問題があってよくないそうです)
30年前と全く変わらない風景です
この風景は 30年前にはなかった 遊歩道からです
 
オッ ミサゴの営巣地とな!
残念 珍しく双眼鏡を忘れました
でも今は繁殖期じゃないから どうせ見れないか・・
 
 
 
 

2日目の宿は 三陸海岸北部の
文字通り 昭和レトロな国民宿舎
前回には寄った龍泉洞のある岩泉以外では ここしか宿がない北三陸

昭和をリアルタイムで生きてきた身では
昭和レトロなど 珍しくもなく
快適さはどうなのだろうと そちらの方が気になりますが

部屋から望む太平洋の眺望と

 

海を眺めながら入るお風呂だけが楽しみ   (⇅写真は宿のHPより)

 
 
さあ いよいよ明日は被災地を後にして
最終日の十和田湖と奥入瀬渓流
 
晴れますように

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三陸ひとり旅の2日目
大船渡の港のそばの 真新しいホテルを出たところは
真新しい街です
でも 全国どこでも見たことのある 聞いたことのある店が並んでます
津波は 地域の特色も掻っさらっちゃったようです
 
 

海沿いを仙台空港で借りたレンタカーで しばらく北上すると
嵩上げされた高台に 新しい街ができています
 
ここは被害の大きかった大槌町のようです
奥の方に工事用の重機がたくさん見えます

道の反対側を見れば やっぱり工事中
 
海のすぐそばなのに 一見 被害がなかったかのような田園風景もあります
少しほっとします
 
 
 
 
めっちゃ生きのいい魚が並んでいます
サンマと ツバスに見えるけど東北では何と呼ばれているんでしょう?

【右上のかろうじて見えるカタカナを頼りに調べると、わかりました!
 出世魚ブリの名前の変化は

 •関西:モジャコ→ツバス→ハマチ→メジロ(イナダ)→ブリ
 •東北:アオッコ→ショッコ→ワラサ→ブリ   つまり ショッコですね!】

そりゃ新鮮なはず  とれとれですもの

ここは宮古漁港の中にある道の駅
なのに ここでお昼に食べたのは ミニ天丼セット
年とともに我儘になる私の胃袋です
 
30年前 魚介類の種類の豊富さと安さに感激し
筋子入り銀ジャケとホヤを 冷蔵で家に送った 街中の大きな市場は
流された後どうなったのか  まだ確認していません

この建物の端の青いライン
こういうことですね↓
 

三陸海岸沿いのR45を どんどん北上します
そこかしこに 津波対応の標識が立っています
 
 
 
そして もうすぐ 私的に今回の旅の一番訪れたかった所
三陸鉄道北リアス線の 島越駅
 
30年前

宮沢賢治の童話に出てくる火山島の名前にちなんで
カルボナード島越と名付けられた

可愛い駅舎の2階の 可愛い喫茶店で
亡き夫と 本当に楽しい時間を過ごした 思い出の場所
 
当時の東北は 鄙び過ぎて
美味しいコーヒーが頂ける小洒落た店がほとんどなかったので
妙に嬉しかった
 
続きは次回
 
 
 
 

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お久しぶりです
まだ生きてます(笑)
2年と4ヶ月ぶりの更新です

毎年 信州ひとり旅は 年に1〜3回出かけていますが
(今年は初めて厳冬に 諏訪湖のオオワシに会いに出かけました)


今回は かねてから訪ねてみたかった東北です
30年前と同じ 10月はじめの秋色の北国です

雨の中 早朝の神戸空港を飛び立ちました
 
仙台が近づき やっと地上の景色が見えました
東北も 実りの秋を迎えています
 
仙台空港到着
到着時の機内のメロディは阪神タイガースの「六甲おろし」
機体には虎の絵が!(笑)


往路が朝便で手数料込み 8600円

復路は夜便 同じく 11060円
1時間ちょっとのフライト
 
実は30年前の夫とのギリギリフルムーン新幹線グリーン車の東北の旅は
乗車賃も所要時間も 雲泥の差
体力も資金力も弱々しくなった身にはありがたい‥が
本当は 飛行機はコワイ キライ
でも背に腹はかえられない
 
