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 北海道大研究チームの調査で、小学4年〜中学1年の一般児童・生徒738人に、鬱病と躁鬱(そううつ)病の有病率が計4・2%に上ったことが8日、分かった。医師が面接する大規模な疫学調査は国内初という。研究チームの伝田健三・北大大学院准教授(精神医学)は「有病率がこれほど高いとは驚きだ。これまで子供の鬱は見過ごされてきたが、自殺との関係も深く、対策を真剣に考えていく必要がある」としている。

 調査は今年4〜9月に北海道内の小学校8校、中学校2校にそれぞれ4〜6人の精神科医が出向き問診、診断した。それによると、軽症のものも含め鬱病と診断されたのは全体の3・1%、躁鬱病が1・1%。学年別にみると小学4年で1・6%、同5年2・1%、同6年4・2%と学年が上がるほど割合が高くなり、中学1年では10・7%だった。

 これとは別に高機能自閉症などの「高機能広汎性発達障害」や、注意欠陥多動性障害(ADHD)が疑われたケースが2・6%あったが、日常生活や発達歴に関する情報がないため明確な診断には至らなかった。
日本人としての国語力が問われている。今月上旬に発表された文化庁調査で、多くの慣用句が間違った使われ方や言い回しをされている実態が明らかになった。外来語や若者言葉があふれる今こそ、正しい日本語を使えるよう国語力を鍛える必要がある。

 文化庁の国語に関する世論調査では、「上や下への大騒ぎ」59%、「そうは問屋が許さない」24%など、慣用句が誤った言い回しで使われる例が指摘された。確かに、上や下に行ったり来たり大騒ぎする感じもあり、半数以上の人が勘違いするのもうなずけないわけではないが、正しくは「上を下への大騒ぎ」。流通業界で力を持っていたのが商品を卸す問屋で、そんなに都合よくいかないことは「そうは問屋が卸さない」となる。

 日本語は世界でも難しい言葉の一つといわれ、すべての日本語を間違いなく覚えて使うことは困難な話。慣用句など正しく使えないのを「日本人として非常識」と断定するには抵抗もある。しかし「この言葉は正しいのか。間違って使っていないか」と考えて正しく使う姿勢は必要で、日ごろから国語力を鍛えておくことは大切だ。

 この国語力を鍛える出版物やゲームソフトも見かけるようになった。今年上半期のベストセラーの一つ「大人の『国語力』が面白いほど身につく!」(青春出版社)や、ゲームソフトの「金田一先生の日本語レッスン」などだ。テレビでもこの種のクイズ番組があるし、日本語の実用能力を問う「検定試験」も行われ、多くの受検者を集めている。一種の“日本語学習ブーム”ともいえ、そのまま国語力の低下を映し出しているのではないかとさえ思う。

 検定試験でも、文化庁調査と同様、慣用句の誤用が目立ったようだ。慣用句自体が、若い世代で使われなくなりつつあり、結果として誤用が増えているという。「言葉は生きており日々新しくなっている」のは確かだろうが、多彩な生活場面で、必要不可欠な言葉をきちんと使うことが否定されるものではない。

 新聞の性格上、言葉の使い方には非常に気を使うが、それでも紙面に誤った表現が載ることがある。「新聞用字用語集」にも「誤りやすい用字用語・慣用句」の項目があり、使い方に注意が必要とされている。その中の例などから誤りやすい表現をいくつか挙げたい。正しい使い方か誤った使い方か?判断に迷うことも多いのでは。

 「愛想を振りまく」「怒り心頭に達した」「気の置ける友人」「袖すり合うも多少の縁」「役不足ですが議長を務めさせていただきます」「伝統をおざなりにする」「異句同音」「的を得た」「きずなが深い」「間一発のところで」「けんけんがくがく」。

 一見、すべて正しいようにも見えるが実はこれらはすべて誤用。正しくは「愛想→愛嬌(きょう)」「達した→発した」「置ける→置けない」「多少の→多生の」「役不足→力不足」「おざなりに→なおざりに」「異句→異口」「的を得た→的を射た」「深い→強い」「間一発→間一髪」「けんけんがくがく→けんけんごうごう」。

