一昨年の邦画、「モヒカン故郷に帰る」をビデオで視た。
特に優れた作品とは思わなかった。
同じ松田龍平主演で路線も似た感じの作品で言えば、
「ジヌよさらば」の方が断然良い出来だと思う。

が、しかし。
どうしてもオーバーラップするよ。これだけ設定揃えられると。
広島の田舎から上京して好きなことやって何年も帰省せず、
子どもができたから結婚すると突然宣言するドラ息子(長男)。
ガンであっという間に死期が近づく頑固な父親。
カープ狂いの家族。
もろ広島弁の、洒落気のない地元女子中学生。
ついでに、宅配ピザの来ない僻地ぶり(笑)。

まあ、山奥と島の違いとか、
永ちゃんファンではないとか、
モヒカンじゃなくて鳥の巣パーマとか、
そういう違いもあるけれど、
全体の雰囲気とか話の筋が、
余りにも自分の世界に重なって、
これ書いたの俺か?と思うぐらいだったね。
ついでに、もたいまさこが演じる母親が母ちゃんそっくりだし。

映画の中で、死の間際の父親が息子に言うんです。
「東京でビッグになって帰って来い。そのつもりで名付けた」
うちの父も病室で最後に会話した時、似たようなこと言いました。
「お前はようやっとる。頑張っとるよ」
息子が父親に褒められるなんて、死別の時だけなんでしょうね。
何にも叶えられず、何にもなれなかった息子を、親は見守ってくれてました。
そんな父親になれるんだろうか。
まだ、人生を語れない半人前です。

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 大阪大学の入学試験で物理の設問に誤りがあったことから、大学入試の問題に対する世間の目が厳しくなっている。アンタッチャブル?な感があって野放しになっていた大学入試問題に緊張感と正確性を要求すること自体は、それによって少なからず人生に影響を受ける、というよりもそこまでの努力に報いるべき結果を待つ若者のことを考えれば、望ましき方向性だと思う。併せて、「可能な範囲で」採点基準を公開すべきだと思うことも、当ブログで過去に主張した通りだし、問題内容の疑義に対するオープンな(そうすることで、便乗する有象無象の売名的なクレームを抑制できるはず)返答システムを確立すべきだとも思う。
 が、しかしだ。
 議論が混同されているような気がするが、明確な「模範解答」を要求することや、些末な部分点の基準を要求することは、大学入試の本質を矮小化する、いかにも視野の狭い行動である。それは、問題には「定型の」解答があるべきだとする、学問の視点とは相反する態度だからだ。
 そもそも、教師でなくとも、試験の採点という作業に関わった経験を持つ人間ならば、採点基準には常に「グレーゾーン」的なものがあることぐらいは実感するはずである。局部的な話からすれば、語学においては表現方法が複数にわたることは想像が難くないし、極端な話、日本語の単語で解答をするタイプであっても、字の美しい汚い、読める読めないの基準は主観が入らざるを得ないことは言うまでもない。そして、話の本筋に戻るならば、解答がわからないものを追求していくことが学問や研究の本質であり、それを探求する機関が大学であることを考えた時、大学入試で問われる能力が、解答を求めようとする「姿勢」であっても何ら不条理なことではないはずなのである。
 センター試験を中心とする大学入試については、現在進行形で改革が唱えられている。文科省のお題目通りに統一試験で実現するかどうかの強い疑義はさておき、その改革の指向が定められた項目の習得を求める知識偏重型でなく、課題解決型にあることは確かである。なればこそ、大学入試問題に「定型」の解答を要求する危険性と矛盾に気付かなければならない。
 こういう議論でいつも事例に使われるので申し訳ないが、東大(国内最高峰ということで宿命と思っていただこう)の日本史入試問題において、過去にこんな設問があった。長文になるのでここでは部分引用に止めるが、誤解のないようにぜひ過去問集等で全文を確認していただきたい。
 
1983年の東大入試より
(前半略)
 「なぜ,平安末・鎌倉という時代にのみ,すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく,どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか,説明せよ」。
 この二つの質問には,いまも私は完全な解答を出すことができない。
(網野善彦著『無縁・公界・楽』の序文より)
 上記の文章中の二つの疑問は,高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし,日本の歴史学がいまだ完全な解答をみいだしていないものであると思われる。
 この二つの質問のうち,下線部分の質問にたいして,歴史の流れを総合的に考え,自由な立場から各自の見解を8行以上13行以内でのべよ。
 