 
空港店からレンタカーを借り

用意したメモリ地点資料を見ながら たくさんの地点を登録
年をとってヘナヘナになった記憶力 判断力でも

全く知らない土地を一人でドライブ出来る
ナビは本当にありがたい
無理をせず 1日の走行距離を300km前後に設定


最初の登録地は
空港からすぐの 名取市閖上地区

 
3.11にリアルタイムのテレビ画面で見ていた
津波が 綺麗に並んだビニールハウスを飲み込み
仙台空港の飛行機や車を押し流す映像が頭をよぎる
 
 
モニュメントの先端が津波の高さだそうです


  亡き人を悼み
    故郷を想う
  故郷を
   愛する御霊よ
      安らかに

 
 
この後 多数の小学生が犠牲になった 石巻市の大川小学校へ寄ろうかと迷ったが
現場での辛さに ちょっと耐えられそうにないチキンなのでパスです



 
なので ショートカットで 三陸道(震災後に整備された?)を使って三陸海岸へ
途中の道の駅で 30年前の刺身の味が忘れられなかった「ホヤ」入り蕎麦を


まだ若かった30年前の味覚とは違ってしまったのか
生じゃないからなのか
癖のある味がウッとなるし これで1300円はなぁ・・
 
 
三陸海岸を北上
復興商店街として有名な 南三陸さんさん商店街へ
けっこう観光客が多い
この夜の大船渡の真新しいホテルは 夕食なしなので
ここで イクラと鮭の刺身の丼とひじきの煮物(関西人にはちょっと濃い味)を購入
夕方まで車の中なので 大きな保冷剤を入れてもらう
用意のいい主婦は 保冷バッグも持参(笑)
(冷えすぎて 食べる時にはご飯までがとても冷たかった…)
 
 
さんさん商店街の川向こうに 元の防災庁舎が見えます
若い女性職員の方が 津波が押し寄せるまで
町民に避難を呼びかけていた所
 
震災モニュメントとして保存するための工事中のようです
堤防が嵩上げされて上部しか見えません
 
 
これはJR大船渡線の駅?
あとでゆっくり調べたら JR気仙沼線の大谷海岸駅でした
海岸線には土嚢が積まれたままだし
駅も線路もまだ工事もされてませんね〜
 
土嚢の積まれたところが長い砂浜で
線路との間は 松林だったそうです

日本一海水浴場に近い駅ということだったらしいですが
(改札から階段を降りれば砂浜の神戸の須磨海水浴場の方が近いですが‥と、突っ込ませてもらいました←年甲斐もないアホな負けん気)
元々 鉄道の駅よりも 道の駅としての機能が大きかったみたいで
今も道の駅は営業しています
 

朝ドラのあまちゃんの影響もあって
三陸鉄道のことは 遠く関西でも情報が入ってましたが
この鄙びた場所のことは全く知りませんでした
鉄道の代わりに バス路線が整備されているみたいです
震災のせいで 廃線が早まったというところでしょうか
 
 
気仙沼市内の入り組んだ地形を縫うように通るR45を
ゆっくり車を走らせながら 左右をキョロキョロ
海に近い土地は 全て工事中
 
あの夜 テレビに映る圧倒的な炎を見た時は
気仙沼市内はほとんど全滅するのではないかと
心配で涙が出たが
高台や 少し海から離れると
けっこう古い建物が残っっている
 
同じ炎の海でも
気仙沼は文字通り海上の炎が大部分で
22年前の震災時の人口密集地 神戸長田区の火災は
全部が人が住む民家など建物
悲惨さも 被災者数も 神戸が格段に大きかったのかもしれないなぁ
 
 
 
外国人から よくあんなに大災害の多い所に住めるなぁと呆れられるほど
日本人は 地震 火山の噴火 台風など
何度も遭遇する大災害にも負けず
大昔から 助け合いながら生きてきたんだ‥
自分のことだけを考えていたら生き残れないという「智恵」が
他人を思いやる 優しい
大多数の日本人を創ってきたんだ と想う
 
 
 
 
そして この日の宿は
大船渡の港のそば
海のそばは どこもかも工事中です
 
翌日も 引き続き三陸海岸を北上します
 
 
紅葉にはまだ少し早いですが
東北はすっかり秋です
 
 
 


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去年してみて 意外と大丈夫? と自信をつけ
今年も 5泊6日の一人ロングドライブを決行