 核家族化などで、子どもが周りの大人同士の会話から正しい表現を学ぶ機会を失いつつある、との指摘もある。子どもたちの生活において「服装の乱れが心の乱れにつながる」といわれるが、言葉の乱れもそうではないか。正しい日本語が使えるよう国語力を高めることは、日ごろの生活態度を省みることになるというのは言い過ぎだろうか。
 中央教育審議会(中教審)は学習指導要領改定に向け、小・中学校の「総合的な学習の時間」(総合)の削減分や、総授業時数の増加分を国語、算数(数学)などに振り向け、教科の授業数を現行よりも一割増やす素案をまとめた。教科重視への転換は、中教審の審議経過や教育再生会議の提言から、ほぼ予想された内容といえる。

 教育現場からは「教科の授業数を増やしたからといって学習効果につながるわけではない」との反論や、「国が決めたことだから従わないわけにはいかない」などあきらめにも似た声が出ている。現場の受け止めがしっくりこないのは、現指導要領の「ゆとり」路線が十分検証されないまま転換が図られたからにほかならない。

 とりわけ小学校では教え込みの教育への回帰とも映り、総合の削減に難色を示す声が強い。総合はゆとり教育の象徴として小・中学校では二〇〇二年度から実施された。素案では小・中学校とも週換算で現行三回の授業時間を二回に減らして、その分を教科の授業に充てるようにするものだ。

 学校間で実践の質に格差が生じたことも総合の削減に向かわせる根拠になった。現行の指導要領は総合について自ら課題を見つけ、自ら学び、問題の解決力を育てる狙いだけを示し、目標や内容は学校に任せている。この設定からは学校間で格差が出やすいことは当初から予測できていたことだ。

 総合を軌道に乗せた小学校の教師らは、試行錯誤を重ねながら相当な労力をかけてきた。そうした教師は子ども一人一人の学ぶ意欲を引き出し、それが教科学習の向上への相乗効果をもたらすと実感している。定式化された教科の授業より難易度が高く、「週三回では少ない」との声もある。

 中教審は指導要領の次期改定でも「生きる力」の養いを重視し、総合の存在意義を認めた。にもかかわらず削減に踏み切ることは、総合はほどほどの取り組みでいいと印象づけかねない。そして総合と正面から向かい合ってきた教師のやる気までそぎかねない。

 中学校は、傾向として総合を持て余し気味だ。キャリア教育などにパターン化し、本来の狙いから懸け離れ始めた。教科担任制がネックで、教師に意欲がわかないのが要因だ。現実問題に照らせば中学校での削減はやむを得ないとしても、小学校では現時数を維持すべきだったのではないか。

 また素案は全体の授業時数を週一授業分増やすとした。学校は平日のカリキュラムを過密化することに抵抗感が強く、夏休みの短縮や土曜日授業を余儀なくされそうだ。国際調査で学力トップのフィンランドの授業時数は日本より少なく、総合学習を重視して学習意欲を引き出すことに力を入れている。文部科学省や中教審は学力先進国から何を学んだのだろう。
学力向上に効果があるか疑問

 学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会の小、中学校部会は、「総合的な学習の時間」を減らし、主要教科の授業時間数を増やす方向で素案を提出した。

 現行指導要領が教育内容や授業時間数を削減したことを問題視した学力低下批判に応え、知識・技能習得に重きを置いた形となった。

 これは1977年以来続いた授業時間数削減の流れを約30年ぶりに転換させるもので、「ゆとり教育」を部分修正することになる。

 しかし、学力低下と授業時間数の相関関係ははっきりしていない今、まずは現指導要領を多面的に総括する作業が必要ではないか。

■減る「総合的な学習」■

 両部会の素案によると、小学校では国語、算数、理科、社会の各教科を学年に応じて増加。子どもの体力低下に対応するため、低・中学年で体育の授業時間も増やす。高学年では週1時間程度、体験型の「英語活動」の授業実施もほぼ合意した。

 中学校では国語や数学など必修六教科の授業時間を1割程度増やす一方、「総合的な学習の時間」を小学校と同様に減らす。また、「ゆとり」の教育で学校裁量の余地を広げた「選択教科」の時間も縮小される。