 解答の8行から13行というのは、字数にして240字から390字を意味するが、ここではそれは設問の本質に関係ないことはわかるだろう。そもそも、前提として日本の歴史学が解答を「みいだしていない」としているのであって、定型の模範解答など存在しようはずがない。受験生に対して、出題者側が完全な解答を持っていない疑問をぶつけているのである。
 むろん、入試問題としては成立している。この答案で評価されるべきは、質問に真正面から解答しようとしているかどうかや、制限された字数の中で自己矛盾の無い論理展開をしているかどうか、付帯条件である「歴史の流れを総合的に考え」ているかどうか、であろう。
 しかし、ではこの設問の詳細な採点基準を公表できるのか。もちろん、「結果としてこうだった」という事後のまとめは不可能ではないであろう。しかし、それは実際に受験者の答案を採点し終わって、その分析と集計が終わった後であり、あくまで「その回の」結果としての基準である。つまり、大学(作問者)側の想定を超えるような答案(従来にない斬新な視点や論理)が出現した際には、その答案によって基準が変化する可能性があるのであり、所詮は絶対的採点基準とはなりえない。受験当事者たちの答案以外には、適用されない採点基準となるのである。
 自らも片足を突っ込んでいる身で論ずるのは恐縮だが、塾・予備校業界において実施される模擬試験の限界もここにある。模擬試験の存在価値を、本番同様の緊張感や、受験層の中における相対的位置付けに利用するならば、それは非常に意味のあることだとは思う。
 しかし、日本史の問題についていえば、単語や局所的な文節の「有無」で部分点を採点し、その合計点をもとに合格ラインへの到達を判定する傲慢、受験生や妄信的な保護者・教師に与える影響力を考えると、それが必ずしもプラスに働いているとばかりは言えないのでは無いだろうか。多少、バイアスを意識せざるを得ない私の意見ですらこのようであるから、大学の作問者側の気持ちは如何ばかりであろうかと推測する。(いちいち受験業界の模試に反応はしないだろうが)
 今回、大阪大学の問題不備を指摘したのが、塾・予備校関係者だったと報道されたことで(他にもたくさんいたはずだが)、大学に塾・予備校の意見を重視せよとの声が一部からあがっているように見える。もちろん、誰が指摘しようとも、間違いは間違いであるし、立場の違いによってその指摘を軽んじることは論外であると思われるが、それが高じて、大学入試が塾・予備校業界の指導を基準として作成されることが正しいという意見が出るならば、それは本末転倒どころか、仮にも学問という体系に所属しようとする者にとって、自分自身を絞首するような行為である、と警鐘を鳴らしたい。

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以前、某予備校さんが、受験川柳なるものを紹介していました。
本当に生徒から募集したのかどうかは知りませんが、
面白いものが多かったですね。
私が好きだったのは、
「よしやるぞ 口から出るが手が出ない」
ってやつでした。何か受験生時代を思い出して懐かしい気持ちになります。
でも最近はすっかり講師目線になってしまったので、
こういう共感型のは作れないでしょうね。

センターで「あり得ない」点数を取ってしまって、
志望校を変えざるを得ない、と講師に愚痴ってる?生徒がいました。
講師も仕事なのでふんふんと聞いていますが、
どう思われているか、生徒は自分で気付けないんでしょうね。
「ありえない 思ってるのは自分だけ」
「本番で 出せる力が実力だ」
厳しい?作品が頭の中で浮かんできます。
でもね。偶然じゃないんですよ。
それを自覚できない限り、何年受験生「もどき」やっても同じ事です。
抜き打ちではなく、決まった日に行われる入試は、
体調管理も含めてあなたたち次第なのですから。

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泣き方を間違えるなよ

良いか悪いかは別として、
受験は勝負事です。

人に負けたくない
自分に負けたくない

負けたくない気持ちは、
難しいことをも乗り越えるパワーに繋がります。

試験当日ではありません
あとほんの少しの期間の努力
あなたには出来ますか?

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本日、ほんのちょっと、40代の自己ベスト更新

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飲めない食えない

バーに飲みに行っても、
「ロックでダブル」
とか、いう台詞を言うことはできません。
匂いだけで頭痛がしますから。ウイスキー苦手🥃
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響21年と山崎18年の飲み比べをしています。
連れが。
もはや、幻になりつつある銘酒だね。
私は甘〜いストロベリー🍓カクテルを待ってます。
苺の旬だしね。
ところが、
「お待たせしました」
必ず、俺の前にウイスキー来るのね。
こんな強い酒飲めないっちゅうの!