1日目 新名神 伊勢湾道路 新東名などを通って 500km弱
着いたのは湘南の 学生時代の一夏をアルバイトしたホテル
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左手前の建物と木造の旧館だけだった その昔
今と同じく 違うタイプのプールが8〜9個あり
当時は 写真右手下方にある海でも泳げたため
海もプールも大好きだった私は
バイトの時間外は泳ぎっぱなしなのが ただただ嬉しかった

飛込み台では 毎週末 ナベプロの歌手が歌ってたな〜
まだ駆け出しの森進一とか 中尾ミエとか 木の実ナナとか
バックバンドはいつもスマイリー小原
テレビ番組の収録もあったっけ?

そんな華やかさに浮かれ 一夏の稼ぎを 全て使い込み
帰ってから親に呆れられた
なんとも浅はかな青春時代
でも おかげで40年 わりと仲良く添い遂げた夫に出会えたんだ

素泊まり1泊10,260円も払ったのに
隣の部屋の 夜中に何度も水を使う大きな音に邪魔され
初っぱなから ひどい寝不足

夕食はSAで買った 755円の生姜焼き弁当
朝食は ガストの 430円のモーニング
食の細った私には
ホテルの豪華な食事よりよほどいい

2日目は
悪天候の予報が外れ まずまずのお天気
快適な東富士五湖道路を北上
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河口湖では東側より端正な姿の富士が
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子供時代のラジオドラマを連想する笛吹市から中央道に入り
'12年まで 娘や孫たちと3夏連続で訪れていた野辺山へ

今回は 千葉からやはり一人ドライブでやってきた
1年前 私と同じ寡婦になった 娘の夫のお母さんと合流
実は 昨秋 同じ二人で白馬をトレッキングして
楽しかったので 今回も一緒

JR最高地点そばにあるホテルの部屋から
朝日に映える八ヶ岳
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早朝に目覚め 双眼鏡を手に散歩すると
すぐ近くの木の天辺から カッコー カッコー
持っていたのがコンデジだけだったので こんなのしか撮れなかった
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探鳥のガイドを予約していたけど
ガイド氏は 私が聴こえるキビタキの囀りが聴こえないお年寄り
3年前の倍に値上がりしたガイド料の3千円 返せー!

仕方ないんで 野草だけ・・
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イメージ 7

イメージ 9 イメージ 10 イメージ 8
イカリソウ フデリンドウ ショウジョウバカマ ニリンソウ キンポウゲの仲間
かな?
標高が高いので 六甲山辺りより季節が2ヶ月以上ゆっくりしているような

社長業が待つ連れが東に去った後
暇人ひとりで ホテル裏手の獅子岩(平沢峠)へ
八ヶ岳にもう少し積雪が欲しいところだなぁ
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元気だったら この反対側が登山口の飯盛山に登ってみたかった

     こんな 石碑がイメージ 12












多分 ナウマン博士は
この景色を見て
フォッサマグナを考えたのだろう
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ゴルフ場の芝生の向こう細く見える八ヶ岳の裾野の向こうに薄っすらそびえているのが
北岳や仙丈ヶ岳や甲斐駒ケ岳を有する 南アルプス
この地形がそんなに奇妙だなんて
地質学者でもない普通の日本人には思いつかないだろうなぁ

それにしても
昨年の長野北部であった震度6の地震を受けて
「フォッサマグナが形成されたころの断層が再び活動したといえる。周辺にある活断層が、場合によっては活動する可能性は否定できない」
という専門家もいて
ちょっと怖い




この後 八ヶ岳周遊道路で 懐かしい諏訪に移動し
2年前 世話になった友人二人と 霧ヶ峰へ
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広々とした草原の向こうに
残雪の 御嶽山 乗鞍岳 北、中央、南アルプス を眺めながら
お喋り三昧
手作りのお弁当をいただき  あとは山小屋で美味しいコーヒー
もう病みつき!
体のもつ限り続けたいな〜


忙しく歌ったり 飛び回っていたのが↑の写真の左上にもいるこの小鳥
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声を聞いても
姿を見ても
私には
何かわかりませ〜ん



6月6日
ゆっくり調べてみたら
ビンズイみたい





こんな歌が載ったサイトがあった

 〝 びんずいが栂の枯木にゐて歌う 
      ビンビンツイツイの歌は
            いつまでつづく〟 中西悟堂(日本野鳥の会創設者)

