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いつも淋しくて愛されたいとねがっていても、
淋しくて愛を求めてばかりいる人に同情はしても誰がその人を愛するでしょうか?
いつも自分のすべてを理解されたいとねがっていても、
そういうあなたは、ひとの内面のすべてを理解して暖かく包み込みましたか?
外部に欲しいものを求めるうちは、なにも望むものは与えられない
自分の本当に欲しいものは、自分のこころの中にある
時には傷の舐め合いもいい
でも、忘れないで
自分だけが傷を負っていると思い込んではダメだということを
誰もが生きていくうちに傷を受けてそれでも歩いている
自分が不幸な時、笑っている人をみて、その人がしあわせしか知らないと羨まないで
人の不幸を見つけてホッとするあなたの心は果たして素敵でしょうか
人間は誰も完全には他人を助けきれない
一時的に誰かを助けることは出来ても、どんな水泳の達人でも人生という大海を泳ぎ切るには他者をずっと背負っては泳ぎ切れないから
もっと、もっとと他者に自分の足りない想いを求めるのはやめましょう
もっと、もっとと自分を楽しませて欲しいと他者にそれを求めるのもやめましょう
まずは自分を大切にすることを覚えましょう
自分がして欲しいことを相手にすることも大切だけれど、もっと大切なのは自分がされては嫌なことを相手にしないこと
人から何かうれしいことをしてもらったら、最初はうれしいと思うけれど、何度も重なると当然のこととして感謝を忘れがち
尽くされることを望むと、誰からもそれを得られない
ありがとう。感謝の言葉は心から感じて、そして惜しみなく言いましょう
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ありがとう、大切な言葉ですね。KOKOさん、ありがとう。
2010/3/18(木) 午後 8:22 [ たかやん ]
KOKOさん!同感です!
私は昔は、自分を愛せない人間でしたが
人の事ばかり考え優先し、自分を疎かにして来ました。
今は、先ず自分が大切だと思う様になりました。
不幸に浸り、酔っている人は、平気で他人の
気持ちをさかなでてます。その人を見て、大反省
しました。小さな幸せは、自分で掴むもので相手に
求めるものではないのですね。自分の気持ち次第で
不幸を呼び、小さな幸せを呼び寄せると思ってます。
2010/3/18(木) 午後 11:04
相手に尽くしても、まったくそれが返ってこないと、
ものすごくむなしくなりましたね。。。
自分の居る意味がないくらいでした。
でも「自分だけがこんな思いしてる」なんて、ヒロイズムに酔うのも
バカバカしい。
今は「そこに居るだけでいい存在」の友人達に感謝しています。
2010/3/19(金) 午前 9:59
はじめまして。
物凄く心にしみました。
最近は周りの人に感謝することばかりです。惜しみなくありがとうを言いたいです。
2010/3/19(金) 午後 7:00 [ - ]
つい感謝の心を忘れてしまいます。
こころがギスギスして。
ありがとうはもちろん、おはよう、こんにちはも出ないです。笑
いつも下向いてうつむいて。
こういう気持ちが高じてくると、愛されなくてもいいや!って気持ちにもなってきて。
私のせいぜいの慰みは花を撮るのに集中とか、そんなものです。。
なかなか難しいですよね。。。
2010/3/19(金) 午後 9:13 [ - ]
時々、思い出さないといけない言葉ですね☆
2010/3/19(金) 午後 11:46
たかやんさん、こちらこそ、いつも暖かくしていただいて、ありがとうございます(*^_^*)
2010/3/20(土) 午前 4:54
エルにゃんさん、わたしも昔は自分が嫌いで、自分を大切に出来ない人間でした。
そして、愛されることに渇望していて、ひとから振り向いてほしいために、自分より相手を優先してふるまっていました。そうすれば、愛してもらえるのではないか、と思ったのです。