休日に昼飯を食いに出かけます。
イメージ 2
「ライス大盛り🍚お待たせしました。」
俺じゃない、子どもだ子ども!
そんなもん、40過ぎのオヤジが昼飯に食いきれるかよ。
俺が頼んだのはナムルだけだよ!

耐熱皿を選んでいると、
「贈り物🎁用にお包みしますね」
いや、俺が使うから!グラタン皿が欲しいのよ!
何でみんな見た目で勝手に決めつけるんだ😤

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2連勝

だっはっは
各予備校とも速報値から平均点62点に修正しましたね。
ということで、全予備校に対して、昨年に続いて2連勝!
記述ミスさえなければ、もっと誇れたのになあ。

まあ、何も貰えないんだけどね。
自己ベストの更新を目指すのみです。

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センター試験2日目。
昨日だけで終わった子はお疲れ様。理数系を受けている子は、あと一踏ん張り!

さて、学校教諭と予備校講師のハイブリッド?になった今年は、
センター初日を利用した恒例の予備校業界新年会で例年ほど飲まなかったので、
今朝は二日酔いもなく、すこぶる元気です。

せっかくですから、個人的なセンター講評など書いてみようと思いますが、
パパとしての買い物と昼食用意が優先されるため、
ブログに書くのは午後の仕事にしておきます。

ということで、とりあえずコレだけ先に書いとくね。
平年並みの平均点62点予想だ!
では、後ほど。
といわけで、後ほどになりました。以下に講評文を掲載します。
あくまでも、井上烈巳個人の講評です。(他と一緒にしないで)
 受験生が関心を持つであろう全体的な印象から記せば、難易度は平年並みであったと思われる。昨年度が易化していたので、昨年ベースで考えるならば難化と感じられたかもしれない。←ご指摘ありがとう!逆に書いてました。正しくは、「昨年度が難化していたので、昨年ベースで考えるならば易化と感じられたかもしれない。」です。従って平均点は、62点を上回る程度ではないだろうか。ただし、いつも授業で発言するように、受験生個々にとって平均点は何の関係もない数値だと思うが。
 形式面では、全体の問題数、時代配分や問題形式についても、変化は誤差の範囲内であっった。その点についても、受験生の戸惑いは無かったであろう。個人的には、会話文の設定人物名がイニシャルになってしまい、これまでの無駄に拘りのあった人名の楽しみが失われてしまったのはさみしかった(笑)。さて、以下では個別の問題を分析する。
 大問1の問1はワカタケル大王の史料問だった。ワカタケルの歴史的位置付けを問わずに資料の解釈だけに終始した点で、視野が狭くつまらない問題だった。問2は絵図などの写真を並べた。後述するような資史料重視が最初の2題に表れたわけだが、Ⅱの下地中分図やⅣの地券は、それぞれの主題を読み取ることにこそ教科書の写真を採用する意味があるわけで、それぞれ「下地中分」や「地券」といったキーワードを提示してしまうのであれば、資料問題の意味が無い。問3は正誤組み合わせ問題で服飾をテーマとした。小袖やモボなど、これこそ写真を使うと面白い問題であった。内容的には良問。問4の空欄補充問題は通常レベル。問5の正誤問題は、地方での見世棚普及と市日の減少を誤文とした。見世棚は都市部で増加し、地方でも六斎市が増加するという知識を元にした正誤だが、室町時代という時代設定や地方という空間指定が大雑把なので、例外のケースも多そうな、微妙な文章ではある。問6は国境を示す石碑と関東都督府の写真を提示し、地図上の位置と絡めた組み合わせ問題であった。写真はいずれも高校生が学習する基本的な図像ではないが、それを読み取るヒントを地図の選択肢も含めて間接的に与えており、資料問題として非常に優れた設問である。センター試験の真骨頂と言うべきか。見習いたい。
 第2問の原始・古代史は、今年も原始からは事実上出題されなかった。問1の空欄補充問題には特に特徴は無い。問2の正誤問題はヤマト政権の仕組みについて基本知識を問うた良問。問3の年代並べ替え問題は、大陸諸国と抗争した歴史を問う、センターらしい内容だった。問4は律令制度についての正誤問題で、基本知識で解答できる。問5の大仏開眼供養に関する史料問題は、難易度は高く無いが、後述のようにこの史料問題でどんな学力を問いたいのかはっきりしない、つまらない問題である。問6の組み合わせ問題は、単純な知識問題であったが、受験生が苦手とする土地制度に関わっており、学力差がはっきりする問題だろう。ここで点を落とした人は、この後の私大や国公立二次が危険である。