野鳥の会といえば
会長の柳生博さんの息子さんがやってられる「八ヶ岳倶楽部」に
'10年についで 今回も行ってみた
趣味の園芸でキャスターも務められた園芸家でもあるその柳生氏慎吾さんが
訪れた日の3週間前ほどに47歳で亡くなられ
倶楽部内の小さなキャビンには
穏やかに微笑む遺影が 溢れるような花と花の香りに囲まれていた

二人とも黙っているけど
大切な人をなくしたお父さんの心を想っているのは
お互い 解る



そこのレストランのテラスでも
清里の温泉の露天風呂でも
まだ生かされている者同士 たっぷりお喋りしまくった


本当に 楽しい楽しい6日間だったけれど
眠れないのは最後の日まで続き
かなりバテテしまった

次回からは 睡眠剤でも用意しましょかね
全行程約1400kmの(ちなみに戸隠まで行った去年は1500km)
年よりの冷や水ロングドライブはいつまで続けられるのかしら






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キジバトが庭で

硬い食パンのミミが苦手なので
細かく切って 庭に撒くと
どこかで様子を見ていたらしい スズメやキジバトがすぐにやって来ます
そのうちの一番大きいキジバトが
グーグーいいながら 小さい方を追いかけているかと思えば
また パンを食べたり
もっと真面目にやれ〜 と言ってしまった


キジバトの求愛?

やっぱり 追いかけている大きい方がオスなのでしょうか?



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嵯峨野ひとり

突然 学生時代の楽しかった春の一日を思い出し
リュックを背負い スニーカーを履いて 京都へ一人旅

景観保全地区とかで
半世紀余りの時を経て 今も同じ(?)レンゲ畑
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でもこの日のレンゲ絨毯には あの頃に感じた凄み」がないような?
ここは嵯峨野

D大での洋弓の春季リーグ戦の帰り
嵯峨野在住の後輩の案内で 部員皆でぞろぞろ歩いたり
広沢池でボートに乗ったり
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あの時は 参詣者もまばらな竜安寺で石庭を観て
仁和寺の広い境内を通り抜けたあと 広沢池まで歩き
嵐山を経て 苔寺こと西芳寺に寄ったけれど

今は ぎっしりの観光客が想像出来る竜安寺は最初からパス
仁和寺も500円の参観料を払わなきゃならなくなっていたので
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門から中を覗いただけで これもパス





一番訪れたかった西芳寺は
今は苔の庭の一般公開はされてなくて
予約をした人しか参拝できなくなっていて 残念  予約をして 3000円の参拝料(祈祷料?)を払い 祈祷を受けるか 写経をするらしい

石庭は正直つまらなかったけど
苔庭の美しさは 今でも瞼に焼き付いている


阪急から嵐電に乗り継ぎ
途中 帷子ノ辻といういかにも京都らしい名前の駅で乗換え
妙心寺駅で降り
仁和寺から トコトコと 歩道のない「きぬかけの道」を歩く
半世紀前は 道の真ん中をガヤガヤと のんびり歩けたのに
今は次々通過する車を避け ヒヤヒヤしながら端っこを通る

広沢池と 隣接するレンゲ畑だけは ほとんど変わってなかったかな?
ただ あの日も 今日と同じように春光あふれる日だったけど
昔はこんなに暑くなかったなぁ

変わらないといえば
お腹が空いたのでどこかでお昼をと探しても
広沢池周辺は あまりお店もない
あったのは いかにも古そうな
お世辞にも綺麗とは言い難い うどんとそばの店

仕方ないので天ぷらうどんを注文
ん?これって たぬきうどん?
だって 小さな小さなエビ天ひとつの周りには 一面の天かす
ま、味はまあまあだったし
店主のおばさんと話が弾んで
毎日 貰い物の筍攻めでうんざりしているとかで
小さめの筍をまるごと若竹煮にしたのを ご馳走になったから
良しとしよう

連れがいない一人旅は
出会った人との触れ合いが濃くなるような気がする
どうやら 一人旅が 病みつきになったかな



この後 阪急嵐山駅に向かう
平日だというのに嵐山付近は 人  人  人   早足で通り抜ける
             イメージ 3
どこへ行っても 外国人観光客が目立つ

