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このところのゴタゴタで1ヶ月ごとの現況整理、 忘れておりまして、 退院して2ヶ月と1週間を過ぎちゃいましたが 今の状況を・・・。 病状:急性間質性肺炎(抗がん剤の副作用と思われるが原因は特定できない)、肺気腫、 胃癌ステージ2(胃3分の2切除、今年6月現在転移はない模様) 抗がん剤半年間使用後、転移が認められず休止。 先月、腫瘍マーカーの数値が上がっていたもののCTでは異常ナシ。 現在はプレドニン(ステロイド)20mg/1日服用、他胃薬、抗菌剤、利尿剤併用。 状態の変化:HOT(在宅酸素療法)及び酸素ボンベ離脱。 排泄は自力排泄可能 入浴は訪問介護師さんによる介助と血中酸素濃度を 測定していただきながらの半自力入浴で週2回 外出は今のところ病院外来受診時 リハビリの先生の付き添いで近所の散歩と買い物で ステッキを使った自力歩行。 身体障害者手帳呼吸器3級1種。 介護保険(要介護3)で利用しているサービスは 月曜・金曜:訪問看護師さんの介助による入浴1時間 火曜:ヘルパーさん(生活1.5時間で探していただいている最中) 水曜:リハビリの先生による散歩、買い物付き添い1時間 木曜、土曜、日曜は何も入らず。 主なレンタル品は3モーターベッド、手すり等ベッド回り付属品、 車椅子、トイレ、玄関等の手すり1本。 住宅改修によりトイレ、和室の段差解消、 同じくトイレ、お風呂、玄関の手すり増設。 これがおおよその現在の状況であります。 父の回復が思いの他早く、シロート目に見ても 次回の介護申請では既に要支援が出るか出ないかというところまで きているように思えます。 ここまできたら要支援が出ることよりも 介護保険を使わなくても済むような方向で進めようかと リハビリや看護師さんに相談しているところ。 介護保険の予算も無理に使わず、 徐々に使わない方向にしていこうかと思っています。 ただ来年になっても訪問看護師さんにだけは 定期的に診ていただかなければならないようで 要支援が出なかった場合は医療保険を使うことになるのかもしれません。 以上が2006年11月21日現在の状況になります。
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ご挨拶
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父が退院して早1ヶ月。 状況が刻一刻と変化していて わかりにくくなりつつあるので 今後は1ヶ月に1度ずつ現況の整理を兼ねて 少しまとめてみようかと・・・。 病状:急性間質性肺炎(抗がん剤の副作用と思われるが原因は特定できない)、肺気腫、 胃癌ステージ2(胃3分の2切除、今年6月現在転移はない模様) 抗がん剤半年間使用後、転移が認められず休止。 現在はプレドニン(ステロイド)25mg/1日服用、他胃薬、利尿剤併用。 状態:HOT(在宅酸素療法)利用酸素ボンベ併用。 移動時、運動時、食事時は酸素利用流量2L
睡眠時、静止時(テレビを見るなど)は酸素使わず。
排泄は酸素利用であれば自力排泄可能入浴は酸素利用の上、訪問入浴週1回 外出は今のところ病院外来受診時のみで車椅子、酸素ボンベ利用。 身体障害者手帳申請中 介護保険(要介護3)で利用しているサービスは 月曜・木曜:訪問リハビリ1時間 火曜:訪問入浴1時間 水曜・金曜:訪問看護師1時間 土曜:巡回ヘルパー30分 滞在型ヘルパーさんがみつかり次第 リハビリを週1度にして ヘルパーさんは平日1日と土曜に2時間半(生活1.5+身体1)。 主なレンタル品は3モーターベッド、手すり等ベッド回り付属品、 車椅子、トイレ、玄関等の手すり4本。 これがおおよその現在の状況であります。 今、最も不安なことは感染症にかかりやすいことと胃癌の再発。 間質性肺炎が、どうも抗がん剤の副作用でなったと思われるらしく もしこのまま胃癌が再発した場合、抗がん剤をどうするのか、 非常に難しい選択になりそうです。 どちらにしろ今の体力では造影剤を使った検査は無理そうですし
最後にした癌の検査は既に4ヶ月前。 今の状況すら把握できていないので、 父の幸運を信じるしかないといいましょうか。 以上が2006年10月12日現在の状況になります。 |
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今は介護の毎日でありますが、元々は音楽屋さんでありまして…。 家庭環境もあって早いうちから家を出たいという気持ちもあり、 また自分がどうしても師事したい音楽家がいたということもあって 20歳の時ドイツへ留学、そしてそのまま10年ほど仕事なぞしておりまして 健康上の問題と、恩師に頼まれてどうしても断れなかった畑違いの仕事のために帰国。 紆余曲折を経てここ数年は何故かちっぽけな化学プラント系の会社経営を。 そんなわけで、介護が落ち着いてきたら 音楽やらドイツやらのオカシナお話しでもご紹介できるといいんですが うーん、いつになることやら・・・。 忘れられない人々というテーマも、主にドイツ滞在中に見聞きしたものが多くなりそうです。 かの地では、あまりに娯楽が少ないため 音楽以外に色々なスポーツを観るようになったといいますか・・・。 また、こんなわけでバブルという時代を全く知らないのも大きな特徴であります。 特に帰国してから仕事先で非常に良く「バブルの頃は〜」というセリフを聞きましたが ワタクシにはチンプンカンプン! 軽く浦島太郎入ってます(笑) そんな奴ではありますが、今後ともよろしくなのですm(. .)m