 第3問は中世史だが、テーマの都合で近世初期まで絡めた。想定の範囲内であり、特に混乱は無いだろう。問1は単純な空欄補充問題。問2は用語ではなく、マクロ的に時代との組み合わせを問うたセンターらしい問題。問3の年代並べ替え問題は、事象としては簡単だが、因果関係で並べ替えしづらい、センターらしくない並べ替えだった。問4の資料問題は、読み取りを問う良問。普段から学習の中で基本資史料に触れているかどうか、はっきり言えば授業を大切に受けているかどうかという問題で、良問である。問5の正誤は、寺内町の例として河内国富田林が認識できているかどうかで、少し難しく感じられたかもしれない。センターが着眼する正誤のポイントがそこでないことに気付けば知識に自信が無くても正解を選べるが。過去問演習量で差がつく部分もあったか。問6の正誤は侘茶の基礎知識というか、最低限のイメージがあれば解答できる。
 第4問の近世史は、文化史の要素が多めであった。問1の空欄補充問題は文化史を捨ててなければ解答は容易。問2の年代並べ替え問題は良問ではあるが、外交と文化を織り交ぜた理解ができていない丸暗記型だと、亜欧堂田善の位置付けで悩んだかもしれない。問3の正誤問題や問4の空欄補充問題は、いずれも用語レベルで容易に解答できる。問5の史料問題は、受験生に対して問うべき学力を間違っていないだろうか。作問側の迷走を感じる。詳しくは後述。問6の正誤問題も用語レベルで解答できる。
 第5問は近代史。問1の空欄補充問題は特徴なし。問2の正誤問題は難しくはないが、阿部正弘の行動を「幕府の独断」でないとするかどうかは、ある程度主観の判断となるので、正誤の根拠にするのは客観正誤問題としては如何なものだろう。問3の年代並べ替え問題は、それぞれの事象の歴史的位置付けを考えれば容易であり、センター的な設問だった。問4はXYの文でそれぞれ問うている知識が実質的に同じ方向性であり、面白みが無かった。
 第6問は石橋湛山に焦点を当てて近現代を問う問題で、形式が踏襲されているセンター試験の枠の中で工夫を凝らしていて面白かった。問1の空欄補充問題は特徴なし。問2はテーマとして必須の女性史で、生徒が準備していたかどうかが問われる問題だった。問3は時代そのもののマクロ的な正誤も含めた、よく練られた設問である。学習が用語暗記だけに偏ると、単純な時代の引っかけにも捕まりやすくなるので、伊藤暗殺を選んで誤答した受験生は今後の教訓にしてもらいたい。問4の年代並び替えは、作りとしてはセンター的な良問だが、受験生が苦手「意識」を持つジャンルなので、冷静に因果関係で解けたかどうか、差がつきそうな問題であった。問5は単純な正誤。問6は時代背景と連動した軍部大臣現役武官制の変遷を学習していれば容易。問7も単純な正誤。問8は史料問題ではあるが、現代語であり、実質的には単なる正誤組み合わせ問題に近い。テーマを石橋湛山にした以上、その政治的姿勢を問うのは当然であり、センターとしては異例な感もあるが、良いと思う。
 最後に。今年のセンター日本史Bでは、学習指導要領の方向性で示された資史料の読み取りが、一昨年や昨年よりも強く意識されている。しかし、現行の高校日本史では史料文の講読に当てられる時間は決して多くなく、教材も充実していない。そもそも、史料文の講読は語学と同様に日常的に文章に触れながら、慣れることが必要な分野である。大学や大学院で古文書を日常的に読んだ私であっても、時代や文体によっては解読に時間を要する、通史学習とは別次元の学習が必要な分野である。そう考えると、高校日本史を履修した段階の大学入試で問われるべき資史料の読み取りとは、資史料相互の関連を考える論理的思考力であるべきであり、形式としては東京大学個別試験のように現代語訳された史料から歴史的位置付けを考える問題が本筋であろう。別に東大の問題だから良いというわけでは無いが。
 そういった意味で、今回のセンター試験で出題された4題の史料文(第1問の問1、第2問の問5、第4問の問5、第6問の問8)は、現代語である第6問の問8を除いた3題、特に史料文そのものを解読しなければ解答にたどり着けない第4問の問5が、センター試験として悪問であるという見解を付記したい。注釈を大量に付けて、その注釈に頼らなければならないような資史料読み取り問題は、受験生のどのような学力を測りたいのか、出題の意図も不明確である。