でも、自分を愛せなくて、自分を大切にできない人間が、ほかのひとを本当の意味で愛して、大切には出来ないと気づいたのです。
自分を好きになれたら、しあわせを気づかされるようになりました。
それは、決してナルシズムとは異なるとおもいます。
ナルシズムとは、冷たくロマンに浸ることだとおもいます。
2010/3/20(土) 午前 5:05
ベティさんは、一番愛してくれたやさしい素晴らしい男性と永久の別れを味わい、その後の巡り合わせが悪くて、数々、たくさんの男性に踏みにじられて、とてもお辛い経験をなされましたね。
わたしも死ぬほど好きだった男性から突き放されて、絶望して自殺を図った経験があります。
でも、その時に、ブログのお友達や、リアルの友人たちが、あたたかく包んでくれました。
どんなに感謝したことでしょう。
今は、ふっきれて、すかすがしく過ごしています。
わたしは、どうも死ぬほどその男性が好きなのではなくて、すがりついて寄生植物のようになっていたから、相手も疲れて、突き放したのだと気づいたのです。
わたしは恋はしていても、その男性を真の意味で愛していなかったのだと反省しました。
自分自身がまずひとりで「立つ」ことが出来ることが大切なのだと。
ベティさん、お互い、女をあげましょう。(*^_^*)
2010/3/20(土) 午前 5:26
マンナさん、はじめまして、こんにちは。
ブログを拝見させていただきました。(^−^)
独り歩きが苦手な方なのですね。本屋さんがお好き。
おともだちから誘っていたかないと、ウィンド・ショッピングが出来ない。
一人行動が無理で、こまっている。いいんではないのでしょうか(*^_^*)
ひと、それぞれ、得て不得手があります。
わたしの友達のひとりは、電車の乗り継ぎが出来ません。知らない場所へ行くのに、地図を見て、行くことが出来ません。
だから、わたしが、その子が待ち合わせれる場所まで迎えに行き、一緒に連れて行き、また、帰れる場所まで送っています。
ごめんね、、とその友達は言いますが、わたしはこの子が好きですから、こちらこそ、誘って付き合ってくれて、ありがう、と言っています。(^−^)
あなたの友人たちも、付き合ってくれる友人だから感謝しているのではないでしょうか。
2010/3/20(土) 午前 5:50
アスタリスクさん、転属されて、まだ日が浅いですし、仕事も一からで、慣れない人間関係で大変でしょう。
以前にわたしも研究所に勤務した感想として、理系集団の人々は科学的な興味は強いけれど、お互い「人の心」に興味が薄いなぁと、文系のひとと多く接するようになってから感じさせられました。
ピーンと緊張の張りつめた職場だった鮮明な記憶があります。変人だらけでした。(*^_^*)
わたしも、挨拶は「笑顔」ではなく「真顔」でして、心の交流なんてまったく望みませんでした。暇を見つけては、研究所の図書館の本を借りて読むという、人間コミュニケーションをまったく放棄していました。
だから、転職できた時は、本当にうれしかったですが、それから五年、十年と経つと、研究所でうれしくて、うれしくて、ウキウキして働いている夢を何度も観るのです。
目が醒めると、ああ・・・夢だった、とがっかりします。人間関係はキツかったですが、その職場は本当は好きだったのだ、と回想させられます。
他の辞めた友人も、同様に、何度もそこでたのしく働いていた夢を観るそうです。
2010/3/20(土) 午前 6:14
今、お辛いでしょうけれど、楽しむことも、笑うことも出来ないでしょうけれど、辛い仕事ほどやりがいがあるのだと思います。好きになって愛してくださいね。仕事と職場と、アクタリスクさん自身を。(*^_^*)
ご自分をお好きでないと言われますが、それがお出来になられたら、しあわせを感じることができて、求めていた愛を得ることができるとおもいます。(*^_^*)
2010/3/20(土) 午前 6:18
学校へ行きたいさん、そうですね。
感謝の心。それをいつも忘れないでいること。大切ですね。(*^_^*)
2010/3/20(土) 午前 6:20