風情のある竹林の道も人だらけなので すぐに引き返す
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傍を追い越した人力車の車夫の言葉が気になった
客の外国人へのガイドサービスなのか
走りながら 大声で英語で説明していたが
『Here is very very very beautiful spot. "Bamboo Road"』
などと聞こえてくる
「beautiful」かどうかは 見りゃあ分かるでしょ!
  もうちょっと気の利いた説明を勉強したら?
などと 心の中で悪態をついてしまった



嬉しかったのは
嵯峨野在住の後輩が 時々差し入れてくれた
               嵐山の「白い桜餅」イメージ 5

  これだけは 正真正銘 あの頃と同じ味

  本当においしい!

  これを買うために もう一度京都に行こうかと 本気で思案している






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1年に一度更新していれば
ブログをしている と言えるかしら?

まずは 久しぶりの近くの池  久しぶりのオシドリ
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のんびり前を行く ホシハジロに追いつきそう
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イメージ 3















追いついちゃった

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やっぱり 一緒じゃないほうがいいや
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ホシハジロを見たのは初めてのような・・?
テレコンレンズをつけて オートフォーカスで撮ってみたけど
ホシハジロは 羽の白い色のせいか ピントが合わないなぁ




今日は20年目
神戸では あの震災を知らない住民が45%とか
街は綺麗になっても 家も仕事もなくした被災者の復旧は全然とか
あの震災がきっかけでできた公的機関からの金銭の支援は
当時は ゼロだったんだもの

被災直後は 「がんばって」「がんばろう」と
まだ 前向きな声をかけられたし
かけられた方も その気になれたけれど
今は どうすればいいのだろ?

ただ 哀しい


テレビをつければ
日本 自画自賛番組が目白押し
そりゃぁ 20年前も 4年前も
地震の時の人々の冷静さや 互いの思いやり
一般市民による略奪が皆無だったことも
誇りに思っていいとは思うけど
いい気になってていいのぉ?
「おもてなし」って何?
具体的な案ってある?

善悪に関係なく慣例が重んじられ
本気でシステムを改善しようとしない
そんな日本だってこと みんな解ってるぅ?


記事を更新すれば
必ず こういうボヤキになるなぁ
また 引っ込んでた方がいいかしら



そう言えば 今日
1年前の記事にコメントが入ったのはいいけれど
おだてること おだてること
このブログを見て
おかげで、すごく前向きになれたし、また頑張ろうと思えた』
はぁ? 私の文章のどこで前向きになれるってのぉ?
悩みを聞いて欲しいと 自分のメールアドレスまで書き込んである
怪しいなぁ
何が目的なんだろ?






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こう何度も何度も経験すると
元旦に 新たな気持ちになるのも
一年の計は元旦にあり などと 生真面目に迎えるのも
全く 出来なくなってしまったけれど

お雑煮と 少しばかりのおせち料理を口にしたり
一人になってめっきり減った年賀状で
あの人この人を思い浮かべたり
ちょっぴりは 平常とは違う一日を過ごす

見られないかもしれないと言われていた初日の出も なんとか
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7時25分頃 我家の庭から望む初日


そしてスイート好きの家人が必ず買って来るのがこれ
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お正月なので 輪島塗のお皿で(笑)

元旦のケーキ屋は 客でいっぱい
最近はどこでも お正月にケーキを食べる家庭が多いのだと思っていたら
どうやら神戸だけらしいと 最近聞いた ホントかな?
因に神戸では ひな祭りケーキも人気

もちろん クリスマスにも
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このケーキ屋さんのマジパンは賞を取っただけのことはあって
サンタやトナカイの顔が ホント可愛い


実を言えば ケーキはそれほど好きでもないけど
ここに住んでいると
頻繁に食べることになってしまう

そういえば
信州では 貰い物のを一度しか食べなかったなぁ



「絆」「家族」「ふるさと」「つながる」
皆が一斉に 同じことを言うのが嫌い
皆が一斉に 同じ方向を向いているのが気味悪い
反骨 と言えば 聞こえはいいけれど
言ってみれば 生来の天の邪鬼が酷くなって来てるし
生来のマイペースも酷くなっている
そんな人間だから
今年も
ポツリポツリと更新出来たら 「良し」としましょう






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