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異論反論

大阪大学が公表した、入試の作問ミス&隠蔽未遂?。
についてコメントすると思ったろ?仕事柄。
あんなもん、発言する価値も無いでしょ。世の中の反応が全てだよ。
そりゃ先生だって間違えることはあるけど、
若者が人生をかけた入試結果を軽んじるなんて、
ホント学者社会は浮世離れしてるよね。

では主題は何かと言うと、
これまた昨日今日の話題になっている成人式問題。
まあ、毎年議論は出ているわけですが、
選挙権が18歳で行使されて、本格化しましたね。

結論。私は変更反対。
選挙権や法制上の成人年齢が変わったからって何なの。
今の成人式に同窓会以上の意味なんてないでしょ。現実的に。
まさか首長の「お話」聞いたら成人の自覚が生まれると思っている役人いたら、
学校教育から道徳を外して貰えませんかね。今後は成人式に任せるので。

18歳で同窓会とか不要なわけですよ。
受験期の1月なんて論外だし、
月をずらしたところで、どんだけ意味がある?
高校卒業して2年くらい経っているから、会って面白い訳じゃん。
大学デビューした奴とか、色気付いた奴とか、
酒飲みながら(飲めない人も)馬鹿な話をしつつ、
大人になっていく過程の自分に、
子どもでいられなくなっていく自分に、
一種の「寂しさ」を覚える日だと思うのです。
親元を離れて人生経験を積み始めた仲間を、地元の連中が迎えてね。
それが無くなって、みんな成人式行くのか?
「よ、3か月ぶり」「いま浪人してるんだよね?」みたいな?アホか。

元服や裳着といった古来の成人「儀式」には、決まった年齢はありませんでした。
周りの大人たちに大人と認められて仲間入りする、それこそが儀式の価値だったのです。
近代初等教育のような、満年齢で揃える「効率性」と無関係の存在です。
やっと、その感覚に近い実力主義の活動が始まった20歳で集まるから、
今の一律の成人式でも多少は価値があるのに。

変わらないことは後退だ。と、いつも私は言います。
でも、ここで言う「変える」は、
変えた方が良いと思っているのに、「変えられない」ものを変えることです。
上からの手続き一つで変わるもの、誰も必要としていないものを変えることを、
「変革」とは言いません。
議論と説得、努力があって、共感が広がるから、変わることがプラスになるのです。
わかったかアベ。

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良いお年を

年末年始は、受験生の代わりに「滑り」に来ました。
イメージ 1
これで、君たちは滑りません。
なーんて、験担ぎに頼る奴には、
良い落としを。

お後がよろしいようで。

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いつもあなたのそばに

風邪ひいて、家に篭った一日。
カップ麺の蕎麦をすすりながら、
広島駅の立ち食い蕎麦が食べたくなりました。
別に特別有名な店とかでは無いですけどね。
受験生にとっては、身体の温まる最高の昼飯だったので、
ノスタルジー合わさって、美化されてます。

広島の名物というと、一般に想起されるのは何でしょう。
お好み焼き
もみじ饅頭
牡蠣
レモン🍋
ぐらいでしょうか?

確かにどれも食べたくなる時はありますね。
そして、それらは東京で食べられます。
お好み焼きの値段は高いけど…

しかし、立ち食い蕎麦は、
広島風味を東京で再現する店は恐らくありません。
しても、商売にならないだろうし。
お好み焼きみたいに、こちらに同類の食い物が無いものならともかく、
むしろ立ち食い蕎麦は、関東風(たまに関西風も有り)の店が山ほどあるしね。
ニシン蕎麦みたいに特徴あればまだしも、
ネギくらいしか違いが無いしなあ…

食べ物の価値って、値段じゃ無いよねえ。

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