 中教審の答申は来年1月になる見通しで、新しい教科書に基づく学習指導要領の完全実施は2011年春からになりそうだ。

 今回、授業時間を増やすというが、現行指導要領の下で、以前より学力が低いという具体的なデータはない。

 学力低下を言うのであれば、問題となるのは最近の児童、生徒の学習意欲の低下や自分の考えをまとめて表現する力が弱いこと。このことが低学力層の拡大を招いているのではないか。単に授業時間を増やしても、子ども全体の学力底上げにはつながらない。

■「ゆとり」の理念後退■

 小、中学校両部会の素案で共に削減される「総合的な学習の時間」は、ゆとり教育に伴う授業時間、教科の削減に合わせ、地域の特色や子どもの興味を生かしながら学ぶ、教科横断型のテーマ学習として取り入れた。

 中教審は「自ら学び考える」という理念そのものは、先進国の学力観を先取りしたもので、引き続き堅持するという。が、今回の素案をみる限り、その理念は明らかに後退。知識・技能の習得に力点を移したとしかみえない。

 ここ数年、学力低下の批判にさらされてきた文科省は、放課後の補習や朝読書など一転して基礎学力に重点を移した経緯がある。

 それに呼応して各学校では競って授業時間確保に動き、土曜学習や本県でもみられるように二学期制導入などが広がった。

 今回の授業時間数増という措置は、こうした実態を追認し、さらに加速させる方向だ。

 単に学力向上といっても授業時間を増やせばその効果が表れるものではないはずだ。学力には現場の教師の数や資質、指導方法、学級規模、親の経済力などさまざまな要素が絡む。

 指導要領見直しにはまず、過去の成果と反省点をしっかり総括し、教育現場の環境整備を行うことが不可欠だ。

 単に学力低下批判をやり過ごすための授業時間の数合わせでは問題の解決にはならず、学校現場や親が対応にますます混乱するばかりだ。
 教育改革を最重要施策と位置付けている安倍晋三政権は教育基本法を改正したが、その余波は大きい。教育に絡む関連法のほとんどが改正されるからである。

 先ごろ、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会は副校長などの新設を盛り込んだ学校教育法の改正、免許更新制の導入を中心とした教員免許法改正の骨子案を了承した。政府は今国会での提出に向け、法案の準備を進めている。

 私たちは教育に対する過度の政治権力の介入に反対し、基本法の改正は必要ないと主張してきた。いじめと自殺、児童・生徒の学力低下、指導力不足の教員の増加…。安倍内閣は改革に当たって「小道具」を動員した。教育の危機を叫び、これらの道具で国民を“幻惑”したのではないだろうか。

 少年非行はピーク時よりも三分の一以下になっていた。子どもの自殺こそ根絶したいが、学校関連が半数を占めている。都道府県教育委員会から指導力不足を指摘された教員は総数の0・1%。

 安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」をスローガンにしている。六十二年前、日本は太平洋戦争で惨めな敗北をした。そのことから敗戦のショックからの立ち直りだと解釈する人もいる。しかし、戦争を知らず、まして、敗戦の意味を理解できない子どもたちに戦後レジームの脱却を求めて何になるのか。

 戦後間もなく制定された教育基本法は今年三月で施行六十年になるはずだったが、その直前に改正された。そこには「愛国心」「郷土愛」などが強調されている。

 愛国心や郷土愛は法律で国民に強要するものではない。愛国心が突出して叫ばれることは危険な兆候である。戦前の軍国主義教育、戦時体制下での皇民化教育。それらは敗戦で瓦解した。

 確かに、改正前の教育基本法は愛国心をもてなどとは書いていない。戦前の教育勅語に代わるものとして制定されたのが、この基本法だった。それには教育の理念が示され、六三制、教育の機会均等、平和主義、男女共学、義務教育の無償などがうたわれている。

 基本法改正に伴い、提出されようとしている関連法の見直しには問題点が多い。教員免許の更新制やいじめ生徒へ対応がある。指導能力が劣ると判定された教員を学校現場から退場させる。また、いじめや非行に走る生徒を教室から追い払う。

 そうしたペナルティーから、いったい何が生まれるというのか。教育現場に無用の混乱を起こし、先生や子どもたちに相互の不信感や不和、疑心を生み出すだけではないだろうか。

 教育に対して大多数の教員は熱情をもって取り組んでいる。政府、文部科学省は現場で苦闘する先生たちの実情を知らないと教育改革は進むまい。

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