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私は朝が弱く、そして夜に強い。 もはや今となってはどちらが先かわかりませんが(^^; 幼稚園から小学校にかけて 「起きろ!くず!!」 「そんなゴミみたいな人間だから起きれないんだ!」(by母) と、ほぼ毎朝のように言われ続け (ってゆーか、明確に記憶にあるわけで既に起きた後なわけですが)、 両親のムシの居所が悪い日には足蹴にされ 6畳間の隅から隅まで飛ばされたり、 寒い冬に家の外にある6,70cm四方ほどの物置に 一昼夜閉じ込められたり…。 朝起きた時の言葉を聞きたくなくて 夜早く寝ようとすればするほど眠れない…。 こういう記憶が残っているのか 未だに翌日大事な用事がある時なんぞは なかなか寝付けず、結果的に夜強いというか 起きていた方が楽というか…。 いわゆるDVとでもいいましょうか、 そんな家庭環境で育ったワタクシ。 なんでこんないい子に育ったのかっ(←大嘘) 冗談はさておき 今このblogでDVについて書くつもりはありませぬ。 当事者にとっては非常にデリケートな話題ですし、 心の底から色々な方の状況を理解できるわけもなく 上辺だけのキレイゴトなどなんのためにもならないのは ワタクシ自身が身をもって経験してきましたし。 ま、昔はそんな言葉すらなかったわけで・・・。 ただ親のDVで悩んでいらっしゃる方(っていうかお子さん)に言える言葉は 「相手に精神的な意味で期待をするな!」ということでしょうか。 期待をすれば裏切られる、しなければ裏切られない。 私は幸いにも後遺症が残るほどの暴力というのは受けていません。 一番大きいもので骨折や打撲といった程度。 最悪にひどかった時期は小学校2〜3年の頃でしたが その頃本能的に感じていたのは 「この人達は親というものではなく、こういう生き方でしか 生きられない人達なんだ」という感覚。 どちらにしろ心の後遺症を引きずって幸せなことなど あまりありそうにないので根本的な解決(というか、小学校低学年の状態で 自力で解決するのはほぼ無理と思われますし)ではないものの 自衛手段として「期待しない」という方法はアリかと。 うーん、このあたり小学校低学年でも読めるよう 全部ひらがなで書くべきだったか・・・。 それはおいといて、私の母は非常にプライドが高い割に努力をあまりしない人で 恐らく極度に自分に自信をもつことができず 人をけなし、おとしめることで なんとか自分の存在価値を見出していたのかもしれません。 一方、今、目の前で私が介護をしている弱々しい父は 何故あれほど暴力をふるったのか、 今も何故だかわかりません。 まぁ、わかりたくもないってのが正直な気持ちですが。 そしてもしDVで悩んでいらっしゃる方に 心の力が残っているならばオススメしたいのは 「恩をアダで返す」のではなく 「恩は恩で返し、アダも恩で返す」ということ。 これはDVの相手だけではなく、どなたにでもなんですが・・・。 (因みに私が全てにわたって実行できているわけではなく、 うまく心をコントロールできて実行できた時、最終的に自分が楽ということで…) ただし、心の力が残っているならです! 傷だらけになっているのなら、勇気を出して相談所、あるいは警察に! あ、いや、こんなお聞き苦しいと思われるお話しを なぜ書いたかといいますと ワタクシが親に対して感じる心の動きというのが 恐らくかなり変わっていると思われるからでありまする。。。 このblogをお読みになるにあたって 「そりゃおかしい」と思われる方も多数いらっしゃるかもしれませんが タテマエではなく素直な気持ちをとどめるために 始めようと思った場所なので、お許し下さいませ。 などと書きつつ朝を迎え、父の朝食と排泄の介助がはじまるわけで・・・。
夜に強いのか、朝に弱いのか今日も徹夜しちまった。 |
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2004年12月、母が大腸癌(ステージ4)であることが判明。リンパ節、肺に転移しており余命1〜3ヶ月との診断。母自身が自宅での最期を希望したため、最低限生活できるようにとのことでストーマの手術。抗がん剤治療については医師も積極的には勧めず、私自身もこれ以上辛い思いをさせたくなかったのでモルヒネだけを勧めたものの、父が強力に抗がん剤治療を主張し、母もしぶしぶ納得。2005年1月に退院した後、抗がん剤治療に入る。味覚障害を起こしていたようで料理の味付けが出来ず、私が無理を言って仕事を週2日だけで都合がつくようにし、実家に戻って炊事、掃除、ストーマのお世話等をはじめる。その後MRIやCTなどの画像では一瞬進行が止まったようにも見えたが本人の状況はあまり変わらないように思えた。 |




